かっこいい義足って何だろう?

photo:Norma Aratani / model:Masami Orimo

同情を超えて「かっこいい」が生まれたら、障害者の概念は変わる気がします。 MASAMI

桑原 今日はみなさんの雄弁な写真が撮れたので、それだけでもすごいメッセージだと思うけど、28年フリーペーパーやってて、ハンディを持つアーティストに正面からインタビューするというのは初めてなんです。正直、私がそこに触れるのが怖かった。しかしちゃんと生きることは政治にもちゃんと関心をもつここと同じで、怖いものに蓋をしないでちゃんと知る必要があると自分に言い聞かせています。知ればちゃんと安心できるし、どうすればいいかわかるし、ちゃんと考えるきっかけになる。みなさんの話を通じて、怖くて触れなかったスイッチに私とおなじような思いの人たちに触れて欲しい。今回は、三人の個々の問題に、二人が答える、というかたちで一周していきましょう。

折茂 みんな何回もしゃべってきたことだと思うし、真理ちゃんはハイヒールプロジェクトをやっていろんなところで話していることかもしれないけど、かっこいい義足って何だろう?とお二人にお聞きしたいです。

須川 私は病気になって義足になったけど、実は私は義足にコンセプトはなくて、日常生活に不可欠で、とっても大好きなファッションを楽しむうえで義足が私にとって必需品になるんです。外装をつけることのほうが、今の私にとってファッションを楽しめるんです。パイプを出すと洋服よりもこっちが勝ってしまう気がする。素材も強いしそちらが強くなってしまう。とかと考えたり、義足は全体像としてはマストアイテムなんです。それと同時に、ここにいるみんなは義足を自分の表現としているんですね。自分の個性のひとつとして表現しているというのは、いっぱい乗り越えているということだと思います。私は義足になったけど、乗り越えたことでこうやって素敵な出会いが生まれて、自分の表現のひとつにもなれた。

身体にはその人のストーリーがあるんですよね。MARI

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photo:Moichi Kuwahara / model:Mari Katayama

片山 私は義足をかっこいいとは思ってないです。端から「かっこいいね」と言われて、「へぇ、そうなんだ」って思う程度で、自由きままにお洒落したり、義足に絵を描いたりしてます。だから、「かっこいい義足」とは意味が違うかもしれないけど、私はずっと、「完璧な身体」を理想として求めています。人間の身体にこそ、神様が宿っているような気がするから。でも、完璧な身体って一体どんな身体なんだろうとは思うけれど……。たぶんそれは、私がもともと「まともな足」を持っていなかったからだと思います。生まれつき足の骨が足りなくて、ひどく曲がっていたんです。だから足の裏を地面につけて立ったことがありません。「理想の義足」をあえて言うならば、人間の足をした上に、それを超える機能を持った義足でしょうか。発電するとか、火を噴くとか、めちゃくちゃ早く走れるとか(笑)そんな義足の特異性、可能性は「ハイヒールプロジェクト」というアートプロジェクトで表現しています。簡単に言うと、義足でハイヒールを履いて歩くだけのことです。こんなに進歩した社会なのに、痛い義足で一歩も歩けず一生を終えていく人がいます。それは義足に限らず、義手でも、補装具でもそう。そういう人たちに、こういう選択肢もあるんだよというのを伝えたくてこのプロジェクトを始めました。皆でハイヒールを履こう!ってプロジェクトではありません(笑)選択肢を提示したかったのです。で、それをするためには目立つ必要がある。だからハイヒールを履いて身長2mになって歩くんです。2mになると、いままで届かなかったところに届きます。目立つから、いろんな人に伝わっているという実感があります。これからもどんどん歩いていきたいですね。

私は義足になったけど、乗り越えたことでこうやって素敵な出会いが生まれて、自分の表現のひとつにもなれた。 MAKIKO

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photo:Norma Aratani / model:Makiko Sugawa

折茂 ありがとう。私自身の意見はというと……、二人が全部言いました(笑)。機能という意味では、痛くなくて自分の足のごとく歩きやすい義足が一番。そういう義足になかなか巡り合えないし、今日は調子いいなと思っても明日はどうか分からない。日々の体調で少しむくんだりしても具合が悪くなるから、そういう日はとたんに心身共にブルー。そういうつらさを毎日していながらも、ま、平気な顔をしているわけだけど。ただ義足装具士さんたちが日夜頑張って下さっているおかげでそんなストレスは日進月歩に減ってきています。ありがたいね。
じゃあそれはそれとして、「かっこいい義足」ってどういうこと?っていう話になると、「それ以上」ってこと。真理ちゃん(片山さん)が言ってくれた「それを超える機能」や単純に見て「かっこいい」と思わず言っちゃうこと。義足だから、とか義足なのに、じゃなくて、そういうのとっぱらって「わあ、何あれ」って健常者の人がねたむ、うらやましくなる、というところまでいかないと、素直にかっこいいと思ってもらえないと思うのね。見る人はまず義足にびっくりしてどきっとするところから入っているものだから。どこかで同情が大きすぎるからね。私は義足をさらけ出せるタイプなので、こういうもんよとまずみんなに見せて、こういう人いるんだと慣れてもらって、スカートを履く人もいるんだと思ってもらって。そうやってみんなに知っていってもらっていく。見て驚かない環境を作っていく、そこからです。それが自分の時代の役目だと思っています。って、好きでやっているんだけどね(笑)。そのうえで、オシャレの為にキツいコルセットをつけるように、多少辛くても痛い思いをしていてもヒールを履いたり、びっくりするような仕掛けがある義足ができたらいいなと思う。走ったら普通の人より早いとか、そういうお互いが痛快な気持ちになれるようなものがあったらいいな。こっちは「へへっ」って思うし、見てる人は「やるじゃん」ってなるような。心意気を含めたものかもしれないけど、同情を超えて「かっこいい」が生まれたら、障害者の概念は変わる気がします。

