大宜味大工 三代目
和菓子 羊羊(ようよう)
プラウマンスベーカリーの屋部龍馬さんとウェブデザイナーで株式会社机の武山忠司さんが沖縄で和菓子に挑戦する。外人住宅をリノベーションした店舗。Kapokが内装工事。
[住所]沖縄県中頭郡北中城村喜舎場366
たまたま、滞在しているときに共通の知人を通して出会った克子さん。今から12年前になる。沖縄のおばさんつて、なんて元気なのだろうと思った。とにかく握手か強かった。あれは、60歳女性の力ではなかった。加えて、大きな声とハイテンションで、周囲を巻き込む力があった。
横浜に戻ってからも、よく電話してくれた。同じ建築をしていることもあり、沖縄と東京それぞれの情報交換とともに、いっも励ましてくれた。いつしか、沖縄へ来ないかと誘いが始まり、9年前に沖縄に移り住んだ。
大学で建築を学び、在学中から様々なデザインの仕事に携わってきた。私は物欲よりも経験欲が勝っているようで、後先を考えず無謀な挑戦をすること多い。克子さんからの勧誘も、そんな習慣だった。
空港ついたら、モノレールに乗っておもろまち駅で降りて、新都心公園で待ち合わせ。公園についたら、向こうの方に克子さんがいたので手を振ったら、大きなラブラドールが走ってきて飛びついてきた。とても驚いた。
そして、克子さんは久しぶりに強い握手をすると、サプを宜しくと言う。この犬の名前だ。公園から安謝の家まで徒歩で15分。家に着いたら、部屋の説明とサプの餌や世話のやり方を話して、すぐに出て行ってしまった。引継ぎは5分程度。そして、沖縄の生活はサプとはじまった。
沖縄に呼ばれたのだが、仕事の話どころか、ほったらかし状態。毎日サブと街を散歩して、のんびりと南国生活を満喫していた。サブは克子さんの旦那さんの愛犬で、旦那さんは私か来る半年前に天に召されている。克子さんは南城市に新居があるが、サブは安謝の家でないと落ち着かないとのこと。克子さんにはお子さんもいらっしゃらない。徐々に状況が分かってきた。私はサブの面倒をするために沖縄へ呼ばれたのだ。
大宜味大工二代目と三代目
ほったらかしは、ちょうど1年間。沖縄には慣れたが、克子さんには全く慣れることがなかった。その間、克子さんの親戚の依頼で、名護の山奥に農具小屋をつくる仕事をした。はじめて大工作業を一人でやってみた。サブのために毎日、那覇と名護の往復は流石にきつかったが、素晴らしい経験になった。その後、克子さんが所属する工務店に入社して、新しい部署を立ち上げ、コンクリートと木混構造の住宅や外人住宅のリノベーション、DIYフリーの新築アパートなど、いろいろなプロジェクトをした。
一緒に働くようになって、克子さんの偉大さを周囲から教えてもらった。克子さんは内地の大学で建築を学び、沖縄に戻って、しばらくは工業高校で建築を教えている。そして、沖縄の女性で初めての一級建築士になり、コンベンションセンターの現場監督をしている。あの当時、沖縄のみならず建築現場に女性が働いていたことは珍しかったに違いない。まさに紅一点であったが、沖縄の近代建築を牽引してきた。そんな克子さんの父は、沖縄の初めてのコンクリート造をつくった、大宜味大工の金城賢勇だった。戦前のコンクリートの構造物で唯一残っていて、今もなお使用され続けている旧大宜味村役場は築92年になり、2016年に戦前の重要文化財に指定されている。海砂を川で洗い、手練りでコンクリートをつくり、竹竿で打設し、炊き出しをして、大宜味村の村民全員か協力して建てた旧大宜味村役場。その時、棟梁だった賢勇さんの話を克子さんから何度も聞き、いつしか大宜味大工に憧れを抱くようになっていた。大宜味大工の精神は新しいことに挑戦していくことであり、そこには創意工夫がいつも必要とされる。
私は大学の親友であり建築家の神部と共に2年前、大宜味大工三代目を勝手に襲名するとともに、次世代建築を目指して株式会社kapokを沖縄で設立した。Kenyu/katsuko and partner okado/kambe。名前を決めた後に知ったのだが、沖縄にはカポックという自然に生息する植物かあった。天に顏を向け、中心から円を描くように手を広げて、周囲を巻き込もうとする姿はまるで大宜味大工そのものだ。
この9年間、克子さんと私の問には言い尽くせないくらいの話がある。そして、二人の関係は、犬の世話係から、会社の部下になり、パートナーであり、親子だ。私は沖縄出身の妻と結婚して、昨年娘が生まれ、克子さんはおばあちゃんになった。克子さんは今年73歳で、今も現役。握力はまだまだ健在だ。
旧大宜味村役場。沖縄初のコンクリート造。大宜味大工一代目の金城賢勇が棟梁。
株式会社kapokは建築設計と住宅や店舗の内装工事をしている、特にリノベーションに力を入れている。数年前から廃材活用を提案・実践している星屑工務店という活動ブランドを立ち上げた。建築現場で発生した余材・廃材を積極的に活用し、既存の建物や材料の経緯などをストーリーとして楽しんでいる。物件ではなく物語とkapokは話すようにしている。
最近の物語には、羊羊がある。北中城役場のすぐ近く、塗装屋の材料置き場だった平屋の外人住宅を和菓子屋ヘリノベーションした。既存の建具や照明はそのまま活かし、天井には他の建築現場で発生した廃材で化粧梁をつくり一面に張った。什器は沖縄市のまちづくりの際に商店街のシャッターの中でずっと眠っていたものをリペアして置いている。沖縄の住宅には珍しく、木建具であり、一つずつ補修を施した。ただそこにあるものを活用するだけでなく、施主と何度も打合せし、この場所のストーリーを一緒に編集している。
私と克子さんのように、人と建築の関係がもっとドラマチックになるように、私たち大宜味大工は技を語っていきたい。
岡戸大和
建築活動家
80年生まれ。横浜出身、沖縄在住。株式会社kapok代表取締役。まちづくりから建築の企画、設計、施工、大工、教育までマルチな活動を展開。「星屑工務店」や「旅する桟木」などさまざまなプロジェクトを沖縄で実践している。