うつくしいひと第十三回 「冒険」

柘植伊佐夫 文/写真
クリスティヨナス・ブデリス 建築家

これを書いているのは一向にそれらしい雨も降らなかった梅雨が明けて間もない東宝スタジオのカフェテラスで、川沿いのガラスから外を眺めればエアコンの効いた店内とは打って変わって、灼熱と言うにふさわしい日差しが桜の古木の葉に強いコントラストを表しています。葉と枝から垣間見える深さの見当もつかない青空とそこに湧き上がる雲。毎年いかにも同じような姿を表しながら一回たりとも同じであるはずもないのだけれども、それらを見上げると夏の記憶はなぜか特別な箱に仕舞われているような気がしてなりません。

すでにヘアメイクを行うこともよほど特別な事情がない限り皆無な自分にとって新人の頃のヘアメイク時代を思い出すのは面映ゆい反面、若々しい幼い自分を懐かしみ、あの時代、バブル時代特有の後先を考えずにやりたい放題であった状況で人はどれだけ野放図になれるのか、あるいは金銭的制約を最小限にされた表現者は一体どこまで欲求に傲慢に驀進できるのかという体験を無意識にしていたノスタルジーとセンチメンタリズムに満たされます。そんな時代にキャリアを開始した自分は月に一度は海外に渡って仕事をしていました。

アシスタント時代を経て一人で仕事を許されてほどなくコスメティックブランドの夏のキャンペーンの依頼をいただきました。現在のように様々な表現をデジタル的に生み出すことが不可能であった時代ですから、こんがりと焼けた水着の女優を完全無血な青空と透き通るような海を背景で撮影するには、まさに「そこ」へ行くしかありません。クライアントはかなりコンサバティブなブランドで写真に雲ひとつあっても簡単に担当者のクビが飛ぶのです。雲ぐらいあってもいいだろうにというのは常人の考えで、あの頃は「雲のない写真を撮るためならいくらでも待てばいいじゃないか」という一億総黒澤監督のようなワードをさらっと言ってのけて且つそれが会議を通さずに決済される時代でした。時は六本木通りで一万円札を振り回しながら走り抜ける乗車タクシーを止めようとしていた狂騒時代です。

そのようなワガママな状況は五年ほど連続し、クリスマスと正月を含む1 ヶ月ほどは南の島で過ごしておりました。いくら南の島とはいえそうそう快晴が続くものではありませんから、仕事と称してゆったりと休暇を過ごす、その間に時折撮影をする、「おお、今日は良さそうダァ」なんて呑気なことをフォトグラファーが言ってちょいちょいっと撮影して、「雲が出てきたし今日はこれまで」的な終了。今思えばこの企画は絶対にクライアント、代理店、制作会社が結託し、「休暇」を「業務」にすり替えていたに相違ないと察することのできる程度の大人にはなりました。確か帰国がファーストクラスの時もありました。

ナッソーに到着してから、人ばらいが大変だからということで当地の有力者所有のプライベートアイランドを借り切って撮影する。その島にはわずか十数名のわれわれクルーしかいない。その海際に水上艇を着水させてそこから乗り込み空撮する。島に到着するのに小型船を借り切って世界を周遊する豪華客船の間をすり抜けながら悠々と往復する。宿泊するのは007サンダーボール作戦所縁のホテルで名物のコンクチャウダーをいただく。すると夜になって古いホテルの一室から女の悲鳴が聞こえる。女優のマネージャーの叫びである。オリエント急行殺人事件並みのことでも生じたのかといそいそと駆けつけますと、天井の角に小さな穴が空いていてそこから眼光が見えたとヒステリーを起こすからホテルマンに調べさせるとお茶目なフクロウだったり。彼女は何かと口うるさかったからスタッフがそっと仕込んだのではなかろうかと疑念を抱けるような長閑な時代。

結局今なお旅の多い暮らしですがパスポートを数えてみれば50カ国を超え始めました。そのほとんどは仕事ですからこれまでそのような状況を与えていただいて来たことに感謝しきれないものがあります。いかに仕事でコーディネーターがいるとはいえ、やはりそれは「日常の中にある冒険」であることに間違いはありません。見知らぬ国へ行き不慣れな町を歩く。目に新しい人々と出会い片言の言葉を交わす。そこにはどんなリスクが潜んでいるかもわからない。もちろん仕事ですから一定以上は身を守られているわけですが、その「安全」と見えるような雰囲気の裏側に潜んでいる危険の匂いは、やはりなんとなく感じるものなのです。そしてその目に見えない危険を肌で感じながら、その危険が自動的に自分を避けて行くような存在でなければならない。そのような力はやはり旅という冒険をすることでしか得られないのでしょうし、そのたくましさは人をうつしく磨いて行くのだろうと思います。もちろんお金を自分で出して冒険をする。これに勝ることが無いのは言うまでもありません。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


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