HARUOMI HOSONO INTERVIEW / The Dictionary NO.9

構成 桑原茂-

簡単にいうと、今、トレンディーなことは、先祖帰りだと思うわけ。

88年、春。細野晴臣氏と私は、環境願望ビデオ「ピース・オン・アース」の音楽制作にインド特有のサウンドを求めボンベイに向かった。天国と地獄が目の前にあるボンベイ街は、毎日のように雨が降りりつづき、ついに通りは川になった。
89年、春。細野晴臣氏がパリでソロ・アルバムを完成させた夜。コ厶・デ・ギャルソンのパリコレクションの選挙区を明日に控えた私は、デリー・ギリアムの新作「バロン」を観た。二人がすれ違ったパリは、その夜雨だった。
89年、つゆ(梅雨/陽暦(太陽暦 新暦)で6月10日ごろから7月10日ごろまでの間、降り続く雨の季節)そして、インタビュー当日、雨が降った。

桑原: 細野さん、四十二歳でいいんですよね。

細野: えーっと、そうだと思うよ。多分………あれ、まだ四十一だよ。

hosono1桑原: 七月九日で四十二ですよね。と言うのは、ここに、面白い本があるんですよ。『年齢の本』。この作者は確か、ライアル・ワトソンの先生だときいたんですが。「裸のサル」をかいた人なんです。

細野: デズモンド・モリス。そう。かれは、ライアル・ワトソンの先生。

桑原: この本は、脇大な伝記をもとに研究し、人間をゼロ歳から百歳まで、一歳刻みで、詳しく論じたもので、人同に対する、認識が変わるというか、歳を取る事が楽しくなる本なんです。で。最初に細野さんの歳を聞いた訳です。では、ちょっと、細野さんの歳の所を紹介すると。
四十二歳は、ある人々にとっては幻減の年であり、他のの人々にとっては自足の年である。「テン」という|映両の中で。主人公が自分の誕生日を祝って、次のような歌詞を作る。”人生は四十歳から始まるというけれど、それは嘘だった。そして、突然、魅力的な親しい女友達を捨てて、自分白身のセックス・アピールの尺度に照らして10点満点の、若く美しい女の子を熱心に追い求めていくのである。つまり、沈滞している人生に過剰反応を起こしたのである。その代価がどのようなものであろうとも、人生に活力を与えることの方が重要だったのである。とはいえ、こうした荒治療が必要でない人々もいる。仕事がますますチャレンジに満ちあふれたものであったなら、中年期に達していることなど、ほとんど気付かないだろう。」
というわけです。ちなみに。私の歳、三十八は、発明家の年齢だそうです。また、同じ年に、ニール・アームストロング、アポロ計画の船長が月に降りたとか、細野さんと同じ四十二歳では、ウッディ・アレンが「アニー・ホール」を監督したり、エルビス・プレスリーが亡くなったりとか、意外な発見があって面白い。向故私がこの本が好きかというと、この国が、やたらと人間の価値を歳で判断する嫌なところがあって、でも結局、歳を取ると生きていても面白くない的な、若者に迎合している社会の風潮というか、自信の無い年寄りが多すぎるというか、そんな。寂しい我々の意識に、ちょっとした革命を起こしてくれるデーターがこの本にはあるわけです。例えば。この本の結論に書いてあることを紹介すると。
『つまり、楽観主義は寿命を伸ばす、……最も避けるぺき愚かさの一つは、過去に生きることである。古き良き時代を懐かしみ、世の中が悪くなってゆくとこぼし、若い世代を批判するのは、葬式の近いことの確実な兆候である。現在に生き、興味を持って将来を考える人々は、郷愁にふける人々より長生きする可能性が大きい。……成功を名声と混同してはならない。』等々というわけです。人生の中盤にさしかかうてきた現在の細野さんの心境は如何ですか。

細野: あのね。僕は受け身に徹してずっと生きててね、受け身っていうのはどういうことかというと。最初は。まず想念があって、意思があって、やりたいことが一杯ある。そういう時は受け身じゃなくって、ああやりたいと思うわけで、それが現実化していくときには必ず受け身になってるわけ、で、僕は、四十歳の頃休んだんです。足の骨折ってね。

