東京藝術大学大学美術館館長 金沢21世紀美術館元館長現特任館長 秋元雄史著「おどろきの金沢」を巡るインタビュー

《低めの椅子に座る秋元さん》 金沢21 世紀美術館の回廊にて 撮影:篁なすび

「 現代美術と市民社会との幸福な関係とは? 」

今、端境期である。古さと新しさが激突している。だが確実に新しい何かが芽吹いているだろう。
またこのような過渡期だからこそ生まれるものもたくさんある。
私は、21 美に工芸を入れ込むことで、この対比をよりラディカルなものにしたいと思った。
そうすることで、金沢に新しい可能性が生まれると信じたからだ。対比は、単なる対比では面白くない。やり取りがなければなにも生み出さないのだ。

これは、著書「おどろきの金沢」に関する秋元さんご自身のFB 上での、ご友人たちとのやりとりの一部です。この引用が示す通り、常に明快なビジョンを持ち、しかも普段着のやりとりと著作との間に全く違和感がない。つまり、表裏のない正直な人。思い込んだらとことんやる。スカッと爽やか、男は黙って、まさに男が信頼できる仕事人の鏡である。

61uTKD4eAaLおどろきの金沢
著:秋元雄史
(講談社)

で、大好評の「おどろきの金沢」、現代美術の世界はほとんど知らない私が、ついつい引き込まれて一日で読み切ってしまったのです。というのも、これまで漠然とした疑問が次々と解凍していく秋元さんの語り口は、まるで時代劇小説の謎解きをする痛快さにも似て、読後感も含め、そのビジョンを遂行する為のクリエイティブディレクションの用意がきちんとあったというハタ膝が、著書を読み進めるうちに納得できたからです。

「すべての仕事はクリエイティブディレクションである。」

41cmgawEhmL._SX341_BO1,204,203,200_すべての仕事はクリエイティブディレクションである。
著:古川裕也
(株式会社宣伝会議)

まさにこの言葉通り、あらゆる仕事を成功させるために必要なことはクリエイティブディレクションである。今更この歳で言うのも恥ずかしいのですが、私はこの本から多くのことを学びました。つまり、この仕事バイブルに出会うまでは、その時々の思いつきや感性に踊らされ、迷走&失敗の連続だったのです。 (笑)それは何もしなかったという意味ではなく、これまで論理立てて仕事を計画してこなかったと言うことです。

1. 定義する
2. 仮説を立てる
3. プリンシプルをつくる
4. 全体性を把握する
5. ベストな悩み方を示す
6. アイデアの良し悪しがわかる

古川さんのこの著作によると、これらがCD が仕事をする上での為すべきことの基本だそうです。何となくではなく、あらゆる事柄を緻密に明快に行う。納得、学習したからには、老骨に鞭打って再度仕事へ取り組み方を見直そう(笑)。で、驚いたのは、「おどろきの金沢」には、CD が為すべき最も大切な四つのことが実に明快に提示されていたからです。

1. ミッションの発見
2. コア・アイデアの確定
3. ゴールイメージの設定
4. アウトプットのクオリティ管理
「すべての仕事はクリエイティブディレクションである。」より。

さて、話は少し横滑りしますが、あらゆる仕事のバイブルと呼ぶべき、この名著の著者である古川裕也さんは、古くは私のコメディ作りのメンバーでもありました。ある一部の方々(政治家の秘書、公共放送のアナウンサー)には、ちょっと知られたカラオケ屋の名(珍)曲、あの「ピエールとカトリーヌ」の歌詞は、この古川裕也さんの手によるものだったのです。もちろん制作時には、まさかカラオケ屋のヒット曲に成り下がる(笑)などとは想像もしていませんでしたが。

img_0https://www.youtube.com/watch?v=Mcm54kUZJAo
・ url:ピエールとカトリーヌ You Tube リンク
・ 写真:Single BLUE FILM 桑原茂一プロデュース ニュースネークマンショー

それにしても、たった一曲の歌詞で、これ程、これまでの性に対する保守的なイメージ、タブーを覆した曲はありません。古川裕也さんの対象との距離の測り方、ミッションの発見が素晴らしかったと言うことだと思います。“ たかが、性行為。”その突き放した態度の上に鎮座する崇高な愛。それがあるからどんな狂言も決して下品にならないという発見です。多分。正に、おどろきの金沢、おどろきの古川裕也です。

