タワーレコード 宣伝マーケティング部長、 坂本幸隆さんに聞くNO MUSIC, NO LIFE? 20th

2016 年9 月24 日 代官山ティーンズ・クリエイティブにて

坂本:こんにちは、タワーレコードで、宣伝マーケティング部のマネージャーをやっています坂本といいます。タワーレコードには宣伝の部署が二種類あって、一つはCD やDVD 等の商品がリリースされた時に、それを他のショップとどう差別化した売り方をするかという宣伝販促の部署。もう一つは、タワーレコードのブランドや社会貢献などを通したマーケティングとしての宣伝をやっている部署。自分は後者を担当しています。

今日は、学生の皆さんに自分の仕事の話をするという会ですので、ざっくばらんに、自分の担当するNO MUSIC, NO LIFE. の広告が1996年から始まって、今年2016 年でちょうど20 年。その20 年間、音楽ビジネスや社会がどんな感じだったかっていうのを少し振り返りながら、一緒に俯瞰で見ていきたいと思っています。それぞれの時代背景と、多くのアーティストの方々の、時代と音楽の関わり方が表現された広告を見て、自分の時代との関わり方の「きっかけ」みたいなことを考えられたらいいなと思います。

タワーレコードにしか出来ない「広告」、NO MUSIC, NO LIFE.

a最初は、初期の広告にもあるように、桑原さんにも出て頂いたり、このキャンペーンでは、ミュージシャンと、ミュージシャン以外の人に一緒にポスターに出てもらおうとしました。そうすることで、お店の中はどうしてもアーティストの販促物とかポスターなど、音楽周辺の物は沢山あるんですけど、音楽と直接関係ない人も出ていることによって、まずは、違和感を感じる。そして「なぜ?」と考えてもらう。結果的に、タワーは音楽以外の色々なカルチャーと接点を持とうとしているのかな? と気付いてもらえるように、monday満ちるさんと、桑原さんにもご出演してもらったわけです。(a)

あと、モンパチは知ってますよね、MONGOL800。と、彼らは沖縄なので、具志堅さんと一緒に出てもらうとか。 (b) 奥田民生さんが広島ファンなので、当時の監督の達川さんと一緒に出てもらうとか。 (c) まさか出演してもらえないだろうという業界のご意見番、和田アキ子さんとスクービードゥに出てもらうとか。(d) 和田さんはもちろんミュージシャンですけど、もう別格という事で(笑)

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ダウンタウンが番組で歌を歌ってたんですよ、それでそのキャラクターで出てもらったり (e)、椎名林檎さんと、ダンサーの首藤康之さんに出てもらったり(f)、この、ちょっとYMOの三人は特別編で、実はYMOとして復活する前なので三人だけで出てもらったり(g) してるんですけど。笑

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これらが、NO MUSIC, NO LIFE. の初期ですね。この企画が定着した後は、ミュージシャンもプロモーションとして出演するというより、音楽とちょっと関係ある「遊びの場」のようになっていきました。そういう宣伝臭さのない制作物であることが、音楽自体の楽しさや豊かさを伝えるのに効果的だったように思います。

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NO MUSIC, NO LIFE.のメッセージ

2000年を超えると、バブル崩壊からの平成不況と言われる中、iTunes がスタート、音楽配信が始まったり、99年に六本木のWAVE が閉店、ヴァージンやHMV は移転したりと、なんとなくCD が売れないとか、音楽業界は業績があまり良くないと言われていた時代になります。2002 年には日本のタワーはアメリカから独立しています。2000 年代はそういったCD ショップにとって大変な時代だったので、ブランディングとしても、もうちょっと音楽やタワーレコードと社会の関係を強く打ち出したいと思い、それまではカラー写真時代の初期の広告にあるような楽しいトーンの広告だったんですけど、もっとちゃんと音楽と社会の関わりに関するメッセージやリアルな店舗の価値というものをちゃんと出したいと。そこで始まったのが、NO MUSIC,NO LIFE. の意見広告シリーズでした。今思うと、最初にやりたいと思っていたThink different. の広告に似てきたような気がしますが。( 笑) モノクロの写真と黄色の帯の上にメッセージがある意見広告が2006年からスタートします。