桑原: あの事件は二年前でしたか。確か、代官山の駅の近くで、雪の中を歩いていて骨を折った。それで、動けなくて苦しんでるときに、逝りかかった女の子が、知らずにサインを求めたという、笑えない事件でしたよね。ははは……(桑原笑う。細野氏笑わず)

細野: 足の骨折ってからね。何ヶ月か経つとね、段々意味が解って来るわけ。なにしろ最初、動けないからあきらめちゃうわけ。すると、すっきりしてくるわけ。今までの混沌としたしがらみみたいなものが全部消えちゃって。頭の中が、どんどん真っ白になってくるわけ。音楽のことも考えなくなって、白紙に戻されるわけ。それが僕にとっては気持ちがよかったわけで、これは自分の白紙なんだけれど、実は、地球規校でも白紙に戻りつつあると、つまり、受り身に、なされるがままでね、地球のいうことをきいているとこうなっちゃうんじゃないか。

桑原: ガイアが骨折った。(笑い)

細野: そうそう。地球全体が酸性化してきて、カルシュウ厶も不足しているから骨が脆くなってくる。(笑い)そん時に僕も年齢の事考えてた。と言うのは、厄年っていうのがあるでしょう。あれは随分役に立つね。厄年を僕は二年早くやっちゃったって思ってる。あの時休めるかどうかが、いま思えば重要なことだったね。つまり、人生の折り返し地点でしょう。人生は限られてて、もう、確実に終わるからね、丁度。マラソンの折り返し中間地点で、ポールをグルリと回るわけね。そんとき。どうしたってスピードが落ちるわけで、そして、回る瞬間っていうのは、竸争でもなんでもない。ただ、折り返すということだけが目的で回るわけでしょう。減速しなきゃならないし、方向変えなきゃならないし、どっか、違う筋肉使わなきゃいけないし………

桑原: 細野さんにとって人生、で一番大きな節目だった。

細野: 節目は、十年毎にあるんだね。つまり、文化全体を見ても、フィフティース(50’S)とか、シクスティーズとか、十年毎に時代のカラーと言うのはあったわけで。今までも。もちろん四十代と五十代では全然違うし、でも、最近の、七十年代から、八十年代は、非常に解りにくいわけね。戦争が無いだけに解りにくいわけね。ところが、解りにくい分だけ解ったときの面白さはないんだと思うの。結局そこら辺が僕の、四十年生きてきてわかったこと、知恵がついてきたんだと思うのね。つまり僕は経済音痴だけど、僕は、音楽やっていても経済に巻き込まれている。YMOと公定歩合の関係とかね。かなり密接にあるって解るわけね。もちろん実証できないことだし。非論理的なことだけれど、でも自分では解るわけ、それが、直感的に。例えば、1979年に公定歩合が一回引き上がった。それ以前に、金本位制がレーガンによって、その、崩壊していってね、つまり、お金の基本的価値が変動相場制をとってきたわけ。その時にYMOが出てきて、まあ、公定歩合が日本で上がって。公定歩合が上がるってことは、不景気になるわけです。ちょっと引き締められるわけです。そういう時に、YMOが出てきて、でも、その期間というのは四、五年でね、すぐ、公定歩合かまた下がっちゃって、ついこのあいだに至るまで、史上最低の金利だったわけね。その時代と社会の風潮をね、こう比べてみると面白いわけ。で。今年が八十九年でしょ。十年振りに公定歩合がまた上がったわけ。その十年という単位はね。僕には意味が非常に深いと思う。この九十年代っていうにはいろんな意味で、一番こう大事なねピリオドだと思うのね。

桑原: ところで、細野さんは、二十年前にデビューした。今や日本のロックの歴史的グループ「エイプリルフール」の時代はどんなことを考えていたのですか。

細野: あの頃は。音楽を中心に生きていたと思う。非常に個人的な狭い世界でしたし、音楽的にも今振り返っても余り意味の無いことだね。僕は非常にノスタルジックな人間だけど、ある意味では、過去に対して冷たい人間だと思いますね。

桑原: それが長生きの秘訣(笑い)。

細野: ははは……若い頃のように、音楽の為に音楽を作っていると、しまいに作れなくなってくる。音楽の素材のエネルギーの元になってる限り、消貫尽くしちゃう。するとジレンマになってくる。だから、ある時期それを捨てなくちゃと思うようになった。もっと世の中の中のことを知りたいと思うようになったり、自分のことをよく知りたいと思う時期が来てね、まぁ、そこから哲学みたいなことが男にとっては始まるんでしょうけど。自分の自我が肥大していく、そして、僕は、特に世界精神といってるんだけど。それと混ざり合っていくことで、世界観も獲得できるんじゃないかと。

桑原: 幾つぐらいから変わっていったんですか?

