国会前デモ、そこにある『演劇性』をめぐって 宮沢章夫 x 桑原茂一 x SEALDs対談

Photo:Moichi kuwahara

昭和デモクラシーから、2015年の国会前へ

宮沢 今になって考えてみると、昭和20年、つまり、1945年から、僕の考えだと1986年、国鉄がJRになって労働運動が抑えつけられるまでの約40年、民主主義のある幸福感があったような気がするんですよ。当時の首相だった中曽根は国鉄の民営化は国労を解体するためだったと証言していますしね。

牛田 電車が止まって。

宮沢 そう。ヨーロッパだったらあたりまえなんだけどね。ストライキは労働者の権利だし。その時期のことを「昭和デモクラシー」と呼びたいと思っているんです。もちろんその中でもいろいろなことがあった。幸福とはけっして言えないこと、明らかに民主主義という政治体制にあって間違ったことはしばしば起っていたんですが、それでも今に比べてみると、どこか幸福感があったし、未来を楽観的に見ることが出来た。だけど、この数年のあいだに、きみたちが立ち上がった一立ち上がったという言い方がどうなのかわからないけれど、少なくとも「政治的に参加せざるをえなくなってしまった時代」を考えてみると、もう未来を楽観的に見ることは難しくなったことの裏返しにも感じる。それ、本当は不幸なことかもしれないじゃないですか。
それでも、そういう時代の中で、きみたちが街に出てデモをしたというのはいろいろな意味で大事なことだった。柄谷行人さんが話をしていたのはそのことです。「デモをすることで変わったのは、日本がまた、デモをする国になった」と。そこに一番意味があると柄谷さんは言う。すごく共感しますね。まさにきみたちのやっていたのは、それなんじゃないかなあ。

牛田 なるほど。ありがたいです。

宮沢 きみたちのその活動に煽られて、去年の夏は僕も国会前に何度か通いました。一度、朝日新聞の書評委員会の仕事が終わったあとにデモに行ったことがあったんですね。書評委員会が終わると、軽く打ち上げをするんですが、その日僕は打ち上げに出ずに、「デモに行きます」って言って帰ろうとしたら、委員会には僕も含めて年寄りが多いんで(笑)、帰りはいつもハイヤーを手配してくれるんですね。そしたら、朝日の人が、「国会前までハイヤー出しましょうか」って言うんだよね(笑)。それはちょっとなんかちがうんじゃないかと思って(笑)、結局、電車で行ったんだけどね。あとで考えてみると、ハイヤーで行く方がかっこよかったんじゃないかと思うけど(笑)

一同 (笑)

桑原 ハイヤーで乗り付けるデモ。(笑)宮沢くんは「日本で、デモが“また”起こった」ということに意味を感じたということですが、あの国会前でSEALDsがやっていたデモに、その前あったような運動とは違う、2015年の時代というのを感じていた?

宮沢 いろんな意味で感じましたね。たとえば、いま活発になっているようなコール・アンドレスポンスのスタイルを一つ取っても、かつてのお経を読み上げているような「シュプレヒコール」とはまったく種類が違う。いしいひさいちさんが1970年代の半ばに描いた漫画で面白かったのは、デモを題材にした4コマ漫画だったんですけどね、シュプレヒコールのリーダーがいてメッセージをアジ(テーション)るんだけど、アジの言葉が長すぎて後ろの方の人がよくわからないんだよね。反復できない(笑)。結局、ぐだぐだになる(笑)。

桑原 最後の方は適当にごまかすという。(笑)なるほど、まずリズムが違った。

宮沢 それから、これまであった運動とちがうのは、86年に解体された労働組合とは異なる。いわゆる、「御用組合」みたいな制度のだめな部分が運動に与えていた影響でしょうね。それがほぼ消えた、いや、まだあると思うけど、少なくともいまの国会前のカウンターには影響力がなくなったのはかなり大きいと思うんですよね。それ以前もあったけど、86年以降の運動だと、つまり「御用組合」的な運動ですが、労働組合員が義務的に動員されるだけでしょ。そもそも、その組合も企業のアリバイエ作みたいなもので、会社の上層部となあなあだし、組合に入るのも自発的な意志じゃなくて、形式だけだしね。デモに集まるのも自発的な意志ではないから、ただ、ダラダラ並んで歩いてる。しかし、いまの運動はそれとはまったくちがう。自主的に、みんながたまたま、国会前に集まったという風景がある。そしてそれを作り出してくれたのがSEALDsだったな、と思っています。それに煽られて、「よし行こう」と思わされた。

桑原 なるほど。

宮沢 ヨーロッパとアフリカ、そしてアジアと、それぞれの運動はもちろん違いますけど、やっぱり労働組合の違いというものは大きいと思うんですよね。特に何を要求するのかということの切実さが違う。日本も変わった。変わらざるを得なかったというか。あと、あれって、僕が考える、ある特別な演劇性みたいなものに近くて。この運動に参加しようと思ったのは、その運動の組織論自体に、安易なポピュリスムでもない、自分の考えるある特別な「演劇性」に近いものを感じていたからだと思います。といっても、何か変なことをやるっていうことでもないし、「演劇性」といっても、丸ごと演劇的なことをやるわけじゃない。ある意味、心地良さみたいなものがどこかにあるってことです。音楽と同じようなことだと思うんです。勿論、現代音楽やノイズミュージック、インダストリアルミュージックなんかを否定するわけじゃないし、どう言葉にしていいか悩むけど、聞いていて気持ちがいいとか、車に乗っているときにかけると気持ちいい感覚のあるもの。語られるテーマや内容とはべつの、声そのもの、それを発する音そのものっていうか。まずはじめに、デモのスタイルに旧来の演劇的なものがない。気持ち悪いでしょ、ある種類の演劇って。ばかに見えるし(笑)。というか、過去の演劇の表現方法ではもうメッセージは伝わらないと思っていたわけですね。それで過去の演劇に疑問を持っていた者たち、いまの若い演劇人もそうですけど、それぞれ、新しい『演劇性』でメッセージをどう表現するかを考えてきた。

