普段ぼくたちは何を考えているんだろう?

牛田悦正 SEALDs

8そうですね、実際、危機意識を持っています、この世の中が壊れていくということについて。経済的にも政治的にも危ぶまれていて、不安定な社会になっている。そんな中でどうやったら良くなっていくだろうと考えたときに、難しいなあ、ぼくは最近は……だるいなと思っている。でも、やんなきゃ、やらなきゃしょうがないなって思う。昨日、原稿書いたんです、選挙の話を書いてくれって言われて。だから、選挙に興味がないって書いて(笑)。正直興味ないし、どうでもいいし、もっと楽しいこともある。けれども、選挙って何かって考えたときに、それはぼくらの代表を選ぶってことなんですね。「代表」とは、英語で言うと‘representation’。「表象」とか「イメージ」といった日本語訳があてられる言葉です。‘re-’ と‘-presentation’ の二つの要素でできている言葉ですね。‘presentation’ は「目の前に現前する」ということで、猫ならば、実際の猫を連れてこなければいけない。ですが、‘re-’ という「再」を意味する要素がつく‘representation’ ならば、猫の絵を書けば済むんです。そこで猫が「再現」され、イメージが生まれる。これが、‘representation’ という言葉の意味です。そこにないものを別のもので代わりをするということ。それが「代表」ということです。一様には言えませんが、僕らの民意を‘re-presentation’ するのが「代表」であり「政治家」であるということ。政治家は、ぼくらの気持ちを描いた「絵」に相当するんです。それが今の国会の姿。どのような姿かと言えば、ひどい議論をしている、ヤジを飛ばしている、寝ている、隣の人と話している。小学校のひどい学級会みたい。あの現状が、ぼくらの民意の、絵(鏡)です。選挙に興味ないというのが鏡に映っている。そのときに書いた原稿で、ぼくは最後の部分で「文頭に戻る」と書きました。つまり、「選挙に正直興味がない」って書いた文頭、自分の姿(笑)。ぼくはだるいなって思いつつも、鏡を見せつけられたときに、こんな醜い姿じゃイヤだなって思う。いかがですか(笑)。

Kalina Leonard 写真家/ モデル

1私は普段写真を撮っています。選挙に関しては個人的にはちゃんと行こうと思っていますが、とある著名な方が「選挙に行かないという意思表示もある」と言っていたり、十人十色の意見があって、最近は世の中が騒ついている事もあって、私自身混乱してまとまらないです。支持したい政権が無いというのも正直なところ。あと、平和の求め方がちょっと過激になっているという印象を去年受け、身近に戦争を見たような気持ちになりました。憲法9条改憲反対と言っている人達もいれば、過去に三島由紀夫は改憲したくて自決をしていて。そうやって歴史の勉強をして過去に遡ってみると、こんなことを言っていた人もいたんだとなって、混乱しています。正確には勉強不足を恥じている状態ですね。実は、平和とは真逆の方向へ進んでいる気がしてしょうがなく、とにかく勉強しなくちゃいけないですね。自分が死んだあとのこととか長期的な視点で行動するのがいいのかな。これから生まれてくる子供たちへの教育が大事だと思います。そっちに目を向けて勉強しています。

中里 楓フォトグラファー

2今回写真を撮らせていただきました。私の市で市長選がありましたが、投票率が30%程度。低くてびっくりしました。いろいろ考えてはいても結局行かないという人も多いと思います。また、この政党には入れたくないけど、二択しかなくってもう一人の候補の言っていることがよく分からないからもう一方に入れよう、という人も多い。分かりやすい方を選ぶ、ということですね。そういうことを考えると、やはり学ぶことが大事だと思う。小学校とか中学校の時代に座学で勉強するだけではなく、政治の成り立ち・仕組みをもっと学び、分かりやすく、かつ大学まで一定して定期的に学ぶ場所が必要なのかなと思いました。

辻谷朱美 スタイリスト・キモノ愛好家

3私達の親の世代は子供を「他人に迷惑をかけないような人」に育てることが大事であった。そんな風潮の中で育った私達は、政治に興味をもつような教育も受けず、突出することを好まず、社会に積極的に参加するという意識を持たないまま、大人になってしまった。いい年して「え?選挙なんて行かない。だって誰がなっても同じでしょ」などと言い放つ友達は珍しくない。そんな世代の私も原発の事故以降、さすがに何かしなくてはと官邸前のデモに何度か参加した。そこには若者たちの姿はほとんど見られなかった。仕方ないのか、と思っていたら、SEALDsが現れた。おお、イマドキの人のシュプレヒコールったらかっちょいいぞ。新しい!言っていることが明快。いいぞいいぞ。やはり出る杭は打たれているようだが、どうか頑張って続けて欲しい。新しい意識が広がれば、ぼんやりと選挙に行かない大人たちの、重い腰をあげられるかもしれない。今を戦前にしないためにも。