細野: 二十六、七ぐらいから始まって、というのは、僕は、あのう、弱いもんでね。サイケブームの頃、ドラッグで精神を打ち負かされたことがあって、自分の精神の弱さを痛感したのね。つていうか、不思議なことを経験をしたのね。精神とか脳の不思議な習性というかね。自分の中がなんにも解ってない。非常に混乱してこれは知らなきゃならないと思って必死になったことがきっかけだったけどね。最初は。非常に宗教的なことから始まったんだけど、今となっては、もう宗教的な枠じゃなくて、まぁ、自分なりの世界観が一つの、僕の精神論ていうかな。うーむ、例えば、最近流行の、チャネリングとかね、ああいうのを見ても気持ちが動かないんですよね。

桑原: 僕の場合も。他力本願的な弱さが、素直な心を纏まっているので、宇宙人とのチャネリングをテーマにしたバシャールの話で随分救われたんですよね。宗教的な嫌悪感がないぶん。ずっとね。

細野: それはいいことでもあるけれど、非常に危険なんだよね。宗教臭くないものほど今、パワーがあるんだよね.そこで.システム化されて、ひとを取り込んでいく力が凄くあるんで、まあ、多くの人がそれに関わりつつあるから、ある意味では、画一化されつつある。僕は、ハシャールがいってたようなことは全部知ってたわけ。ということはね、誰でもそういう知恵はあるはず、持ってるわけ、それを自分で発見するのが一番大事なわけ。人から言われたり、人に全部任せないで、自分で発見していくべきだと思う。

桑原: 最近のベストセラーのシャーリ一・マックレーンの本なんかも、同じような要素をもってますね。

細野: あの本も、読んだときは感動したんだけど、時が経つと、少し批判したくなっちゃう。シャーリ一・マックレーンの中に引っかかるところがあってね.宇宙人が出てきて、女性優位の発言したりするところが非常に引っ掛かったりしてね。そういうところって、いまのニュー・エイジ運動の係わり方とかが、凄く引っかかるのね。つまり、もっと大きな視点でみると、なにか追ってくるわけね。うーんとね、簡単にいうと、今、トレンディーなことは、先祖帰りだと思うわけ(苦笑しながら)