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2006年から8年までの間っていうのは、こういう広告とカラーの広告を交互に制作していた時期で、意見広告の一回目も、実は桑原さんと坂本龍一さんに出てもらっています。

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ちょうど2006 年っていうのは当時のアメリカの副大統領だったアル・ゴアさんが作った「不都合な真実」という地球温暖化をテーマにした映画が公開されて、世の中で環境問題や温暖化ということが大きなテーマになっていたこともあり、環境やエネルギー問題等も含めて対談を行って、その中からコメントを抜き出してスタートした、というのがこの意見広告の第一回でした。

実は2010 年前後は社会でもいろんなことがあって、2008 年にアメリカでリーマンショックがあり世界同時恐慌が起きた。2006 年から2008 年までは過去のカラー写真の広告と意見広告を両方作っていたんですけど、2008 年にリーマンショックが起きて、いよいよ楽しいだけの広告では世の中のムードと合っていない気もして、それ以降は今に至るまで意見広告に統一しています。

2010 年前後は、WAVE は店舗数が減っていましたし、ヴァージンは2009 年にTSUTAYA に、HMV 渋谷店は10 年に閉店しました。そういうCD ショップの店舗がどんどん少なくなる時代、2011 年に東日本の大震災が起こる。リアルのCD ショップには逆風の時代、業界的には音楽配信も始まり変化が起こり始めたころに東日本大震災があったわけです。

この震災のタイミングは、ミュージシャンの方々も、改めて音楽の存在意義や音楽をやる動機を見つめなおす機会になったと思うのですが、その後2,3 年、というのはNOMUSIC, NO LIFE? 広告を見て貰えればわかるとおり、その頃のインタビューはどうしても当時の世相を反映しています。福島の大きな事故の様に、過去に人類が解決した経験のない様な事を目の前に、社会が閉塞感に溢れていたと思います。そういう時に出来た広告は、やはり社会のムードを反映していて、この広告シリーズは改めて、その時代のドキュメンタリーになってるという印象を受けています。

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細野晴臣 2011年3月- 5月
社会的な意味で、人類にとって未知の領域に突入した時代。
津波の前の引き潮のようなかんじ。
押す力と引く力、進む力と戻る力が拮抗しているような気分もあり。
希望が絶望の影に隠蔽されているような…。
そんな時代の中で音楽は、その音楽が好きな人にとっては人生の良き友…いやそんなんじゃないな~、言葉にできない感情を喚起する不思議な音響装置かな。

震災から5年経ち、最近は、もう一度音楽の力を信じてみよう、社会と音楽の関わりを新たに構築していこうという様な、ポジティブなコメントが広告にも多くなってきている印象で、どこかで閉塞感を破って行こうとか、一歩ずつでも進んでいく事に前向きなムードを感じています。逆に、自分がNO MUSIC, NO LIFE?の広告にいただくアーテイストの方の音楽やコメントから、時代のムードをなんとなく感じている、そんな感じでしょうか。

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仕事を始めたきっかけ

この仕事を始めたきっかけは、大学を出た後に広告代理店に入って、5 年程サントリーさんの仕事中心にテレビの仕事を主にやっていて、今はもうやっていないんですけど、「11PM」というですね、夜中にやってたカルチャー& ちょっとお色気もあるワイドショーみたいなやつとか(笑)、フジテレビのとんねるずの番組とか、「北の国から」の原稿を倉本先生のところに取りに行って、一日中ホテルのロビーで待っているとか(笑)。でも皆さんはもう知らない世代ですよね?̶̶名前くらいは知ってます? そうですか。(笑)そういう、テレビの仕事と並行してタワーレコードの仕事も担当し始めました。当時はタワーレコードがまだ日本に数店舗しかなくて、輸入盤の洋楽しか扱ってなかったので、広告もそんなに出していなかったんですけど、現在の場所に渋谷店が移転した後から、J-POP も大々的に扱うようになって、全国に店舗展開も行うので、広告や媒体の事がわかる人が欲しいと言われて転職しました。それ以来、ずっと今の仕事をやってるといます。