神宮司 なるほど、「演劇性」。

宮沢 単に「演劇性」って口にすると、べつの意味にも取られかねないけど、極端な言い方をすれば、さっき話した、「御用組合」的なものと、根本原理が一緒だと思うんです。ここちょっと複雑な話になるけど、たとえば、かつての左翼運動と、かつての演劇の「劇目」というものの組織論は、ほぼ同じだったと思います。つまり絶対的なリーダーがいて、上意下達で。下はそれに従わなくてはならないという組織の根本原理は共通している。先頭にリーダーがいて、シュプレヒコールという方法で、みんながそれを反復しなきゃいけないという運動の形と、劇団の主催者がそう言ったらそう劇団員も動かなくてはならないという過去の劇団の体制は構造としては全く同じだったんじゃないか。まあ、左翼運動の指導者だけじゃなくて、オウム真理教のグルも同じですけどね。それは単に組織の形態だけの話ではなくて、そこにいる人の身体そのものを枠組みの中に組み込んでしまって、その場の表現そのものを規定することになる。だから、僕たちは80年代の時点で、そうしたかつての「劇団」という組織のあり方みたいなものが、もう自分たちにそぐわないと思っていた。

桑原 うん。

宮沢 しかし、かといってかつての「劇団」がやろうとしていたこと、長い集団作業を通じて表現の方法を積み上げること、高めることを、丸ごと否定するわけではありません。ただ、集団として動かざるをえない「演劇」の陥穽としてのまちがった集団論がある。単純なことを言うと、座長の引越しを劇団員がみんなで手伝わなきゃいけないとかね(笑)。だから、いかにそれまでと異なる組織論というか、集団論があるだろう、っていうことは、表現の方法の模索と同様に考えていました。そうして、2015年、SEALDsのスタイルに出会ったとき、かつての運動のあり方や表現とかなりちがうと感じたんです。もちろんリーダーのような人、コールをする人はいるんだけど、その表現自体が本質的なところで異なる。これは演劇の表現が変わったのと同じことです。表層的な変化ではない。目新しいことをただやっているわけではない。やはり背後で支える組織のあり方が変わったというように思うんですね。ま、なんにしろ、西原孝至さんのドキュメンタリー映画「わたしの自由について~SEALDs 2015~』を見ると、女の子たちがiPhoneを見ながらスピーチしてるしね(笑)。紙に印刷してきたらどうだって言われそうだけど、それが日常的なスタイルだったらしょうがない。そんなところも、僕が感じる「演劇性」に繋がっていると思います。だからって、だらだらやればいいってことじゃないし、いいかげんに運動に関わってもだめ。演劇作品だって、きちっとクオリティの高いものは求められるでしょ。SEALDsの、たとえば、プラカとか、Tシャツとか、コールとか、クオリティが高いですよ。

牛田 なるほど。

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すべての群衆が「出演者」であること

宮沢 いまのデモに「演劇性」があると考えたとき、それは単に見に行くものと言うより、参加するものであって、つまり「パフォーマー」は誰かっていうと、なにより自分だと思うんだよね。かつての「運動」と呼ばれるものは必ずしもそうじゃなかった。たとえば、1960年の安保闘争にしろ、60年代末の全共闘運動にしても、あるいはその後の労働運動だってそう。特にある時代の労働運動なんてひどいでしょ。集会があって、日比谷野音とか、明治公園とかに一万人以上集まって、そこからデモに出掛けて行く。それが自発的かっていうと、そこに「動員」って考え方がある。とにかく上からお達しがあって組織的に終結すると。「動員」だけじゃなくて、たとえば、土本典昭さんのドキュメンタリー映画『パルチザン前史』を観てわかるのは、たとえば、69年の「全国全共闘連合結成大会」、様々なセクトが集結して、もう、いま観ると笑えるほど、それぞれが自己主張して「共闘」なんて名ばかりにしか見えない。自分たちの存在を誇示するような場所ですよ。ヘルメットに覆面、角材を手にして、それはそれで演劇的かもしれないけど、いまとでは「演劇観」がちがうんだよな。しかもそれは一人一人が「パフォーマー」って言うより、スケジュール闘争っていうのかな、わたしたちはこんなに戦闘的でしたよ、ほかのセクトには負けていませんよ、っていうかね、なにしろ、その「全国全共闘連合結成大会」に初めて登場したのが、赤いヘルメットの「赤軍派」で、ほかの党派を圧倒したって話がある。パフォーマティブではあるけど、そのことから出現する悦楽性が薄いんだよね。むしろあの時代のある硬直した政治運動の一つの姿だったようにしか感じられない。

牛田 そうですね、多分、見せる方向も変わったのかなと思います。見せようとする方向が内輪を向いてないというか、外に向いている。今までの運動っていうのは、きっと誰かがリーダーでいて、それが内輪に働きかけていた。けれども、今はむしろ参加している人全員が、ある意味「主役」で、メディアに向かってどういう風に映るかということを考えてやっている。そのことが、やっぱり組織の違いとも繋がってくると思っています。

神宮司 うん、そうだね、違ってきている。

牛田 例えば僕はデモではコールを仕切っているんですけど、コールをする人に必ず言っているのは、「コーラーは主役ではない」ということです。コーラーはデモに来ている人の声を集約する一つの結節点に過ぎない。面白いんですが、そうやってコールをしてると、本当にコーラーの側がみんなの声のレスポンス(応答)になる気がしてくるんです。特に夜遅い時とかには、スピーカーが使えないから、ずっと同じコールをして、波のようにコールが伝播していくみたいな形を作る。するともう声の「主役」がいないというか、関係なくなって、むしろ誰でもが「主役」になるというような状況になっていく気がする時が確かにあります。

桑原 なるほど、それは面白いね。

牛田 そういう「主役=リーダーがいない団体」という考え方は、僕らがSEALDs の前のSASPL っていう団体を作った時にもうあるんです。リーダーを作らないで、一人一人がリーダーであるっていうことにした。なんでかというと、「団体」というのは結局フィクションに過ぎなくて、僕らはみんな個人だし、みんな違った経緯でそこに参加しているから、一人一人に考えを聞いて欲しいんですよね。「団体は思考しない」ってシモーヌ・ヴェイユという人が言ってるんですけど、「一人一人孤独に思考し判断する」っていうことをしないとダメだと僕は考えていて。だからこそ、そこにたまたま集まってしまった「共同体」っていう風にしたんです。つまり集団になりえない人たちが、それでもそこにいざるをえないという形で存在する「集団」というか。