桑原: せせ、先祖帰り?もも、も、ちょっと分かりやすくいうと。

細野: えっへぇははは(楽しそうに)……突然話が飛躍しちゃったけどね。ニュー・エイジと関係あるんですけどね。今、つぶさに観察したところによるとね、例えば音楽聞いていると、アラブのブームがあったり、イギリスで、アイルランドのブームがあったり、まだ、自分の中でうまくまとまってないんで、うまく、言えないんだけど、いろんな要素が今あるのね。フランス革命二百年で、さっきいった年齢の話なんたけど、これが、世界の年齢も考えられるのね。二百年1周期というのがあって、文化のそれが丁度今年。そういう歳なんじゃないかと、そういう仮説をもとにもっと考えていくと、つまり自由・平等・博愛っていう言葉の基に近代合理主義の社会の基盤が生まれた。そして、発展してきた根底に、そういう言葉による呪縛があったと思うのね。それが、アングロサクソンに受け継がれて、アメリカに花開いてね、アメリカが世界を引っ張ってきた。
で、誰でも解るようにアメリカの経済が衰退して、文化白体も煮詰まっている。そういう時代に二百年記念のお祭りを迎えると、なにか、とてもシンボリックな気持ちになるのね。今、象徴的な出来事が起こってんだなと思えるわけ。そういう時期に、いろんな民俗が、自分達のルーツを求めて、非常に活動している時期だと思うの。民俗のルーツ、それは個人の中で自分のことを知りたいのと同じようにね。そういう時にね、エスニックの音楽がアングロサクソンの中でも人気があったり、例えば、ケルト系の音楽だったり、エンヤのようなちょっと呪術的なもんだったり、何かみんな本能的に求めだしている。この辺の、人間の遺伝子レベルでの共通したものが、僕の言う、先祖帰りと言うことで、つまり、二千年以上前の、キリスト教誕生以前の地球に戻ると、人類の基盤が見えてくると思うの。遺跡見ていてもあまり解らないから、二千年も続いているアラブの音楽とか、ジプシ一音楽とかをきくと、そういう遺伝了の中の響心作用というか、白紙に戻っていくわけね。まあ、イスラム以前でも、仏教以前でもいいし、いわゆる今のシステムを創り出した思想の前に戻っていくことで、人類共通の本能みたいなものを取り戻し、そういう
エネルギーを捕まえてもう一度新しい文化を作り直すというようなことが起こりつつあると思うのね。つまり、近代合理主義の発展の中で.作らなくてもいいものを作りすぎて消費尽くしてきた同時代音楽に、そういう力がなくなっているから、我々は一度そこに帰らなければならない。これは、僕が日本人を忘れてアラブの音楽を好きだったことが、いざ自分がアラブの音楽を作るとなるとその間違いに気が付くというか、先祖帰りしていかないと、アラブの音楽との関係が見えてこない.人類共通の意識を持って関係を作っていかないと、二千年の問犯されることなく続いてきた、アラブ音楽のエネルギーに参加することさえできないんだということに気が付いたわけです。つまり、肉体を捨て.霊的に接してこそ濃密な関係が生まれるんだと。それは、ピラミッドを見て感じる何かとか。アステカ、インカ文明と、インディオの関係とか.言ってみれば、個人的なロマンティシズムだけ、地球的規模の意識に参加する喜びを持たないで、トレンディという言葉を使うと.歴史から切り離されちゃう、あの時も悩んだんですけど、YMOの頃、日本のことも解らないし、伝統からも切り離されている。じゃ、開き直って厶チャクチャやるしかない。テクノが一番自分達らしい。でも。やっぱり。あの時代の何年間だから出来たけど、今となっては、屁理屈が欲しい。なんか.もっと深いところでつながりが欲しいというかね。

桑原: そうした、細野さんの気持ちが、細野さんの作る音楽から「あっそーか。』と伝わってくればそれか最高なんですが。

細野: 僕も東京の文化の中に埋没している一人のミュージシャンに過ぎないんですよね。受け身でやってきて、今の自分以上のことは表現できないし、自分というのは文化の中の一つだし、全体あっての個人であるということでね。今回の作品も、あるがままの自分だということで、しょうがないんだと、これ単なる僕にとってはプロセスの一つだし、今後十年間に何かが起こんなくちゃいけないなと思うわけ。そういう大人のやっと第一歩のような気がする。

桑原: また、最近、特に感じることですが、新しく生まれる映画を始め、経済戦争の中にも普悪がはっきり見えてきたような気がします。作品の存在理由の是非が成功につながるというか。結局ただの楽しさではなく、受け手の意識を飛躍させてくれるものを探し始めたのではないか。結局はまだみんな他力本願なんですが、ところで、最近の日本の音楽の状況をどう受け止めていますか?日本のロックも面自くなったという声も聞かれますが。