このNo Music,No Life というキャンペーンは、その都度、出演していただく方に、「今の時代をどう思っていますか?」ということと、その時代の中で、「音楽の役割とか、ミュージシャンというものの役割について、どう思っていますか?」ということを聞き続けて来ています。それが、その時代の、ある意味ドキュメンタリー的なものになっている部分があって、広告自体が時代を反映するものっていうところがあると思うんですけど、音楽もそういうところがあると思うんですね。なので、ミュージシャンの方々から、時代と音楽の関わりについてコメントを頂くと、自然と時代を反映するものなのだな、と思います。また、出来上がった広告だけではなくて、伝え方、伝わり方も含めてその時代を映してるのかなというのがあります。

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坂本龍一 2006年12月
これからの人や企業にとって必要になるのは「VALUE」。
「VALUE」は今までは単なる音楽情報だったかもしれないけど、これからは英語で言えば「TRUST」 の様なものかもしれないし、「COMMUNICATION」 の様なものかもしれない。
そこに行けばパワーがあったり、興味や発見があったり、刺激があったり、何か新しいエネルギーや面白い事が渦巻いている感じ。
もっと言えば 「愛」 だったりするかもしれない。
単なる音楽の情報ならON LINE で手に入れられる時代。
これからの「VALUE」の意味は変わってきたと思いますね。
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桑原茂一(CLUB KING) 2006年12月
いい音楽を聴いて思うのは、いつも寝てるものに気付かされるような感覚。
いつもいい音楽には刺激を受けて次の衝動が起こる。
例えば社会の真実を知ることは辛い事もあるけど、思い切って知ってみると必ずエネルギーをくれる。
「自分はちゃんと生きているのか」と。
音楽を作る人も最初はそういう衝動をもらって始まっているのではないか。
いまだに新しい音楽を聴きたくなるのは、そういうエネルギーがほしいから。
今は、いい音楽を聴く努力をしたほうが、今がどういう時代か逆にわかる気がする。

タワーレコード、CD 業界の20年

まずですね、タワーレコードは、1979年に日本に上陸しています。最初はレコードの卸しだったんです。だから実際の店舗はなくて、いろんなレコードショップに輸入盤を卸す仕事をしていたんですけど、実際に自分たちで出店してみるか、ということで80 年札幌に一号店が出来ました。それでその1 年後の81 年に渋谷店が出来た。それが今の大きな渋谷店の場所に移ったのは95年ですが、それまでは、ここの部屋の半分くらいしかJ-POPの売り場がなくて、ほぼ輸入盤専門のレコードショップでした。今の場所に移転してからJ-POPの売り場が本格的にできました。J-POPフロアの半分がインディーズ商品という思い切った売り場だったと思います。その後97年にオンラインのサイトができて、2002年に日本がアメリカのタワーから独立。それで2006年には、アメリカのタワーレコードの店舗はなくなってしまいます。

logo1それでは、他のレコードショップはどうだったかというと、WAVE というショップがあって、若い人は知らないかもしれませんが。でも昔は大型のレコードショップはタワーかWAVE ぐらいしかなかった。パルコの子会社で六本木に店舗があったこともあり、日本中のお洒落な音楽好きが集まる象徴の様なショップでした。99年に六本木にあったWAVE は閉店するんですけど、なぜかというと、六本木ヒルズの開発が始まったからです。それと同時期にバブルが崩壊するっていうことが、̶バブルの崩壊と言っても、高校生はピンとこないかな?笑̶まあ、簡単に言うと土地の価格が暴落することで資産価値が下がって日本の景気が悪くなるっていう経済問題が起こりました。そもそも、当時は山手線の内側の土地の価格で、アメリカ全土が買えるなどという実体の無い資産価格のバブル化が起こっていたわけなんですね。当時は平成不況などと言われてましたが、その関係もあったと思いますが六本木WAVE は閉店してしまいました。実はWAVE は一度、2004年にタワーレコードの子会社になります。その後株主が何度か変わって、2011年にはWAVEというブランド自体がなくなっています。だからもう5年くらい前にはなくなってるんですけど、多分今高校生だと小学生位なのでWAVE 自体知らないかな?。それと六本木のWAVE がなくなった時点で、実際にはまだ他の店舗はあったけれども、WAVE 自体がなくなった感じがするくらい存在感ありました。