宮沢 だからか、国会前って誰がいつ来ても、いつ帰ってもいいっていう状態じゃない。

牛田 そうですそうです。

宮沢 仕事終わった後に行ってみて、1時間とか2時間とかいて、帰んなきゃって帰っても全然ダメではない。僕が行った時にはもうすでに帰ってくる人たちがいるっていうことも普通にある。そういう出入りの自由さみたいなもの、デモの有り様っていうのが、かつてはなかった気がするんですよ。

牛田 そうですね、だから色々と仕事が増えたりしてなんか義務っぽくなってくると、僕がもう罵倒するんですよ。「義務」になったらこの運動はおしまいなんだって言って、義務にしちゃダメだと。だから俺の遅刻を許せと、俺の遅刻を遅刻として怒る奴はダメだとか言って。(笑)

一同 (笑)

個人がたまたま集まってしまった「共同体」

桑原 宮沢くんは演劇の作り方自体を常に革新的にしようとする姿勢でずっと来ていましたよね。そういう立場で見たときに、牛田くんが言う、「誰もリーダーがいない」ということを、これだけはっきり出していたグループは今まであまりなかったと思うんですよ。

宮沢 そうですね、

桑原 「組織」ではない、あくまでも「個人」の集まりというような彼らの動きに、僕はこれまでとは違った希望を持ったというか、もしかしたらオルタナティブっていうのは本当にあるのかもしれないということを感じました。宮沢くんは、そうした彼らの一人一人の、「出演者」としての動きをどう見ていましたか?

宮沢 それはもう、身体の変容ですよね。1 つはリーダーってこういう姿でなければけないっていうような「型」があるじゃないですか。過去の運動はそうですよね。戦闘的なヒーローが必要とされる。さっき話した「全国全共闘連合結成大会」には、「山本義隆」とか、「秋田明大」という固有名があった。今の運動はそれぞれの参加者が、そうした過去の「運動」って呼ばれる「型」に必ずしも当てはまらなくてよくなった側面があると思うんです。「型」というのは、例えば、ある種の「政治家」に顕著だと思うんですが、ある自治体の首長に会って話したことがあるんですけどね、それまで普通に喋っていたのに、壇上にあがって演説を始めると人間が変わる(笑)。突然、声から喋り方からすべてが変わる。とんでもない変貌です。それはある種とてつもなく古い意味で「演劇的」ですよね。ある種の「演劇」と同じです。気持ち悪くてしょうがない(笑)。たとえば、友達の芝居を見に行くと恥ずかしいんですよ。こいつ普段ああなのに、何してんだよって言いたくなる(笑)。政治家も同じで、こういうふうな形でなくてはならないという「型」にはまっているのを見るのは、恥ずかしいし、居心地の悪さがある。

牛田 それと同じようなことを、学者の方とかがスピーチする時に感じる時があります。もちろん人によるのですが、そうした「学者っぽい」話し方をする人よりも、SEALDs メンバーとかの普通の、一般人としての言葉で話す人の話し方の方がむしろ伝わるんですよね。

神宮司 自然体で話している方がやっぱり伝わる感じがする。

牛田 それと、政治家の人とSEALDs メンバーで違っていることとして僕が今思っているのは、「舞台」というものの関わり方なんです。やっぱりある種の「舞台装置」がないと、そのメッセージは伝わらないということがあると思うんですが、政治家の人は、言葉を発するときに、こういう舞台を作るぞというようにして「ステージ」を作ってるように思える。でも、SEALDs のメンバーはその舞台に「すでにいてしまっている」感覚があるというか。今の日本という、この現実そのものを舞台として立っているっていうところがあると思うんです。「型」の話とも繋がると思うんですが、今ある「舞台」にさらに加工して舞台を作ろうとすると、なんか違和感があるっていうことだと思うんですよね。

宮沢 どんな舞台であろうと、政治家が、ある加工したパフォーマンスの空間を作ってしまうっていう。それはおそらく「政治手法」の一つとしてあるのかな。より多くの人に主張を訴えなきゃいけないという、声の伝達の方法として、ある手法の一つを発見したということでもあるんだろうと思うんですよね。繰り返すようだけど、ほーんと、気持ち悪いよ、あれ(笑)。

牛田 なるほど、それでその手法がきっと日常の僕らの生活とはかけ離れちゃってくるっていうことだと思うんですよ。

宮沢 うん、だからそれで、SEALDs のスピーチや、いまの若い世代の演劇は、ごく普通の、というか、ごく当たり前の声の出し方になる傾向が強くなってるんだと思う。声に関しては、それまでの演劇にしろなんにしろ、訓練された声の出し方があって、声優を考えてもらえれば分かりやすいと思うけど、たしかに、俳優や声優の、「声のよさ」とか、「声の強さ」は否定しようがないよね。いい声は、いい声だよ。でもいい声を聞くと、ときどき笑えるよね。というかそんなこといい声で言う必要はないっていう時がある(笑)。30年前に経験したことなんだけどさ、茂一さんや伊武(雅刀)さんに初めて知り合った頃ね、伊武さんとタクシーに乗って一緒に帰ったことがある。たしか参宮橋の住宅街に入ったあたりだと思うけど、そのあたりで伊武さんが降りるんだよね。すごく入り組んだ道なんだけどさ、ここから大きな道にどうやって出るのかって、伊武さん、例の、あのいい声で、運転手さんに説明するんだよ(笑)。そこいい声じゃなくていいだろっていう(笑)。一同:(笑)

宮沢 なんか違和感があって、場にそぐわないっていうか。もちろん伊武さんはほんとにいい声だよ。でも、それでなんか笑っちゃって、すげえ面白かった(笑)。

国会前という非日常的な場=クラブ?