細野: 今は日本の状況に関わりたくないという気持ちがあるな。随分。若者っていっても、僕にとっては子供の文化というか、子供の国にみえちゃう。普遍的な音楽には聞こえないわけね。例えばね。ロンドンにこないだ行って.先祖帰りの典型的なバンドを見てきたんですよ。「オイスター・バンド」っていうんですけれども。アイリッシュ系のまぁ、フォークダンスみたいなのと、ニューウェイヴの延長線上のああいうロンドンぽいビートっていうかコンセプトをつかってんだけど凄い好きだったわけ、ロンドンの中でね。若い癖にアコーディオンがうまかったりね。非常にね、深いテクニックをもってんだよ。今までそういうのを見たことがなかったんだよね。ロンドンで。みんなテクノでしょ。もちろん彼らもテクノの影響を受けてんだけど.完璧にアプローチの仕方が民族音楽なのね、それを見て、ロンドンでさえ、やはり、そういう先祖帰りが起こってる、と思ったの、僕がそのバンドを見たのはダンスフロアがあるようなクラブだったんだけど、前座がアフリカのバンドだったわけ。みんな楽しそうに踊ってんだけど、イギリスの人ってダンスド下手でしょ。大げさで。ま、楽しそうでいいな、と、次にメインの、イギリスのオイスター・バンドが出てきて様相が.がらっと変わっちゃたのね。みんなフォークダンス踊りだしたの。輪になって(笑い)手をつないで。そこには、かつて、アシッドハウスに行ってた人もいるでしょうし.パンクやってた人もいるでしょうし.そういう人達がナチュラルなファッションしてフォークダンスを踊っている。それだけでも凄い光景なんだけど、そこに何故か、老人達まで加わっている。それが僕には、とても面自かったことで。つまり、先祖帰りを行っている音楽っていうのは、年齢とか、世代の制限が無い、そこに深いものがあるわけね。

桑原: なるほど.爽やかですね、実は、僕も随分前から、ジャンルを越えた音楽が通りに溢れ出し、世代や思想を越えて踊り出すような、カーニバルを日本でやってみたかったんですが、やっと、今度.川崎のチッタ通りを解放してもらって、実現するんですが、理屈の前に音楽から感じてもらうお祭り。沢山の人達が集まって日常から解放されて、笑ったり、踊ったりするうれしいエネルギーからポジティブな気持ちを感じてもらう。それが僕の夢の一つだったわけです。

細野: それは凄くいいね.但し、そこに、必要なのは、音楽の力だね。ライ・ミュージック(アラブ音楽)とか、そういう先祖帰りの音楽に渡り合えるような音楽を日本から作らないとね。すぐには出来ないだろうけど。
この十年間に白然発生的に出来てくるものだと思うけど.僕もそのお手伝いをしたいと思っている。

桑原: 約四年振りのこのアルバム「オムニ・サイト・シーイング」が.その第一歩と言うわけですね。ただの世界観光ではない内面の旅へのツァーが始まったというか。

細野: ガイドがいない。自分一人で出発したという。(笑い)
次は仲間を集めてツァーしたいな。ソロだと。気持ちが純粋すぎちゃって、逆に作りづらくなる。だから.没個性と言うと語弊があるけど、グループ活動をしたいというか、前からいっているように、ビック・バンドを作るとか、ソロは寂しいです。(笑い)

桑原: ところで、最近よく耳にするニューエイジ・ミュージックなんですが、細野さんはどう捉えているのですか?

細野: ニューエイジ音楽と呼ばれている音楽に本当のニューエイジ音楽はないから、つまり、魔境というかな、魔境というのは、瞑想しているといろんなものが見えてきて、それはもう面自い現象が起きてきてね。
それに心を奪われちゃうことを魔境というんだけど.それに近いことが起こっている.ま、ニューエイジというのは.新と旧の間にある魔境のようなものでプロセスとして通過しなければならないところだけど、そこにはまっちゃいけないんだと、ニューという言葉にだまされちゃいけない、本当にニューエイジを知りたければ、ライアル・ワトソンとか、フリチョフ・カプラをちゃんと読むことだね。

桑原: 具体的にはどんな本がお奨めですか?

細野: やっぱり、いま僕の「オムニ・サイトシーイング」の教則本は、ライアル・ワトソンのlスーパー・ネイチャー」なんです。それを読みながらこのアルバムを作ったから、けっして、そういう音楽が出来たわけではないんだけど。

桑原: 最近.我々の回りでもそうした本を読む人が増えてきて、会話の内容が随分思想的というか面白くなってきましたね。まだまだ小数の人かも知れないけど、名声や金じゃない何か安らかなものを探し始めているというか、それと、細野さんのファンの人達がこのアルバムを聞いてどういうリアクションを起こすか興味があります。何か、僕には解らない特殊なむすびつきが、ファンとの間にあるような気がするので。音楽だけのトレンディ屋さんだと、あ!細野さんまでハウスやってる(笑い)なんていう人もいるだろうし、もちろん細野さんの意図は違うでしょうが。