logo2ヴァージン・メガストアって知ってます?新宿にあるマルイの子会社として、「ヴァージン・メガストア」というイギリスのレコードショップがあったんですよ。今新宿の伊勢丹の向かいのマルイの地下に1990 年にできました。旗艦店が新宿なので渋谷のレコードショップ競争とはちょっと離れた商圏で、独自のマーケットを作っていたと思いますが、2009年にTSUTAYAに合併されてヴァージンブランドはTSUTAYAになっています。

logo3HMVは知ってますよね。HMVも、最初は渋谷のセンター街の奥にあり1990年代前半には「渋谷系」と呼ばれるブームの中心にもなりました。98年に西武裏の現在のFOREVER21 の場所に移転して、その後2010年に渋谷店が閉店しています。現在は「ローソンHMV エンタテイメント」というローソンの子会社です。店舗でCDももちろん売ってるんですけど、一時コンビニとCDショップが一緒になったHMV SPOTという小型の店舗を作ったり、オンラインでの販売やローチケと一緒にイベントや関連のチケット販売などにも力を入れている印象です。最近渋谷や博多にHMV&BOOKSというのができて、いわゆる音楽パッケージの専門店というイメージとは違ってきているかもしれません。

こうやってみていくと、本国イギリスではヴァージンも、HMV も2013年に経営破綻していて、全世界的にリアルの大型のレコード専門ショップってあまりない。それはいろいろな事情があって、海外では配信やストリーミングで音楽を聴く為の、権利やインフラ、デバイスなどの環境が日本と違うという事もあるし、そもそもパッケージの販売方法の違いとか、いろいろ理由はあるんですけど、その日本でさえ大型のレコードショップをリアル店舗に持っている企業はない。渋谷店の様なリアルな大型音楽専門店は世界的にも非常に珍しい。もう世界遺産みたいな(笑)。そんな大きい店をあえて維持している会社はなくなっているという状況です。そういうことが、レコードショップをめぐる20 年です。

音楽の聞き方、そしてSNS をめぐる20年

ここまでは、レコードショップ側のお話でしたが、では、音楽を聴く側、音楽の聴かれ方というのがここ20年の間、どうだったのか。その変化も大きかったと思いますが、今音楽を携帯して聴くことができるのは当たり前ですけど、1979 年にカセットテープのウォークマンが出来るまでは音楽は持ち歩くものではなかった。好きな時に好きな場所で聴くっていうことはなかったんですね。それで、1982年にCD が出来て、2001年にiTunes とiPod が発売になって、15年前ですよね。多分、高校生のお二人はデジタルネイティブな世代であって当たり前という感じだと思うんですけど、私にとってはもうつい最近の事で、すごい変化です( 笑)。2003年には音楽の配信も始まります。2007年にiPhone が発売され、2011年過ぎくらいから、日本も普及し始めたという状況ですね。今ではスマホで音楽を聴くのは当たり前になっている。

音楽の聴かれ方とシンクロして変わってきたのは、情報共有のされ方だと思いますが、日本初のSNSと言えるmixi のサービスインは12年前の2004年、Twitter は2008年からでまだ10年経ってない。Facebookとインスタは2010年、LINEが2012年からなんで、本当にここ5、6年でそれぞれのSNSの機能や使われ方、使っている人のセグメント等も急激に変わってきた。音楽と親和性の高いSNS で言えば、この先はアップルミュージックとかラインミュージックとか、AWA とか、9月末にはSpotify がサービスを始めることになってます。

その様な感じで音楽の聴かれ方や情報共有のされ方に影響のある、インフラやデバイスの変化があった。今は動画、YouTube とかをスマホで見てると思うんですけど、2010 年くらいまではみんなほぼパソコンで見てました。デバイス自体の発達と、情報のインフラの発達もあって、スマホで動画がちゃんと見れるっていうのはここ2、3年じゃないでしょうか。最近では、地上波のTV 局とインターネットの配信メディアが共同でコンテンツを作り、発信し始めています。本当にここ5年位ですごい劇的にいろんなことが変わってきています。こういったことも、もちろん音楽聴かれ方に急激で大きな影響を与えていくと思います。