神宮司 そういう「声」というか、今の運動の中では、そこに参加する人がそれぞれの言葉を、特に力んだり、無理に型にはまって作ったりするわけでもなく普通に発するようになってるということですよね。それで、その一つの「舞台」になってるのはやはり国会前だったと思うんです。

桑原 国会前という「場」ね。

神宮司 僕はデモの場では、交通整理とか諸々をやっていてよく移動していたんですが、奥の方に行ってみると、ただお茶を飲んでいるおじいさんとか、座って携帯を見ていたり、ただ話をしているだけの人も沢山いるんですよね。それでもあそこにいる人も、あの「場」を作ってる「出演者」である気がするんです。一番前でコールをしている人だけがデモの参加者では全然ないというか。

桑原 なるほど、面白い。それと今考えてみると、国会前っていうところは、ある種の空白地帯だよね。ある種、あらゆる今までの都市の中で、ぽっかり空いたブラックホールのような所なのかもしれない。

宮沢 国会前ってすごく行きづらいですよね、地下鉄はあっても、あんなアクセスの悪いところってあんまりない。

牛田 そうないですよね。(笑)

桑原 だからこそ非日常的な空間になりえたのかもね。

神宮司 近くにトイレもないし、自動販売機もほぼない。よく考えれば本当に行きづらい。

牛田 でもそういう「場」たりえたのは、そういった非日常性や、あそこまで行くまでの警察の嫌がらせ的な誘導とかが逆に、良かったのかもしれない。ダンジョン的な感じがあったのかも。(笑)神社とかも、本堂にたどり着くまでにあえて曲がりくねった道にするらしいですし。それと割と近いのかもしれないですね。(笑)

神宮司 バイトが終わってちょっと遅れてデモに行くと、国会議事堂前の駅から出た時に音が微かに聞こえて来て、みんなやってるなーという感じがする。

牛田 夏祭り的に、なんていうか、こだましてるし。(笑)

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(C) 2016 SHINTAYABE

宮沢 それはサッカーとか、野球を観に行くときのワクワク感だね。スタンドに入る前に中からワーって盛り上がってる声が聞こえるんだ。何があったんだろうって、早く行きたくてしょうがない。

神宮司 確かに、駅から出ると、謎のチラシを配ってる人たちが一杯いて、関わっちゃいけなそうな人たちも時々いて、それがなんか、サッカーとかを観に行く時の駅の近くにいるダフ屋感があるっていうか。(笑)

牛田 (笑)あとは、国会前に行くと、知っている誰かしらがいるんですよね。特に普段政治の話もしないし、全然会ってなかった友達とかに、たまたま国会前で会ったりするとめっちゃ嬉しいんです。

宮沢 僕はANI(スチャダラパー)に会った。

牛田 あ!そうなんですね、すごい。

宮沢 それでこのあいだ、ANI とべつのところであったとき、「また国会前で」って言って別れた(笑)。

桑原 なんかそういう時って、お互いにちょっと誇らしい気持ちになるんじゃないかな。なんか、それが面白いよね。

宮沢 そうですね、普段会わないのに、じゃあどこで会うかっていうのがあるじゃないですか。それはライブ会場かもしれないし、クラブだったりするかもしれない。そういう場所と同じような意味で、「国会前」が非日常性の強い場所になったっていうのは、意味があったかもしれないですね。あれを「フェスに過ぎない」って批判する人もいるけど、「いや、フェスですけど、なにか?」って感じだよね(笑)。

桑原 そういう場所で、人と出会う時に生まれる誇らしさみたいなものってなんなんだろうね。

宮沢 たしかに誇らしさはあるんですが、だからといって、あそこにいて運動やってると偉いとか、そういうエリート主義みたいになってしまうと違う。いろんな事情で国会前に行けない人が、かなりいるわけじゃないですか。会社の残業もそうだけど、子どもの面倒を見なくちゃいけないとか、バイト入ってるとか、牛田くんもかなりバイト入ってたじゃないですか(笑)。

牛田 めっちゃバイト入ってました。(笑)

宮沢 それ笑ったんだ、牛田くんバイト入ってるなーって(笑)。そういう人がかなりの数いるわけだけど、それでも、行かなくても、今の時代はなにか繋がってるという感じもある。

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(C) 2016 SHINTAYABE

神宮司 そうなんですよね。面白いのが、例えば国会前にいたとしても、皆結構twitter を見ていたりしていて。ちょっと離れたところで国会前の状況をSNS に上げて、他の人がそうしているのもまたスマートフォンで見ていた。ある種ウェブ上も場になっていたというか、それを見ていることの共時性みたいなものがあったと思います。だから国会前に行けなくても、毎週金曜日の夜にリアルタイムでtwitter の状況を見ていた人は場をある種共有していたような気がするんですよね。

牛田 そう思います。国会前という場と、SNSも場になっていた。

終わらないプロセスとしての、「運動」

宮沢 高橋源一郎さんが、SEALDs の奥田君、芝田さん、牛田くんと対談した本があるじゃないですか。その中に、民主主義の中で民主主義を学ぶっていうことが言われていた。かつてだったら、集団とか、党派と呼ばれる組織では「綱領」と言われる、つまりルールが書かれたマニュアルがあったわけですよね。しかし今の運動は、どういうふうにしていくかっていう、かつての言葉で言えば「運動方針」自体が存在しているわけではなくて、行動の中で自分たちが学んでいくっていうようになっている。それは「終わり」がない、「目的地」がないってことじゃないですか。でも、そうした「どこまでも結論が出ない学び」というものがきっとあって、その学んでいるという状態自体が「運動」として動くこと、それ自体に意味があると思うんです。僕はものを作る時もそんなふうに考えている。その都度結論があって、そこの結論に向かっていくのではなくて、結論はないんですよね。だからとりあえず出発してみる。試行する。で、お客さんにもその運動状態みたいなもの自体を見に来て欲しいと思っている。

神宮司 すごく本質的な話だと思います。

宮沢 それで、今の政治運動っていうのも、運動の中で学んでいくっていう、そういう形の方が人は動きやすいんじゃないかって感じるんだよね。過去に運動していた人たちはどうしてそうできなかったかって考えると、ベ平連とかはちょっと違うのかもしれないけど、局面ごとに運動があったとしても、その先に「革命」という大命題があったこと、「革命」のための理論ありきの運動が第一の目的だったとしか考えられない。ある時代には、その理論の意義も存在したと僕も考えるけど、いまそれが有効かって考えると難しいでしょう。