しかも、あの頃、古川裕也さんは30 過ぎでしたが、周りからは「少年」と呼ばれていました。推察するに少年の枕には(天才)が含まれていたのではないのでしょうか。さて、マイクを秋元さんに戻しましょう。金沢で秋元さんが保守からは異端とみられたように、優れたクリエイティブディレクションには、必ずそれまでの価値観への問いかけ?= オルタナティブな視点が必要なようです。そして、この著書にも、その異端が赤裸々に描かれているのです。まさに、英知にライセンスはいらない「フリーダム 」(自由)の精神こそが未来へ繋ぐ希望なのだ。と読者である私を熱くさせるのです。


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レアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》2004 年。金沢21 世紀美術館。撮影:篁なすび

Q さて、金沢21 世紀美術館の館長への要請を引き受けた根拠はどのようなものだったのでしょうか?

秋元 うわーっ、ものすごく、為になる前置きと期待感! 桑原さんに、それほどまでに面白がって読んでいただけたとは、光栄ですね。さて、質問にお答えをしていこうと思いますが、ここで桑原さんが取り上げている古川裕也さんが指摘するクリエイティブディレクションなるものは、まったく知りませんでした。なるほど、言葉にするとこういうことか、と今、解説をしていただきつつ、深く納得しました。

私が金沢の美術館に着任したときは、とても楽観的な創造しかしておりませんで、山出前市長の人物に惚れて金沢に行く決心をしたのでした。私はいつもそうですが、人との縁で仕事が始まるので、この人と仕事がしたいなあ、と思えば、あまり後先を考えずにその仕事についてしまいます。まあ、大体、面白い人のところには面白い仕事が転がっているのもので、困難ではあるかもしれないけれども、できたならば、きっと面白いはずという楽観的な想像だけが、先行して始まってしまいます。まあ、すぐに「げげっ!こんなはずではなかったのに!」という後悔が起きるんですが、それは後の祭りでして、「頑張るしかない」という状況に自ずと立っています。もうここからは、修行ですね。

Q 又、その自信を失うことなく成功へのイメージを最後まで堅持出来たのは何故だったのでしょうか?

秋元 前にも触れましたが、前に進むしかない、という、その状況に置かれているので、もう自信を失っている暇はありません。正直お話すると、私は端から自信などというものはもったことがありません! 自慢ではないですが、私は劣等感の塊であり、人に誇れるような優れた能力というものは持ち合わせておりません。ただ、こうなったらば、みんなハッピーだろうなあ、という“ 夢の姿”は、想像できます。

それを話すとだいたい皆さん、賛成する。少なくとも、まあ、強く否定する人はいないわけです。だいたい否定的になるのは、「そんなことできるか!」という“ できそうにない”不可能な状況に対して、否定的なのであって、中身それ自体は、みんな賛成しているわけですね。ですからなんとかできるように頑張るという方向で仕事を進めていくわけです。

なにか新しいことをするということは、これまでのやり方を変えていくことになるので、嫌がる人たちもいます。これを無理に変えようとするとなかなかうまくいかないのですが、全体から見てそれが必要であれば、もう、これは変えていきます。ここは勝負のしどころなのですが、このタイミングは、自分に自信(ヴィジョンが揺れることなく見えてきたタイミングと言い換えてもいい)がついたときということになると思います。

まあ、それからは怒涛の展開になるわけです。ここでの徹底度合いがポイントで、これでもか!という具合に徹底的にやることができて、進んでいるときにはかなり調子がいいですね。そしてある程度の成果が見え始めてくるわけです。私が頭に思い描いていることが、見事に実現したという状況はほぼないわけで、いつももっと行けるんではないかなあ、と思い、内心では悔しい思いをしているわけですが、それでもその満足の度合いが、七割を超えてくるあたりまで来るとかなりいいです。

直島のときも金沢のときも、私が大満足して終わったというよりも、ひとつの区切りとしてそこから離れている気がします。もう、回りからすると70%を超えたあたりから、やり過ぎ感が出始めるので、このあたりは自分では不思議な感じですが、だからいつもなにかまだ形にしきれていないものが心のなかに残っていて、それが次への種火のようなものになるのです。自分のことはあまり考えないようにして仕事をしているつもりですが、自分の中になにかあるんですね。こうでなければいけないみたいなものが。でもそれが現場とズレてきたら、そろそろ辞める頃かなあ、と思いますね。