“No music,No life”が生まれるまで

では、ここから、今までお話してきた世の中の変化の中で、タワーレコードのNO MUSIC,NOLIFE. 広告が20年間どのように変遷してきたのか? という話をしたいと思います。 

皆さんまだ10代ということは、この広告がすでに始まった後に生まれてるっという、恐ろしいですね。( 笑) りょうくんが生まれる、90年代は先ほど触れたバブルの崩壊っていう日本の景気後退が始まるんですよ。だから皆さんは景気の良い日本を知らずに今まで育ってるっていうことだと思うんですけど、1991年から93年くらいまでに、土地の値段が下がり資産価値がなくなって景気が後退していった。それで1996年に就職氷河期、学歴のある学生でも就職が困難ということが起こった。97、98 年には地価下落による不良債権や株価低迷で大手の銀行や証券会社までが破綻する様なことが起きて、「失われた20年」なんて言う言葉も生まれるような時代の中で皆さんは育っています。実は、NO MUSIC,NO LIFE.の広告も、今年20 周年という事は、皆さんの成長と同じ時期にずっと展開されていたわけです。

先程から「崩壊」という事で紹介している「バブル」。バブルという好景気の時代があって、その頃広告の世界がどうだったかというと「企業CIブーム」というのがありました。マークとか、ロゴとか、キャッチフレーズみたいなのを、みんなお金に余裕があったから、どんどん作っていた。それで毎年毎年ロゴが変わったり、名刺が変わってる様なことがあった。デザインや色を変えているだけ違ってるだけの様な事がずっと行われてて、好景気の中、企業も「活発」とか、「新しい」とか、「かっこいい」「斬新」みたいなイメージ発信ができるのが優良企業というイメージでした。蛇足ですけど、実は企業だけじゃなく、いろんな地方自治体も、そういうことを発信したがっていて、地方博が多かったんですね。今、沢山ゆるキャラっているじゃないですか、この時代がそのゆるキャラの発祥です。第一次CIブームの時に出来た地方博のキャラクター、それがゆるキャラのルーツです。( 笑)

そのあとに、バブルが崩壊するんですが、実はまた第二次と言えるような「CI ブーム」が来ました。景気が悪いのにどこからそういうお金出るのか不思議ですよね?( 笑) 実は会社が破綻して統合したりするじゃないですか、その時に新しい企業CI が必要になるわけです。だからまた企業CIブームが来た。必要に迫られたCIブーム( 笑)。バブルの時は簡単に言えばかっこいいだけのイメージでよかったんですけど、今度はブランドが良く見えて、マークとかスローガンとかあることによって、売り上げが上がるというマーケティングに結びついたCI にかわってきました。それが大体、1990年代から2000年までの広告のトレンドで、実は“NO MUSIC, NOLIFE.”キャンペーンはそのころにスタートしています。

kazeタワーレコードは79年に日本に進出して、実は90年代に日本に進出してきた外資系レコードショップとは、企業のカルチャーや店頭での販売方法も全然違っていて、差別化したいなと思ってた時に、世の中でそういう新しいCIブームという状況があった。じゃあなんかタワーレコードもちゃんとブランディングしようと。それで自分が箭内(道彦)さんっていう、元は博報堂で、後に「風とロック」という広告制作会社で独立した方に、「タワーレコードのブランディングをやりたい」、という話をしたのがきっかけでした。その時に、何を言ったかというと、アップルの、Think different.っていう有名なキャンペーンがありまして、

これ見てもらえばわかるんですけど、ダライ・ラマとか、マリア・カラスとか、モハメド・アリとか、ジョン・レノンとか、いわゆるコンピュータの業界じゃない人たち、ガンジーとかボブ・ディランとか、マイルス・デイビスとか、ヒッチコックも出てますね。