牛田 そうですね、そもそも理論があるところでの運動っていうことですよね。その中で経典がある。例えば、『資本論』が全部悪いというわけではないですし、マルクスはすごいですけど、過去の運動の失敗を考えると、観念と、自分の今生きていることが倒錯してしまったらダメだと思うんですよ。生きているということが前提にあって、観念を使いこなすことにしなくてはならない。それが逆転して、観念が先になってしまうと、結局旧日本軍ていうか、戦時中と同じになってしまって、国家のために人がいるっていう風になってしまう。そうやって理論や観念のために人がいるっていう風になっちゃうと、ダメになってしまうんですよね。

宮沢 そうなんだよね、逆だからね。

牛田 そうなんですよ、生きてるということがまずあるということですよね。そこはすごく意識してやっていますね。

宮沢 そうやって始められたのも、おそらく過去の運動が一度終わったっていうことがよかったんだよね。過去にあった方法論で、上からの指示や指導で作るっていうことでもなく、それがダメになったから何も知らない人たちが運動を始められた。それはすごいことだと思う。これまでの運動で指導的だった、「ニューレフト」と言われている人たちも、70歳から、80歳だからね。どこがニューなんだという(笑)。そのことは薄々1975年の時点で感じてたんだけどね(笑)。

牛田 相当前ですね。

宮沢 なんか変だなと思い始めたのは、「狭山裁判」の運動かな。埼玉の狭山で殺人事件が起きた。石川さんという方が逮捕されたんですね。いまでも僕は冤罪だと思っていますが、冤罪だと被告側が主張する裁判の支援運動に行くと、被告にさせられた石川さんのことを運動している人たちが、「石川青年」とか、「石川くん」って呼んでた。でも、その当時、どう考えても僕より年上だったわけで、いまさら石川青年じゃないだろと思ってた(笑)。そのあたりから少しずつこうした運動の、「理念」というより、「方法」に疑問を持ったんじゃないかな。ニューレフトはね、いつまでも若い運動でなければいけなかったんだよ。60年安保の時の全学連も、六〇年代末の全共闘もそうだけど、上に年長の指導者がいて若い者が前面に出てるから若い運動のように見える。

桑原 うん。

宮沢 そんなふうなね、見えないところに年長者がいて、その指導の元で若い人が動いてるといった運動ではなく、一人一人が自発的にどうやって動けるか、そして運動のなか中で自分がどう学んでいけるかの方が大事だと思っていますね。それは演劇とまったく同じだし、演劇だけじゃなく、音楽でも映画でも、美術でも同じで、自分で考えるしかない。

牛田 本当にそうですよね。アートって全部そうだなと思います。先が見えない。僕も本当に恥ずかしい話で、ラップで歌詞書いてる時に、どうしても息詰まった時に、もしかしたらとか言って、Google で検索するんですよ、「歌詞 書き方」とか言って。

一同 (笑)

牛田 結局そんなことやってる自分がすごいダサいなとか思いながらも、なんかないかなとか思って、それで本当に何もないんですけど。(笑)

宮沢 なんか検索するとさ、ヤフー知恵袋出てきちゃってさ、うっかり読んじゃうよね(笑)。

牛田 そうなんですよ、うっかり読んじゃう。(笑)なんの意味もないし、なんの役にも立たないんですけど。つまり、本当に答えはないんだなというか、そういう所でやるしかないものなんですよね。それは政治とかも同じで、答えがあると思われがちなんですよね。だからこそ、安易に与えられた「答え」に、皆乗っかってしまうん。それは中国が脅威だって言えば、分かりやすいじゃないですか。敵が簡単にいて、簡単に乗っかれるっていうか。でも、現実はそんな単純に出来ていない。

宮沢 現実、僕たちが着てるもの、食べてるもののかなりの割合が中国から来ているのに、いま、みんなが中国を毛嫌いしたりするじゃない。調剤薬局に行った時にね、割とお年寄りの方が、ジェネリックの薬を貰ってたんだけど、「中国製はやめてくれ」って強い調子で言ってて、あなた、それ大変だよって思った。中国製否定したら、生きていけないよ、いま。裸で帰んなきゃいけないよって言いたくなった(笑)

正しいことを、「普通」にいうこと。

桑原 今のSEALDs の運動は、そうやって安易な答えを受け入れるのでもなく、それでも明らかにおかしいことにはおかしいと言わなくてはいけないといって動いているということだと思うんです。でも俺らの世代には、「正しいことを正しい」と言うことの恥ずかしさみたいなものの葛藤がどうしてもあるんだよね。それは、皆さんにはもうないんでしょうけど。

牛田 いや、それは俺らの世代にも全然ありますよ。(笑)

神宮司 それは多分、、僕は他のSEALDs の人たちよりはちょっと一回りだけ世代が上なんですが、僕もデモとか政治に関わることは絶対嫌だなと思ってました。それが変わったのが、やっぱり3.11 の後だった。あの時から、少なくとも間違ったことには間違っていると声に出して言わないと歯止めが無くなってしまうっていう感覚が初めて生まれた気がします。

牛田 あのとき僕は高校三年でしたね。

神宮司 そうして牛田くんたちが2014年頃、SASPL で活動し始めていた。その、おかしいことにはおかしいと言わなくてはダメだと言って実際に動いてる彼らを見て、僕も何か自分で出来ることやらないと思わされて、また変わった。

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(C) 2016 SHINTAYABE

桑原 なるほど。そうして動くことになったのは、正しいと思う価値判断は自分の中にあったからこそだと思うんだけど、その価値判断はみんな持っているものなのかな?それとも全員があるんだけど、まだ実際に行動するまではいってはいないということなんだろうか。

牛田 奥田君はそう考えてると思います。彼は「無関心層」っていう言葉を嫌うんです。無関心なんて人はいないはずだ、つまり関心はあるはずと。だから「潜在的関心層」という言葉を使うんですね。

宮沢 なるほど。

牛田 みんなが潜在的に関心があるはずなんだけど、同時に一歩踏み出すステップは大変なことだとも思うんです。だからそのステップを簡単にするために、例えばデモをやって、参加出来る器を作ろうとしたんです。ただ一方で、僕の地元の友達とか、俺がどれだけ言っても乗ってこないし、斜にかまえているのがかっこいいというか、むしろ、これが正義だという風に主張しない方がクールなんだという空気はやはり未だにあると思います。

桑原 それでも、そういう人たちも「潜在的」な関心はあるのかな?

