
『日本音楽選曲家協会』 トークセッション
2025年2月24日atKYOTOMETRO
TORIBACOFFEEKYOTO2YearsAnniversary「freedomdictionary亅presents日本音楽
曲家協会集会/革命舞踏会in京都にて
「選曲とは何か?」をテーマに乗原一.田中知之大沢伸一沖野修也のトークセッションが開催されました。
少年時代の音楽とダンスの起点に始まり「クラブキング』での邂逅。この道に入った最初のきっかけ。’80年代の音楽シーンから現在に至るまでのクラブの変遷。インターネットSNSAIの登場でめまぐるしく発展するもの崩れるものがある
時流のさなか、音楽曲に対する変わらぬ価値とは何なのかを語りあいました。
◆桑原茂一[初代選曲家]今、自分たちの音楽をつくるとき、役割はどこにありますか?どの辺りのどういう人たちが自分にとってオーディエンスなのか?見えるか見えないか、それともそんなことは全く気にしないのですか?
◆大沢伸一[DJ・音楽プロデューサー]聴く人がいなければ作らないんだったら、僕らは音楽を作っていない。今、しいかな「誰にも見向きもされないんだったクリエイトしない」風潮がでてきているので、それは僕らは申したい。「承認欲求」って、この10年~20年あたで、僕らがインターネットから括りつけられた最大の十字架。「認めてほしい」「振り向いてほしい」「たくさんの人にいてほしい」は当然僕らにもあります。でも、何かを表現したい初期にはな
かった。DJのとき、「お前らにわかってもらえなくて結構!」「オレがやりたいことやってるだけだから!」って暴言吐いたりする。
茂一さんの世代から受け継いだ「表現者としての反骨精神」は、理解されたいからやってるわけじゃない。声を大にして今から何か表現を目指している人に言いたい。誰にも分かってもらえなくても自分が表現する場所はある。今、そんなこと言ってると「バカじゃないの!?誰もかないのに何のためにやるの?」と言われる。誰にも聴かれないけど、自分のためにやることは当ある。
◆沖野修也[DJ・音楽プロデューサー]絵は需要がないのでやっていませんが、曲は需要がないけどめちゃくちゃ書いてる。僕の音楽はヨーロッパで流行ってるわけではないのです。独自の路線でやってるんで。
でも、自分で表現したいことでお客さんが集まるというのが、自分のなかでひとつの
僕が曲を作るとき、だと思う。
ヒットやセールではなく「自分がかって書いた曲より、より良い曲が書けるかどうか?」が、僕にとって重要。逆にいうと、それしか関心がない。今は。
◆田中知之[DJ・音楽プロデューサー]人の「いいね!」より、自分の「いいね!」なんですよ。自分の一個の「いいね!」があれば、人の100個の「いいね!」とか、全くもう関係ないよというふうに多分お二人も思ってるし、僕も思ってる。自己示飲みたいなものって、他人に対しての自己示みたいに思われがちだけど、自分に対しての自己示なんじゃないかな。そうだとすると自分の納得するものをリリースすればいいだけなんで。人が聴いてるとか、もはや関係ない。だけど、そういうものって人は聴いてくれると思うんですよ。そういう一抹の希望が音楽にはあるんじゃないかな。マネタイズするのが音楽って難しくなってしまったし、そんななかで「音楽作ってる意味」「DJやっている意味」「曲やってる意味」が絶対にあるからやってる。
この度、「freedomdictionary」スタッフとして、トークセッションの取材をさせていただきました私は、広島県福山市でタロット鑑定の館を営んでおります。トークセッションでは、大沢伸一さんの「ダンスこそ、肉体をともなう非言語カルチャーのトップ!」というメッセージも発信され、私は鑑定士として“非言語カルチャー”というキーワードにタロットと音楽の親和性を感じたのです。
タロットは形而上学的に、キリスト教が色濃く反映されています。
旧約聖書創世記第11章バベルの塔では、「人間たちの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と審判が下されました。人間たちは共通の言葉(始)を失い意思の疎が出来なくなってしまったため、バベルの塔を完成させることはできませんでした。共通の言葉を失った私たちは、「音」や「絵」でコミュニケーションを図るように試されているのです。
タロットの絵札には、万国共通の普運的な「象徴・記号・寓意図象」が導入されています。そこに描かれているアイテム全てに細密なルールが内包されており、それを読み解き翻訳することが私の役割です。
言葉がなくとも通じ合う“非言語カルチャー”。それは、私たちがパベルの塔よりも秀でた世界を構築してゆけるキーワーなのかもしれません。
江村理美
タロット
明東館
www.meitoukan.com