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これがコピーで、Think different. という文字だけがシンプルに最後に画面に出る広告があった。これの何がすごいかというと、アップルがまだ今ほど普及してなくて、コンピュータが計算機くらいの認識で、今は映像の編集とか音楽とかいろいろ機能がありますけど、昔はただの計算機くらいにしか思われてなかった時代に、コンピュータの概念を変えたという。「コンピュータが人の人生とかかわりを持つんだ」と宣言したキャンペーンがありました。タワーレコードも、こうあるべきだ、レコードショップだけど、もうちょっと人の人生に関われるようなキャンペーンみたいなことをやるべきだな、と思った。HMVさんとかヴァージンさんとも違う、「昔から日本の音楽文化に関わってきたという自負を持って、タワーレコードだからこそ発信できる何かをやりたい」ということでスタートしたのが、このキャンペーンでした。

kashiクレージーな人たちがいる。
はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人達。
四角い穴に 丸い杭を打ち込む様に物事をまるで違う目で見る人達。
物事を違ったように見る人たち。彼らは規則を嫌う。
彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心を打たれる人がいる。
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる。
しかし 彼らを無視することは誰にも出来ない。
彼らは発明し、想像し、癒し、探究し、創造し、ひらめきを与える。
そうして、人類を前進させるからだ。
きっと彼らは、“クレージー”にならずにはいられなかったのだろう。
そうするほかに、真っ白なキャンバスに芸術作品を見いだす方法はあるだろうか?
それとも、沈黙の中に誰にも書かれたことがない歌を聴く方法はあるだろうか?
それとも、赤い惑星を見つめ、車輪付きの研究室を考え出す方法は?
私たちは、そういう種類の人びとのための道具を作っている。
ある人たちは彼らをクレージーと言うが、私たちは天才だと思う
なぜなら、自分が世界を変えられると本気で信じられるほど “クレージー”な人たちこそが、本当に世界を変えることが出来るのだから。

̶「NO MUSIC, NO LIFE.という言葉は、どこから来たんですか?」

f1実は、この広告ができる年にアメリカ大統領選挙がありまして、大統領選挙の時はオバマの「Yes,we can」みたいなスローガンがあるじゃないですか、実はこのキャンペーンがこんなにも長く続くとも思ってなかったので、軽い気持ちで、しかもThink different.みたいなやつ( 笑) にしてくださいっていうオリエンを代理店の方にしました。今は大忙しのクリエイター箭内さんですが、その時はあまり仕事の無いクリエイティブディレクターで、毎日草野球ばっかりやってたらしいんですよ。それで普通広告代理店にお願いすると一つの部署の中でクリエイティブチームを作ってプレゼンにくるんですけど、その時は担当の人がすごい申し訳なさそうに「今回はちょっと特別編成になってます、」みたいな言い訳をしながら箭内さんと、別の部署のコピーライターの人の二人だけでプレゼンに来た( 笑)。 二人とも仕事があまりなかったので、営業パトロールといって、代理店の営業の人のところに企画募集中みたいなのがないか探していたらしいんです。そしたらたまたま自分が書いた企画書を営業の人が机の上に置きっぱなしにしているのを発見して、箭内さんがプレゼンに来た( 笑)。「タワーの仕事が落ちていた」と、箭内さんが言っていたらしいです( 笑) しかも提案が一案しかなかったっていう。( 笑) それがNO MUSIC,NO LIFE.でした。当時タワーは社長がアメリカ人で、「NO~,NO~. ってネガティブだよね」っていう話になって、「MORE MUSIC,MORE LIFE.」じゃないの? って言われたんだけど( 笑) とりあえず一年これでやってみましょう、ということになって始まったのが、もう20年という感じです( 笑)。

NO MUSIC, NO LIFE. の未来?