牛田 あるはずだと僕は思いますけど、相当な壁を心の奥にある正義みたいな物に作っていて、絶対出そうとしないっていう感じがしています。そのことに閉塞感というか、自分で閉塞感を作り出してる感じがするんですよね。

宮沢 でもね、正しいことを言うのが恥ずかしいということに通じるんだけど、正しいことを言ってる人が、すごく嘘くさく見えるときもあるんですよ。

牛田 そうなんですよね。そう見えてしまう。

宮沢 演劇だったら60年代の演劇の前の新劇という、ある種正しいことを言う人たちがいた。いわば啓蒙主義ですね。その「演劇言語」がおかしいだろということで、アングラ演劇が違うやり方で……「舞踏」もそうかな……たとえば歪んだ身体を、過去の演劇に対置して作るわけだけど、その後の世代である僕なんかは、それもなんか違和感があった。つまり、あえてやってるでしょって言いたくなるわけ。それでもっと当たり前な方法、「普通」な方法があるんじゃないかっていうのが出来てきた。いわば、「当たり前の声」だよね。それは演劇だけじゃなくて、その意識みたいなものが、政治運動や音楽にも、正しいことを、「普通」にいうこと。様々なところに反映していったんじゃないかなと思うんですね。だって、90年くらいに、ボソボソ喋る演劇が出てきた時に、驚愕したからね。これはいったい何だろうと思った。でもいまや当たり前だからさ、逆にボソボソ喋るのもどうかというようになってきている。

牛田 聞こえないし。(笑)

宮沢 そのとき驚いた演劇は、具体的に言うと平田オリザの演劇なんですが、最初はなぜボソボソ喋っていたかというと、過去の演劇をやっていた俳優たちの訓練された大きな声、作られた声を出していたことへの違和感をなくそうとしてやっていたんですよね。それが何年かしてあらためて平田オリザの芝居を見ると、若い俳優たちが、普通に喋っているんですよ。「ボソボソ」も、「あえて」だったんだよね。それも必要がなくなった。「普通」の声を出している。だから、君たちの運動を見ているとそれとよく似たセンスを感じるわけ。

牛田 なるほど、それは最初に言っていたことと繋がりますね。大きい声でもなく、それを過剰に小さくするわけでもなく、普通にやるっていう。

宮沢 そう。あえて、っていうことではなく、普通の声を出して喋ってるんですよ。

牛田 本当に僕ら、奇抜なことを言ってるわけではなくて、当たり前のことを言ってるだけなんですよね。憲法守れとか。(笑)でも僕も、正義というか、正しいことを正しいということがやっぱどこか恥ずかしいと思ってるんですよ。だからそういう風にならないようにラップもしてるんですけど、この前尊敬してる先輩に曲を聴いてもらったら「牛田くんはジャスティスサイドヒップホップだね」って言われて、超恥ずかしかった。(笑)

宮沢 べつに左側とは言わないけれど、あるリベラルなことっていうのも、音楽とうまく乗る言葉にするのが難しいというのなら、それは発明しなくてはいけない。

牛田 そうなんですよ。正義の言葉というか、ある種まっとうなことを、カッコよく言わなくてはならない。それはめっちゃ難しいんですよね。

神宮司 そういう正義というか、まっとうなことを言わなくてはならないんだけれども、それを言うべき相手を考えた時、ある種のコメディ的というか悪い冗談みたいな状況があると思うんです。中学生でもわかるようなおかしいことに「違うだろ」って言うことの虚しさというか、こんなことも言わなきゃいけないのか?っていうことがある。例えばドナルド・トランプみたいにアメリカの大統領になるかもしれない人が、平気で差別発言をしていたり、この国でも「最高責任者は私だ」って言う人が総理大臣だったり、「憲法守れ」と言わなくてはならない。でもそれを冷笑して、笑っているだけではどんどん状況が悪くなってします。

桑原 やっぱりそれは笑いでは返せない?

牛田 もちろん笑いは大事なんですけど、誰を笑うというのが問題だと思っていて、おそらく、その世界自体を笑っちゃうと、それがそのまま肯定されてしまうというか。

宮沢 それは、笑いの質がいろいろあるっていうことだと思う。批評性を持ってトランプを見たときに出てくる笑いっていうもの、これはコメディの王道だし、それは、大いに笑っていいと思う(笑)。批評性を持って笑うこと。大いにね、豪快にね(笑)。

神宮司 なるほど、それは忘れてはダメなことですよね。

宮沢 全然関係ないんだけど、僕が毎年学生に見せていたものがあって、うちの近くにある予備校があってね、よく予備校ってどこでもやるでしょ、どこの大学に何人入ったって垂れ幕をかけるやつ。その予備校もやってたんだよ。見ると早稲田に30人とか、筑波大に20人とかあって、だんだん見てったら、日本体育大学655人ってある(笑)。とてつもない数だよ(笑)。すごい予備校があるんだなあって、

一同 (笑)

神宮司 多すぎる。(笑)

宮沢 そういう笑いはちょっと、いいと思ってるんですよね(笑)。ただね、菅官房長官が何かの記者会見の時に、記者の質問を鼻でせせら笑ったんだ。あれは冷笑主義だと思う、気持ちが悪い。

2016 年、選挙。新しい「政治」のあり方を模索することについて。

牛田 いや、本当にそうで、そういうものに対して去年は「憲法守れ」とかって言って、デモをやりましたけど、今年は、もうすぐ選挙がある。声を票で表さないといけない。それをSEALDsとしても、どういう風にするかっていうのは模索中なんです。どうやったら「市民が参加する」、「市民で勝つ」ということが出来るか。そういう形の選挙の運動が、まだ日本に全然ないんですよね。結局、政治家が舞台を作って、政治家がやっている。そうじゃなくて、市民が舞台を作って、自分たち自身で勝つということをどう作れるのかだと思います。

神宮司 去年のデモの流れから、そういうことがちょっとずつでも根付いていっているんじゃないかと思うんです。政治に参加することのハードルが下がっていたり、自分の意見を主張することが決しておかしいことではないという感覚が生まれている気がします。