片山 義足がかっこわるいから、やせ我慢してでも本人がかっこつけて生きないとかっこつかないというのもありますよね。今でも時々びっくりすることがあるんです。電車に乗っていたら年配の方が私の義足に気付くと、すごく嫌そうな顔をして離れていくんです。「前世で悪いことをしたからそういう身体になったんだろ」と言われたこともありました。言いたいことは山ほどあるけど、あえて、そうだとするならば(もちろん肯定はしませんが)、過去悪いことをしたなら今はカッコよく生きればいいじゃんと言いたいです。
今のところ、義足がかっこいいから我々がかっこいいとは言えないですね。義足がかっこよければ何もしていないひとでもかっこいいのかと言えばそれは違う。「かっこ良く生きる」って意識の問題だと思います。

折茂 義足をはくときはばっちり化粧をするとかね(笑)

片山 そうそう、ノーメイクでは義足をして歩けない。そこは地道な努力です。ハイヒールと似てますよね。高いヒール履いて顔だけノーメイクじゃね、かっこわるいよねという感覚はあります。

折茂 同情が倍増するからね。

片山 そうそう(笑)。

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photo:Kalina Leonard / model:Mari Katayama

須川 私ね、折茂さんと真理ちゃんがすごい大好き。義足になった時期は折茂さんとそんなに離れていないのに、私が初めて義足をつけたとき折茂さんを見てわーっとなったんです。当時、折茂さんは義足の一部を弦にしてたり、パフォーマンスが奇抜。べっぴんやし表現も新しくて、うわーってなって。がらがらって。真理ちゃんも昔から自分の体を自分のテーマとしてやってました。私自身、身体をどっかまだ隠している部分があって、作品のテーマの一つとして身体のことを扱える真理ちゃんの強さに憧れるし、ちゃんと意見を持っていてぶれないし。
ハイヒールプロジェクトのときでも、堂々とした意識の高さがあったし、それに伴って完璧にお化粧していて「してやったぜ」というのがかっこよかった。私の先頭を二人がカッコよく肩をきって歩いてくれているのがうれしいの。

折茂 もしかして私も真理ちゃんも小さい頃から足が悪かったっていうのがあるかも。

片山 そう、それは私も思った。

折茂 私は小学生の頃、交通事故で。で義足にはなっていなかったけど、人に見せられない足だった。肉が全部とれて足首から内側に変形して、そっちのほうが恥ずかしかった。絶対ズボンだった。義足になってから自由になれたんです、そういう意味で。それで初めてスカートがはけるようになった。逆なんですよね、須川さんは十分に大人で感受性の強い独身の女性で、そんな時期に足の股関節から切断というのは、そっちのほうがよっぽど大変だったと思う。子どものときは自然と受け入れちゃっているところがあるからな。

片山 ちゃんとした足を一本まるごと失うって、申し訳ないけど共感は絶対できないと思います。義足という点の共感はできますが、その人の身体にはその人のストーリーがあるんですよね。須川さんはそれに大切に向き合っている最中なんだと思います。すごく美しいことだと思います。

折茂 真理ちゃんと私はパワーで押し切る部分があるけど、須川さんのデリケートな絵の世界はいつまでも傷ついている美しさがある……。

片山 はかないようなもろいようなものは感じるんですよね。

折茂 須川さんには元気でいてほしいけど、あのデリケートな傷というものは大事にしてほしいという気もします。

片山 それは義足関係なく、三者三様持っている持ち味ですよね。須川さんははかなくてもろい作品を作り続けるし、折茂さんはもっと力強く打ちだしていくだろうと思いますし。持ち味ですよね、一生をかけて追っていくようなね。そこに義足が拍車をかけている気がします。

須川 分かる気がする。

片山 たまたまこの三人は義足が共通項で知り合ったけど、そうじゃなくても、万が一、運命のめぐり合わせで別の理由で集まっても、同じような話をしているんじゃないかなあと思いますね。


フリーダム・ディクショナリー
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