ここまで、NO MUSIC,NO LIFE. 広告の初期から、現在の意見広告への変遷をご説明してきましたけど、この先NO MUSIC, NO LIFE. 広告が今後どういう展開になるという明確に決まってることはありません( 笑) というか、まだ決めておりません。

ただ、それを決めるときに大切なことは最近改めて気が付きました。( 笑) どんな実績や名声のあるようなミュージシャンでも、特に震災後のいろんな方のコメントを見ると、皆さん自分の音楽を始めたころの初期衝動に戻るとか、音楽が好きになったルーツに一度戻って、そこから新しく何かをスタートしていたり、作り始めている方が多いなという印象で、何かを決断する際は、自らもこの広告シリーズを始めた動機を振り返る必要があるという事だと思います。それは「音楽があったほうが、しかも、いろいろな音楽があった方が人の気持ちが豊かになるはず」とか、「おのずと音楽は社会を反映するものなので、音楽から社会を考えるきっかけにもなりえる」とか、「素晴らしいアーテイストの考え方や発想は、単純に刺激になるし面白い」とか。そんなシンプルな事なんですけど。

時代によって表現方法や伝え方は変わりますけど、やっぱりこの、NO MUSIC,NO LIFE. の広告シリーズを始めた最初の動機というか、始めた時の初期衝動が改めてこの時期になって大切だなという気がしてます。非常に普通なまとめになってしまうんですけど。(笑)

偶然、最近テレビで、就職活動に悩んでる大学生ドキュメンタリーを放送していて、「自分は今後どうやって生きていこうか、何を、どういうふうな夢を持って生きてったらいいんだろうか」、と悩みながら日本中を自転車で旅するドキュメンタリーなんですけど、旅の途中お金がなくなってバイトに行くんですよね、地元の農家へ。するとそこでは農家の若い2 代目が花屋を継いでるんですけど、最初は親から言われて、嫌々やってて、農業はどうしても地味な仕事に感じて何のモチベーションも上がらなかった様なんですが、その花屋さんがすごい評判が良くなって、結果的に地元自体に光が当たるようになった。花でその町の町おこしになったという。そで、その男の人は、「自分は花屋をやりたいんじゃなくて、自分の田舎が好きで、自分の田舎に貢献したかったんだと気が付いた」という。もしかすると皆さんも、大学進学や就職活動というのがあると思いますけれど、そういう時に大学の名前や会社の名前じゃなくて、「何をやりたいのか」という事を発見することが、一生一番大切なんだなと。その辺が、たまたま自分がNOMUSIC,NO LIFE. 広告を今後どうするべきか考えていた気持ちとリンクしたので、最後にそんなエピソードも紹介して、今日の締めということにさせて頂ければなと思います。

「NO MUSIC,NO LIFE!」と言い切っているものと、最後が「?」のものは、どう違うんですか?

2mai実は、最後が「!」マークのやつと、「?」マークのやつがあって、いつも撮影をお願いしているカメラマンの平間至さんが写真を撮っているのは「?」、例えばすでに亡くなられている方で忌野清志郎さんとか、大瀧詠一さんとかは撮影自体が出来ないものは「!」して差別化しています。

コメントって、書いてもらったものをまとめてるんですか?

2mai2最初の意見広告で作った桑原さんと坂本龍一さんのものは、長い対談をしていただいて、そこから抜粋してるんです。それでその後は、「今の時代どう思いますか」や、「音楽の役割は」っていうアンケート用紙を出して、別々に書いてもらったのを一つにまとめてました。最近はもう二つの質問を受けて、一個で書いてくださいって言うようになってます。やはり、アーテイストの方々の言葉の選び方や使い方にも人となりが出ているので、そのままの方がいいと思うようになって。そのアンケート用紙をお送りして、時々直筆の文章や、ご本人からメールやファックスが届く時があって、「山田洋次」って書かれた原稿用紙が送られて来た時には驚きました(笑)。額装して自分の部屋に貼ってます( 笑)。

最初の意見広告で作った桑原さんと坂本龍一さんのものは、長い対談をしていただいて、そこから抜粋してるんです。それでその後は、「今の時代どう思いますか」や、「音楽の役割は」っていうアンケート用紙を出して、別々に書いてもらったのを一つにまとめてました。最近はもう二つの質問を受けて、一個で書いてくださいって言うようになってます。やはり、アーテイストの方々の言葉の選び方や使い方にも人となりが出ているので、そのままの方がいいと思うようになって。そのアンケート用紙をお送りして、時々直筆の文章や、ご本人からメールやファックスが届く時があって、「山田洋次」って書かれた原稿用紙が送られて来た時には驚きました( 笑)。額装して自分の部屋に貼ってます( 笑)。

だいたい何人くらいで作ってるんですか?