牛田 そうだと思います。実際に投票に行くだけなら、2秒で出来るので、この選挙ではそれ以外に、自分が何ができるのかを模索していくという感じですよね。SEALDs は去年あそこに来ていた人の声の器みたいなものとして国会前にいたんですけど、今度は選挙で、政治家自体が人々の声の器になる。政治家、「代議士Representative」の元の意味で、僕らの声の集積地点として、僕たち自身のRepresentation=代表になってもらわないと困る。今年の選挙は、そういう動きになっていくと思うんですよね

桑原 なるほど。僕たち自身を代表させること。

牛田 しかし選挙となると、良い「場」がなくなっちゃうんですよね。みんなが集まれる場、国会前みたいなところが。だから、どうやって結束を持たせようっていうのは結構難しいところで。やっぱりクラブイベントとかやるのがいいのかな。(笑)それは模索中です。

神宮司 前のdictionary で、牛田くんが言っていたことでもあるけど、サミュエル・ベケットの言葉、”Ever tried. Ever failed. No matter. TryAgain. Fail again. Fail better.” っていう言葉、「トライして来た、でも失敗して来た。問題はない、また続ける。また失敗する。よりよく失敗する。」っていうことなんだと思うんです。今ある運動は成功すると全然保証されている運動ではない、それでもだからこそその失敗も含めた模索をどんどん次に繋げて行こうとする。

牛田 そう、もっと長い目で見ています。その長い目で見れることが、一番の希望じゃないかと思っていて。今回の選挙で例え負けたとしても、次の選挙あるし、その次の選挙もあるし、その次も。っていうことなんですよね。

宮沢 そうなんだよね。

牛田 はい、意外と生きてるっていう。(笑)

宮沢 2000何年かの衆議院で自民党が圧勝したことがあったじゃん、郵政民営化を掲げた小泉首相のとき、あのとき絶望的な気分になったけどさ、その後もまあなんとかなったなっていう(笑)。

牛田 そうなんですよね。意外と、まだ生きてるっていうこと自体が、すでに希望になるというか。

桑原 希望か、それでは、日本の政治を振り返った時に、少なくとも、あの時は評価してもいいっていう時代はある?

一同 ・・・

牛田 誰も何も言わない。(笑)

神宮司 いやでも、どんな時代でも何かやってきた人がいから、今に繋がってるとは思うんですよね。ずっとこれまで立ち続けてた人たちがやってたから、バトンを繋げてもらったなっていう感覚があるというか。どんな時代でも最悪なことはあるし、素晴らしいこともあるというか、掘っていったら凄いことをやってる人は絶対いるっていう。それを自分たちもやるしかないというか。

牛田 そう、ですね。一番大事なのは「系譜」の意識だと僕は思っていて。SEALDs に特に強いのはそれだと思うんですよ。家系図のような歴史の感覚がある。これまで続けてきた人がいるからこそ、これからも続けてられていくだろうっていう。それこそそれは政治だけじゃなくて、茂一さんとか、宮沢さんがやっているような文化自体が、そういう意思を持っている限りは、終わったと思ったとしても常にまた出てくるっていうものだとも思うんです。だからこそ、続けるっていう気持ちさえあれば、続いて行くんだと思うんですよね。そうして僕らの下の世代がこれからもっと凄くなるんじゃないかと思いますけど、やっぱそれは希望ですよね。

宮沢 うまくそこにバトンを渡せるかどうかだよね。

牛田 そうなんですよ、伝わるかっていう。

宮沢 今やらなきゃいけないのは、そのバトンの渡し方っていうのを考えなくちゃならない。たとえば連合赤軍事件とか、オウム真理教が起こした一連の事件は絶対的に否定せざるを得ないけど、最初に持っていた志だけは必ずしも悪いものではなかったんじゃないか、運動としてもどこか明るさがあったと思うんです。でもその最初の志がどこかで歪む。崩れてしまう。おかしくなってしまった。

牛田 そうなんですよ、それは本当にあると思います。

宮沢 どれも若いときの、若い運動だよね。

牛田 シモーヌ・ヴェイユ、っていう、さっき言った「集団は思考しない」って言った人が、思考するのは個人の営みであると言っているんです。例えば、国家が悪い「集団」として存在している時に、それに反抗しようとする人たちが、最初は良かったんだけど、それが「集団」になってしまった瞬間に、国家が持っていた、悪いものを再生産してしまうと言っていて。それは、SEALDs が始まる時、僕は最初からそれが一番まずいということを思っていたので、常にそうならないためのストッパーの役目としていたんですよね。そうしないと、日本は特に集団性が強いっていうか。

これから来る未来への責任として、続けること。

牛田 そうなんです、本当に誰も責任を取りたくないし、その誰も責任を取りたくないということがずっと続いて、負の遺産がどんどん未来の世代に押し付けるっていうことになる。そうなればなるほど、もうこの責任負いきれねえよってなっちゃってるんですよね。そんな簡単に負えるものでなくなってきてしまう。

神宮司 うん。どんどん無理難題になっていく。

牛田 一人一人が主権者であるということは、主権って何かって言ったら、一番重要な権利、政治の最終決定権なんですけど、それを国民一人一人が持ってるっていうことは、当然その責任も負うわけじゃないですか。僕が最近まで気が落ち込んでいた理由は、南スーダンに今自衛隊を派遣しようとしてることについて考えていたからなんです。

桑原 南スーダンへの派兵ですね。

牛田 南スーダンってどういう場所かっていうと、男の鬱憤を晴らすために女性をレイプしても構わない、違法ではないという場所で、かつ反政府軍みたいのがいる、それが普通の家とかに入って行って、両親を殺して、子供に銃を突きつけて、今ここで死ぬかうちの軍に入るかどっちだと言わせて、子供に銃をもたせて戦ってるような社会なんですよ。そういうところに自衛隊を派遣しようとしている。なぜそんなことをするかって言ったら、そこで日本の武器が有能だって分かれば、中東で売れるからという状況が少なからずある。