Mari Katayama 美術家

4私はアーティストです。アーティストの仕事は、「今」を生きることだと思っています。「浮世離れ」とか、「時代を先取り」とか言われがちですが、そういうことをするためにも、様々な人たちや、出会いのなかで、彼らの生活に沿って「今」を知らねば、時代の先も、浮き世離れも出来ないのではないかと思います。 牛田さんの言う「絵」(鏡)は私の制作においても重要なキーワードとなっています。私の主な作品はセルフポートレートなのですが、セルフポートレートを撮るというのは、カメラを構える自分と被写体としての自分が存在します。まさに「絵」(鏡)をやっているわけです。そして、写真の中の自分は過去の産物です。それを実感するたび、「今からでも間に合うんじゃないか?」と思うことがたくさんあります。後悔し、過去を咎めるのではなく、今の自分たちの姿を理解して、立ち止まりたい。すると……無関心に生きること、言葉通り浮世離れすることが見えてくるんです……。チャンスを逃しているようで、もったいないと素直に思います。

折茂 昌美 ミュージシャン

5ミュージシャンです。テレビで先日見たのですが、9条を守る守らないとか、自分たちの手で書き換えようという動きは昔からあって今に始まったことではないんですね。当時、戦争の正当化だとか、組織の中で自分の身を護ろうとする政治家も多く、結局保身やお金儲けで動くところは今も昔も同じです。議論は駆け引き、謝ったら負け。こんな気風では百年たっても一緒だなと絶望的な気持ちになります。そんななかで、いつも「気持ちがいいな」と思うのは天皇皇后両陛下が海外に行っているお姿です。傷ついた人たちに、「悪い過去がありました。終わったことだけど、ずっと忘れませんよ」と言い続けてきたわけです。すがすがしいと感じます。悲しい歴史については、忘れないことが重要であって、それにより繰り返さないことに繋がるのでしょう。これからの日本の平和を維持していくためには、謙虚になって「過去のあの出来事はあなたと私が一緒にやったことだったね」と、両方同じ立場で過ちを認めて次に行くという姿勢が大事だと思います。

Hatsuki Sugai Creative Director・Stylist

6身体の一部が義足であるということを自身の表現とされているARTIST たちの友人・スタイリストとして伺わせて頂いております。私が感じたことは、まずは戦争ということよりも「愛情を注ぐ人がいるか」。今もみなさんの意見を聞かせてもらって、自分の意見を言わせてもらっています。いろんな形を「受け入れていくこと」と「相手への愛情を持つこと」。人がとった行動やチョイスに対して自分がどんな感情を持ったのか、自分と他人との想いをループさせ、感情を追求することで、「人は自分の写し鏡」だと知れる。例えば選挙に行かないチョイスも確かにありますが、行くことによってしか変えられない状況なのであれば、自分は行きたいと思っています。今日も皆さん自身がこの場所に来たいと思って来ている。そして人同士がこうやってまた交わる。戦いではなく共存することよって、新しい価値観や未来が生まれるんだなと思っています。

須川まきこ

7以前はもっと自由に表現ができた時代やったと思います。そういう空気感がありました。最近は「平和」っていう言葉すら言いづらい空気感があるのを感じる。そして「9条は守らなければいけない」と思っている人が多かったように思うけど、今は組織のなかでは言いづらいというふうな空気感があって、そこに危機感をかんじます。311 の原発後の選挙でも与党が圧勝している現実がありますよね。私たち市民が唯一声を大にしてNo と言えるのは今は選挙しかない。いろんな場で異論を言っても選挙結果しか見られていないですよね。政権側は「選んだのは君だ」みたいなところもありますし。圧倒的な組織・体制の力で、票は経済優先へと傾いていく今の世の中で、私は表現している身分として、少数派の意見の側でありたいと思います。世の中をがらっと変えるヒーローを求めている傾向がすごく強いのを感じるけど、間違ったヒーローを選ぶのは危険なこと。むしろ、今は危険なヒーローを選んでいきそうな傾向にあると思います。