細野: ははは…あれはサービスみたいなもんで、ははは、・・言葉なんですよね、フランス語で語られてる、フランス人のメッセセージかもしれないんですけど、さっき話した、先祖帰りのこととか、あるいは、フランス革命へのこととかを含んだ歌詞なんですけど、結局.今の時代は、新体制と旧体制と、二つの時間が流れていてね。旧体制にいる恋人と別れなければならない女の人の話で、フランス革命の時だから意味があるというか。うーん.今、革命があるとするとね”せーの”でやるんじゃなくて、一人一人の気持ちの中で革命を起こしていく時代だ思ってんのね。深く静かに浸透していって、それは核爆発のように危険なものじゃなくて、非命に静かな核融合のようなものでね。暴力的なものではない。実際そういう人が、僕には見えるわけね。ちらほらと。その小数派が.確実に新しい時代を歩み始めている。そういう価値観の違う人達は、当然、恋愛もできなくなる。恋愛ということ自体が変わりつつある。もちろん目に見えないほど少数派でね。でも、そういう人達にも、僕は、メッセージしたいしね。

桑原: そういう人は、どうやったら見分けられるんでしょうね。小指が曲がらないとか(笑い)(ここは話を進めやすくするために後で足したものゴメン)

細野: (真剣に)そういう人達の一番の特色は異常なバランス感覚を持つということ。超能力に近いバランス感覚。誰の主観でもない。自分の感じたものだけを信じる強さをもっているから。彼らは大丈夫。けして、宗教にもなっていかないし、例えば.ライアル・ワトソンのように。

桑原: ぜひ.私もそういう人達に遭遇してみたいです。さて、いよいよ、最終質問です。ところで、今度のアルバムのB面の最初に赤ちゃんの笑い声が入ってて、細野さんがこういうわけです。”よかったら、抱っこしていい”って、恥ずかしそうに、ははは……細野さんの愛とは、そういうことなのか.なんて思いましたが.愛について話して下さい。

細野: はははは……あれは商品には入れないんだけどね.いや、面白いな。そういう考え方もあるんだなぁ。あれはオフザケで入れたもので、考えていれたものじゃないから。ただ。次のアシッドの曲で、歌詞にね。赤ちゃんの笑い声にすべての新しい時代が含まれていると。だから、僕は、アシッド(ドラック)は要らないんだと。むりやり笑気ガス吸って笑うんじゃなくて、赤ちゃんの笑い声を聞くのが僕にとって今一番幸せなことなの。愛っていうのは、僕にとっては今や.本当の意味での地球規模になってきてるような気がする。愛っていうのは、悲しいっていうのも愛だし、宇宙のような愛色だったり、もともと宇宙には愛が充満していて、情感ではないものだったと思う。ひとつのエネルギーでね、それが.地球に降りてくると、全体を愛情の愛で包んでく、それが、人間のレベルに降りてくると悲しみが混じってくる。ていうのは、言葉の遊びなんですけど、そういう風に、愛のグラデーションが見えるのね、つながってるもんだけど、悲しみとか、恋愛とか、セックスとか.全部ひっくるめたものを、遠くからみるとね、ひとつの愛色に見えるようなね、そういう徒手的な気持ちが一番強いです。だから、このアルバムの宣伝用のキャッチ・コピーの、“……女にも目もくれず”と言うのは、実は嘘でね。好きだしね(笑い)。欲求もあるしね。そういうことをひっくるめて考えていたいな、と。

桑原: 例えば、小さな子供に愛を教えるとしたら、どんな風にしますか。

細野: いや、僕は小っちゃな子から教わりたいと思う。それが.さっき、言ってたことで、教えることはできないね。考えなしのところに愛は存在している。

桑原: 無意識の状態で存在するものが愛だと。

細野: それが一番無垢な状態でみることが出来るのが赤ちゃんだと思うね、その笑い声と、なき声でもいいんですけど。

桑原: なるほど、そういえぱ、映画「ウィロー」の赤ちゃんの笑い顔は最高だった。

細野: そうだね、ははは………。

 

sss“ONNI SIGHT SEEING”
HARUOMI HOSONO

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