神宮司 うん。

牛田 そんな最悪すぎる状況に自分も、概念上は加担している。選挙で僕が、それを選んでなかったとしても、間接的に選ばれちゃってるわけですよね、安倍晋三が。ということは形式上は僕らは安倍晋三に委ねてしまってる状態なわけじゃないですか。すると安倍がやった最悪なことも、僕らが責任を負わなくちゃいけなくなる。そんな責任大きすぎて負えねえよっていう。ただ、、未来の子供達のために責任を負わなきゃいけないですよね。大人として。僕も結婚していつか子供を持てたらと思いますけど、その子供に、「産んですまなかった」って、言わないでいられるだけの自信が、今はない。「こんな所に産んじゃってごめんなさい」っていう風に、言わないですませるだけのことを、自分はこれからできるのかっていうことを考えちゃいますね。結構SEALDs メンバーみんなそういう風なことを考えているっていうか。

宮沢 うん。だから、割と女の子に多いんだけど、意外な人がtwitter で、今の状況をかなり切実に感じてる意味の言葉を発言する。こないだ、いま子供を産むということはどういうことかについて考える芝居のワークインプログレス、つまり、創作の途中経過を見せるっていう公演をやったんですけど、反響がすごく大きかったんですよね。子供を産むということ、あるいは産まないということを選択するっていうのは、いろいろな意味がある。その中にはやっぱり政治的なことを、切実なこととして考えている人が多くいることを、あらためて知った。

牛田 なるほど、本当にそうで。だから、これからの希望としてあるのは、やっぱり本当に未来に生まれてくる子供達なんじゃないかと思うんですよね、つまり、そことの接続点を作るっていうか。未来を完全に見えないものとして考えるのではなく、自分あるいは今の世代の誰かが子供を産むだろう、そしてその子供が未来を生きて行くだろうということから、未来を考える。そういうある種のとっかかりさえあれば、そのためにどうすればいいかっていうことを考え始めるんだと思うんです。今は未来に何にもいいことなさそうで、でもだからと言って怖がって未来を見ないようにしていると、どんどん本当に悪くなってしまう。観念を持ち出して、国家とか理想とかを持ち出すと、今までのように失敗する可能性が高い。むしろ未来も、子供達は生きていくこと生きていくことっていうことをとっかかりにするっていうか、「そのために」、っていうことを考えるのが一番健全で、希望になるんじゃないかと思うんですよね。

桑原 それって何かもうちょっと具体的に、小学一年生の何々くんが大学一年生になるまでを、みんなで責任持とうっていうストーリーは出来ないのかな。あまり遠くに離れたものではなくて、直にコミュニケーション出来るようなそういう未来を考えることは。

宮沢 かつての町内会がそうでしたよね。町全体で子供を育てるという、小さな共同体ですから。しかし、そうした共同体の、特に地方にはいいところもあるんだけど、嫌なところもある。裏返すと、「町全体で子供たちを育てる」っていうのは、いつも監視されていることでもあるでしょ。一方で、そういうのが薄い東京のいい面もある。たとえば、ある知人が同性婚をしたんですが、彼女が言うには、東京だったら誰にも何も言われない。つまり関心を持たれない、ということが自分たちにとっては幸いなことであると。田舎だと、そうはいかないでしょう。コミュニティが小さいですからね。

桑原 うん、なるほど。

宮沢 このあたりの均衡の整合性をどうすればいいかむつかしいですよね。いまの時代では、子供を全員が見つめるという小さな村を実質的にはもう作れないわけですから。だからネットを賢く使うこと、たとえばSNS の力を使うとか、知恵を働かす余地はまだまだありそうですね。たとえば、いきなりなたとえだけど、暴走族ってダメになったじゃないですか(笑)。少なくともある時期に比べたらまったくダメですよね。ところが、最近また復活したんです。何がそれを促したかっていうと、LINE なんですよ。LINE のID を教えといて、ラインで連絡とって、何時にどこそこで集まって走るという(笑)。すごいですよ、いま、暴走族も(笑)。なぜそういうふうになっていったかっていうと、やっぱり「運動」とよく似てるんだけど、かつては暴走族は頭、ヘッドがいて、それが嫌だったらしいんだ(笑)。

桑原 リーダーのいない暴走族ということ?今は。

神宮司 構造的には、SEALDs と同じ(笑)

宮沢 その組織論が、みんなもう鬱陶しいんだよね。それを新聞で読んでちょっと笑ったね(笑)。単に走りたい人たちなんだ。

神宮司 暴走族というか、新たな概念なのかもしれない。(笑)

牛田 リゾーム的な暴走族。(笑)

宮沢 しかし、暴走族ではないですが、演劇の集団のあり方とか、政治運動のあり方もそうですけど、とんでもない方法がまだきっとあるかもしれないんですよね。まだ誰も知らないんだと思うですよ。たまたま、ロシア革命が起こったりとか、キューバ革命が起こったから、ああいうものだと思ってるじゃないですか。革命って。

桑原 そこに引っ張られている。

宮沢 でも、きっと違う方法があって、異なる変わり方っていうのが存在しているかもしれない。過去の「革命」のように、政治体制を暴力的に転覆させることだけが「革命」じゃないでしょう。いまあるこの政治状況の中で、これまでとは全く違う方法で変化させる方法があるかもしれない。あるいは、「敵の作ったルールのなかで、その裏をかく」という方法とかね。オルタナティブってそういうものだなと思うんですよね。だから、かつてモデルがあったことに合わせて動こうとしないことでしょうね。むしろ、運動しながら学んでいくし、そこから偶然発見されることがあると思うんです。だから、運動は続く、運動と言っていいのか、アクションは続けていかなければいけないと、強く思っています。


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宮沢章夫
劇作家、演出家、小説家

1980年代半ば、竹中直人、いとうせいこうらとともに「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始、すべての作・演出を手掛ける。90年『遊園地再生事業団』の活動を始める。93年『ヒネミ』で第37回岸田國士戯曲賞受賞。「ニッポン戦後サブカルチャー史」(NHK出版)他著書多数。
「遊園地再生事業団と主宰・宮沢章夫のサイト」
http://www.u-ench.com/

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神宮司博基

音楽が好きな青年、大学院生 。 本誌に連載中のBACKTO CLASSICs 執筆・構成担当。

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牛田悦正

1992 年、東京生まれ。Rapper、大学生 。BACK TO CLASSICs 執筆担当。Tha Bullshit メンバー。

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SEALDs

SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10 代から20 代前半の若い世代です。
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