直島が15 年、金沢が10 年でそれが来たということでしょうか。金沢の工芸についても、まだまだ満足していませんが、でも一方でいろいろな人達が育ってきていて、いろいろなことが勝手に動きはじめて来ています。それはうれしいことですし、状況のことを考えると、そこからが本当の始まりだとも思いますし、私の内面の満足などは二の次になるわけです。あくまでもその状況がどう改善したか、どのように展開したか、が大事です。

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《ひがし茶屋街》ひがし茶屋街の朝。撮影:篁なすび


最後に、この、free paper dictionary も来年で30 周年を迎えます。現在全国各地で、バックナンバーフェアーを開催しています。じっくり一年かけて、このメディアの存在を未来の方々へ伝えていこうと考えています。と言うのも、音楽を選び構成する仕事を選曲家と呼び、つまり、私は初代選曲家になるわけですが、(笑)ある特殊な音楽文化を取り巻く30 年とはいえ、その経緯を俯瞰から見渡すことのできるメディアはそう多くないと思われるからです。ノスタルジックな楽しみ方も否定しませんが、これから社会へ踏み出す学生たちにこそ、触れてもらい、俯瞰から眺めてもらい未来へのヒントを見つけてもらいたいと思うわけです。さて、質問です。と言うかお願いです。

秋元さんがこのメディアのCD となってイベントを考えた場合、どのようなものをお考えになりますか?希望は、このメディアが明るい未来の知恵の辞書として今後も継続される為のイベントでありたいと思います。

秋元 まずお祝いを言わなければならないですね。free paper dictionary が、来年には三十周年を迎えられるということですね。本当におめでとうございます! スゴイことですね! 私が関わったのはそのうちの数冊ですし、桑原さんの仕掛けてきた諸々のイベントのうちのほんの一握りのものなのでしょうね。そんな関わりしかない私ですが、もしCD になったら、どんなことを考えるのか、などという大胆な仮説に基づくご質問を頂き恐縮です。さて、どんなふうに考えようかと頭を悩ませていたらば、答えが桑原さんの説明の中にあるではないですが!

なんとラッキー! まあ、それはそーだ、とも思いました。なぜかといえばfree paper dictionary といえば、桑原茂一が頭に浮かぶから。それほど切っても切れない関係にあるのだと思います。だからまずは桑原さんの言葉に耳を傾けてみよう、そうすれば何かヒントが、、、とありました。次の言葉です。

「音楽を選び構成する仕事を①選曲家と呼び…」とお話しされている。“ 選曲”こそがfree paper dictionary の柱ということですかね。つぎに「②音楽文化を取り巻く30 年とはいえ、その経緯を俯瞰から見渡すことのできるメディア…」であるとfree paper dictionary を位置づけています。そしてその振り返りは「これから社会へ踏み出す③学生たちにこそ、眺めてもらい、未来へのヒントを見つけてもらいたい…」とおっしゃってます。学生に代表される若い人たちに向けて発信したいということですね。
ポイントは、①②③ですね。

ひとつは、①「選曲文化」ということ。それをどう見せるかということ。次に、それを②「30 年やってきた」。これは一種の歴史ですけれど、それをどう見せるか。そして、このことを何か次の時代につなげていく事ができないか。あるいは、メッセージとして、この30 年を紹介できないか。最後にその伝える相手、対象ですけれども③「学生たち」だとおっしゃってる。それが「未来へのヒント」になるようなものであって欲しい、ということだと思います。これが目的ですから、これにあった企画をバンバン出せばいいわけですね。

段取りは次の三つですかね。
・アーカイブ化(情報の蓄積化。これは多分ある程度されていると思うが、項目の洗い出しなど、後々検索しやすいように属性を明確にして、分類する。図書館の司書の仕事みたいな感じ)

・キュレーション(集められた情報をある視点に沿って研究し、展示する。この時の視点のとり方が重要で、話が深まるように、歴史的に見たり、社会学的に見たり、もちろん音楽的に見たりする。それに添って整理する。これはまさに美術館のキュレーターみたいな感じ)