柴田 万奈 SEALDs

9SEALDsの芝田です。私は震災のあとに政治的なことに興味を持ち始めました。それまではなんで原発があるのか考えたこともなかったし、そんな危ないものが50 数機もあってその周りに人が住んでいるっていう状況があることに気づかなかった。知らずに生きてきた自分に引け目のようなものを感じ、そういう社会なんだということに気づけなかった自分が悔しいなと思いました。それが高校生のときです。それから社会問題に興味を持ち始め、デモに行ったりしました。デモに若い人たちがいないという話がさっきありましたが、それは私も気になっていることです。私はアメリカで育ったので自分の意見はどんどん言う文化のなかで生活してきました。だから政治に無関心と言われている日本の若者でも思っていることがあるんじゃないかなと、どこかで思っていました。そういうときに特定秘密保護法案に反対するSASPL(Sealds の前身の団体)という学生団体をfacebook で見つけ、ジョインして今に至ります。SEALDsか去年の夏のように大きくなるとは思ってはいなかったです。最近は、自分たちのイメージ以上に大きくなっていて、あれっ、どうなってるんだろうって思うこともあります。それでも私にとっては震災のときに感じたショックが原点。大きいことはできないかもしれないけど、社会の一員として原発や戦争にNo と言いたいし、そこに賭けてみたい。そういう責任のようなものが自分にあると思います。自分が生きているなかで、戦争がなくなって、人が人を殺さなくなるような世の中になっているとは思わないけど、次の世代、次の次の世代を考えたら決して無駄ではないと思うから、活動しております。

牛田悦正 SEALDs

8最後に、サミュエル・ベケットという劇作家が小説のなかで言っているセリフを紹介します。Ever tried. Everfailed. No matter. Try Again. Fail again. Fail better.「今までずっとトライしてきた。でもずっと失敗してきた」――ベケットはそのように言っていますが、人は失敗するんですよ、トライしたら。ベケットは、「だけど、問題ない。」と続ける。「そしてもう一回失敗しまた失敗する。より良く失敗する」――このように言っています。このセリフをぼくはよく引用します。人間は神ではないので、不十分だし、不完全だし、有限な生き物です。その有限性を意識することが大事で、それが他者への愛ということにもつながっていくことだと思います。自分は有限、死ぬし。常に失敗作。人間という生き物自体が失敗作。それを恐れちゃいけないということだと思うんです。危険なところにいたくないのが今の日本人だなと思ってて。危険なところに出て挑戦したら、絶対失敗するんですよ。アートだってそうだと思います。どんなに良いものにしようとしても必ず失敗作だと思うんです。「これは完全なもの」っていうのができたらそれ以降作る必要もなくなるわけじゃないですか。必ず失敗するけど、より良いものを作ろうとしていく。実はそれも危険です。それは賭けというか。もしかするとそれによって批判をくらうかもしれない。だけど、何かしないと絶対に物事は変わらない。政治で言うならば、みんな関わりたくないものなんですよ。だけど、子どもたちのために失敗する人たちがいないといけないと思います。Sealds は失敗する。簡単に良くなることもないし。失敗するんです。結局できなかったって叩かれるんです。でも、じゃあキング牧師はどうたったか。失敗したのか。死にました。暗殺されました。暗殺された前日の演説で「あなたたちのように丘の先には行けない。俺にはたどり着けないだろう。だけれども、未来において必ずたどり着く。我々は」と泣きながら演説した。で、翌日暗殺されるんですけど。でもそれは無駄ではなかった。キングがやったことは失敗だったのかというと、後世に残る失敗だったと思うんです。前例を作ったんです。過去の人たちがあんなにひどい状況のなかであんなことができたんだ、ぼくらにもできるかもいれないという意志みたいなもの、可能性を作った、ということだと思います。だからこそ、大人になるということはよりよく失敗することではないか、と。政治も無知であろうとなんであろうと、失敗してみるしかないんですね。ぼくは、選挙に行かないというのも一つの手だと思っています。確かに。ただ、それも一つの選択なんです、つまり、選挙に行かなかったからといって、安全ではない。常に危険なところにいるということなんです。危険なところでやるという点では政治もアートも、関係ない。生きているということ自体がそういうものなんだということです。そうして未来に何かを残していく。人間とはそういう生き物なんだということだと思います。僕のメッセージとしては「恐れない」ということです。


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