うちの宣伝部は実は2人しかいなくて、自分ともう一人女の子なので、フジロック行く時は相変わらず20年間ほぼハイエースを自分で運転してですね、インディーズバンドのツアーの様に行っています。基本的にカメラマンの平間さんが撮影、アートディレクターの箭内さんが撮影のディレクションやデザインをやっています。実は、NO MUSIC,NO LIFE. の初期のカラーの時代はフォントがそれぞれ違ってるんですよ、そのシチュエーションに合わせたものを箭内さんがいちいち考えてたっていう。まあ、あの頃は時間に余裕があったんですね( 笑)。

今のお仕事をされてる時、一番どんな時に面白さを感じますか?

 結局NO MUSIC,NO LIFE?という問いに対して、自分の明確な答えみたいなものは見つからないままなので( 笑)、いろいろなミュージシャンに聞いて回ってるみたいなところもあるんです。なので、「音楽とはなんですか?」といったアンケートがアーティストから返ってくる時はすごく面白いですね。そういう意味では、作る側ではありますが、見る側と同じ気分です。あとは作ってる過程が面白い。写真撮ってる時、そして、インタビューをしている時。アーティストは個性の塊なので、ポスターやインタビューの動画やメイキングの記事や、いろいろなものを通して、色々な音楽があるっていうことを、知ってもらいたいし、色々な音楽を聴いた方がみんな楽しいという事を伝えたいと思っています。

2008年以降の意見広告と同時に制作している動画もあり、そちらは、今、タワーのサイトに上がってます。 タワーレコードの、ポスターギャラリーがあって、それぞれのアーティストのコメントを頂いた方には、10 分くらいの、NOMUSIC,NO LIFE?に関するQ&A という形で、社会と音楽の関わりなど、結構普段には聞けないような話をしていただいてます。(http://tower.jp/nomusicnolife)貴重な動画だと思うので、是非お時間ある時に観ていただきたいです。

今まで自分が作ったNO MUSIC,NO LIFE. の広告で一番好きなものってどれですか?

うーん…当然選べないのですが、珍しいものと言えば寺山修司さんのものですかね。ミュージシャン以外で意見広告シリーズにご出演いただいた最初の方かだと思います。この会がきっかけで、後に、赤塚不二夫さんにもご出演いただく事になります。

寺山修司さんは『明日のジョー』っていうボクシング漫画の主題歌の歌詞を書いてて、演劇とかいろいろやってる人なんですけど、職業「寺山修司」という位の多彩な人で、東北の人なんですよね。自分も東北出身なので、なんとなく昔から勝手に親近感を持ってました。偶然、通勤途中の駅に世田谷美術館の寺山修司の企画展のポスター貼ってあって、ミュージシャンではないけど、音楽とも関係の深い活動をされていた方なのでポスターにしたいなと。最初は難しいのかと思いつつ、担当の方に会いに行ってお願いしたら、意外に快諾していただいて、非常に有名な写真も使わせてもらい、明日のジョーの歌詞も使用できました。寺山修司の名言と言ったら、一つに決められないほどたくさんあるし、人それぞれだと思うんです。短歌や天井桟敷時代の難解な文章とか。でも、歌の歌詞がタワーレコードっぽいと思った事と、ちょうど3.11震災の後でメッセージ的にもすごくいいなと思って、これにしたんです。

「あしたは きっとなにかある
 あしたは どっちだ 」

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sakamoto坂本幸隆
(株)タワーレコード 宣伝マーケティング部長。コーポレイトボイスNO MUSIC,NO LIFE. 制作全般、夏FES などでのNGO との社会貢献活動、震災支援活動(MORE ACTION,MORE HOPE.) 、一般企業とのコラボレーション、配信メディアTOWER REVOLVE PROJECT 担当。



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