・関連プログラム(展示に付帯する各プログラムを考え、より理解を促進する。あるいは参加性を高める。例えば、関連イベントなど、単純に参加して楽しいイベントの展開や、あるいは教育プログラムのようにある教育的な目標に向けてつくられたプログラムを展開するなど。エデュケーターと言わる人たちの仕事みたいな感じ)

まずはこの三つが面白ければ、結構面白いのではないかと思います。具体的に考えるといくらでも展開しますが、私のイメージは、freepaper dictionary を使った展覧会です。空間は、色分けされています。ある程度の時代区分、もしくはfree paper dictionary の大きな編集方針の変化による区分がわかる。それでいくつかに色分けされた壁面に本が展示されている。それは、1 年、3 年、5 年区分でもいい。見やすく。一部はビジュアル重視で絵のように展示。もう数冊は台の上に展示。その前でお客さんはそれを自由に見ることができる。また、イヤホンがあり、その本で紹介されている曲が聞ける。そこで選曲のあり方が強調されるように編集。

基本は、展覧会として成立させてつつ、後はいろいろな関連プログラムを行うというのがいいのではないかと思います。これならば、一度パッケージしマニュアル化してしまえば、いろいろなところで紹介でき、全国を回せます。余力があれば、関連企画を膨らませて、コンサートにまで拡大したり、トークショウをしたりと、最低限の展覧会の形を崩さずに変幻自在にできます。と、まあ、好き勝手に書きました。ほんとうにジャストアイデアです。なにかここからアイデアが膨らむようであれば、お話した甲斐があります。これからもfree paper dictionary が永遠に続いていきますようにこころからお祈りして終わりにします。


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©Chisato Hikita

秋元雄史 Yuji Akimoto

東京藝術大学大学美術館 館長・教授
金沢21 世紀美術館 特任館長
美術評論家
•Director/Professor of The University Arts Museum,
Tokyo University of the Arts
•Chief Executive Director of the 21st Century Museum
of Contemporary Art, Kanazawa
•Art Critic

1955 年生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒業後、1991 年よりベネッセアートサイト直島のアートプロジェクトに関わる。2004 年より地中美術館館長、ベネッセアートサイト直島・アーティスティックディレクターを兼務。「金沢アートプラットホーム2008」、「金沢・世界工芸トリエンナーレ」、「工芸未来派」等を開催。2007 年-2017 年金沢21 世紀美術館館長。2013 年-2015 年東京藝術大学客員教授、2015 年より東京藝術大学大学美術館館長・教授を兼務。2013 年- 2017 年秋田公立美術大学客員教授。2016 年9 月より女子美術大学芸術学部特別招聘教員。

Yuji Akimoto (born 1955) is an art director, professor, art critic and graduate of Tokyo University of the Arts (Department of Painting, Faculty of Fine Arts). He worked for the Benesse Corporation from 1991 to June 2004. During his time with the Benesse Corporation he was the chief curator of Benesse Art Site Naoshima (1992-2004), director of the Chichu Art Museum, managing director of Naoshima Fukutake Art Museum Foundation, and the artistic director of the Benesse Art Site Naoshima (2004-2006). His main work at the Benesse Art
Site Naoshima was the Art House Project’s first phase (1997-2002) and operating the Yasuo Kuniyoshi Museum. Akimoto’s major exhibitions at Benesse were Standard and Standard 2,
which were outdoor art projects that involved renovating and re-imagining real houses (inhabited and uninhabited), streets and other areas of Naoshima Island as venues for art.
After working at B enesse A rt Site Naoshima, A kimoto b ecame the director of the 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa (2007-2017) and was involved in numerous projects and a rtworks d uring his t ime w ith the museum. His p rojects included the Kanazawa Art Platform 2008, a project-like exhibition set in the streets of Kanazawa, and directing the First International Triennale of Kogei in Kanazawa, which presented new generations of crafts to a global audience.
As well as being an art director, Akimoto has worked as an art professor. He was a visiting professor at the Akita University of Art (2013-2017). He is currently director and professor at The University Arts Museum, Tokyo University of the Arts (2015-present) and a v isiting professor at Joshibi University of Art and Design (2016-present).


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