砂の岬 鈴木克明・有紀x桑原茂一

デザイン: 池上 祐樹

桑原 『砂の岬』という名前、とてもいいじゃないですか。なんで『砂の岬』というお店の名前に?

克明 曲名からとりました。ぼくがインドを旅していたときに頭のなかで流れた曲のひとつ。それがTHE BOOM の曲『砂の岬』でした。MiltonNascimento のカバーの邦題ですね。曲と、あと、タイトルの響きが好きでした。一年くらいインドを食べ歩いていた2007 年、将来カレー屋をやりたいという思いで旅を続けている日々のなかには、楽しいことも辛いこともありました。その旅のなかよく行っていたチェンナイの浜辺で、日本の方角を向いて座っているときに、ちょうど『砂の岬』が流れました。そのときに、いつかお店をオープンするときには、この名前にしようと、漠然と感じたんです。

桑原 どうやってカレー屋さんになったんですか?

克明 どうなんでしょう…。

有紀(妻) 音楽レーベルのカフェで働いていたときに、私たち夫婦は出会ったのですが、そこで主人はシェフをしていました。

克明 その店でぼくは自由に料理を作らせてもらっていて、いろんな国の料
理を自分なりに表現しているうち、スパイスが面白いなと。きっかけはそこかもしれないです。

桑原 インドに行かれて放浪されて大変苦労されたというか、その事は、お二人の著書、「不器用なカレー食堂」で拝読させていただきました。誰でもできるわけではない経験をされたと思います。

克明 ぼくが本格的に料理を仕事とし始めたのは26 歳のときで、その道では完全に遅いなと思っていました。技術もないし知識もない。独学ですし。二年間そのカフェで料理を作っていて、楽しくやっていたけど、半年くらいで行き詰まってしまいまして。結局は本を参考にしたりの調理で、自分の料理ではなかった。美味しいと言ってもらっても、本当かなと素直に喜べなかったり。その当時、主に作っていたのはインド料理だったのですが、これは現地インドに行かないと、この先ぼくからは何も生み出せないと思ったんです。レコード屋になりたかった頃、レコードを買いにアメリカに行ったみたいに、素直にインドに行こうと思いました。で、お金を溜めてインドに行きました。

桑原 それ以前にロンドンやサンフランシスコに行った経験があったから?「カレーを作るならインドだ」ってポンといきなりは行けないものですよね。

克明 それ以前に海外に行くという経験がなかったら、いきなりインドに行くという発想にはならなかったかもしれないですね。

桑原 今、若い人たちが海外に行くということに対してあまり強い思いがないということをよく聞きます。

克明 ぼくもよく聞きます。

有紀 時代が変わっていっていますね。私や主人が初めて海外に行った頃はまだ携帯も持ち歩けない頃で、手紙とかインターネットカフェを使っていました。Wi-Fi もなく、情報は本を頼りに。今の方たちは日本に来る外国の方もそうですが、Wi-Fi でマップを見て…。旅の仕方が全然違います。日本にいてもインスタグラムで海外のすべてを見ることができる、というふうになると、気づかぬうちに満足中枢が満たされてしまっているのではないでしょうか…。

桑原 満足中枢(笑)

有紀 日本にいてもあらゆる海外のご飯が食べられますし。

克明 映像で景色を見ることができるものだから、それで海外に行った気になるというのもあるかもしれません。

桑原 砂の岬をオープンする前に、インドは何回行かれたんですか?

克明 三回くらいです。一人でいって、その後、妻を連れてって。長い時は一年ですね。ああ、一年行く前に、一人旅で一週間行きました。そのときは惨敗で
した。ビビッて、外にも出られない日々が続いて。

桑原 その時はどちらに?

克明 ムンバイです。初めてのインドで、かなり緊張して。

桑原 なぜ、ムンバイだったんですか?ムンバイというと南の方の港町ですよね。

克明 都会ですし、行きやすいからというざっくりとした理由で。今のように
細かく調べずに行ったので、案の上美味しいものも全然食べられませんし、ぼったくられたりのトラブルが続いたので、旅の後半はずっとホテルから出られませんでした。びっくりしちゃって。それくらい最初のインドは全然ダメでした。

桑原 あんなに不味い国だとは思いませんでした。最初に行ったとき、びっくりしました。笑

克明 それはプライベートで行かれたんですか?

桑原 いや、仕事でした。細野晴臣さんにも同行してもらって、レコーディングに行ったんです、クリスマス・ビデオの為の音楽を録りに。テーマはアメリカの50 年代のマントヴァーニ・オーケストラスに代表されるようなストリングス・アレンジで、永遠の明るい未来を感じさせる多幸感を再現したて、でもそれを再現するにはお金のことを考えると日本ではまず無理なので、しかも1950 年代当時のアメリカのウッディな響きのするスタジオで、ストリングス・プレイヤーたちをたくさん使えるところを考えると、映画音楽にストリングを多用するインドなら、もしかして、と妄想して(笑)

克明 面白いですね。発想がすごいですね。レコーディングはうまくいきました?

桑原 奇跡のような素晴らしいものでした。企画のコーディネーターに、現地のミュージシャンは譜面読めない、全部耳でとることしかできないから、なんてウソを言われていて、仕方ないからシンセサイザーのアーティストに全曲カバーして持参し、現地のコンポーザーに聞かせたら、“ 一晩、待ってくれ、全部譜面に起こしてくるから”って言われて。譜面書けるじゃんって。(笑)

克明 平気でウソを言う方もいますからね。(笑)

桑原 これが噂のインド商人か(笑)どんだけ騙されたか。12 曲録音する約束が、分けの分からない理由で結果4 曲しか録れなかったんです。なぜだか忘れましたが一度帰って、もう一回録りに行かなければならなくて、で、二度目に行ったら、最初、プレハブで仕事していた事務所が、まっさらのビルになってて、これ、明らかに最初に約束した12 曲分の録音制作費だなって(笑)

克明 すごいなあ。さすがインドですね。(笑)

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桑原 ムンバイがボンベイだった時代の話です。奇跡のような素晴らしいレコーディング体験をさせてもらったインドです。コンポーザーや現地の音楽家たちにもすごく感謝されました。異国の日本人との初めての経験が彼らにも刺激を与えたのかもしれません。その後、そのスタジオはオシビサがレコーディングしたことで有名になるんですが‥すいません、話が逸れました。

克明 いえいえ。

桑原 で、旅行費用が潤沢にあれば別ですが、過酷な土地で一年がんばれた理由はなんだったのですか。

克明 実はインド以外にも行っていたんですね。チベット、パキスタン、スリランカ、ネパール…。旅の半年くらいまではもう、ただ、ただ、好奇心。食べたことのない料理を食べる。人のうちに招かれて食事をする。ローカルバスで何十時間という長い移動のときにわけもわからない田舎町に下ろされて、そこの食堂に押し込まれて食べたあの味が美味しかったとか、そういう興奮がたまんなかったんです。毎日毎日そういう感覚を味わうために、情報もなしにローカルな人と一緒にバスに乗ったり。その日の出会いを大事にしていました。でもだんだんそういう繰り返しに疲れてくるんです。出会う人とは仲良くなるんですが、もともとぼくは内向的な人間なので。カレーを食べることが目的の旅は、食べては移動することが楽しかったのですが、後半からは変わっていきました。もう自分と会話する旅みたいになり。移動してただ、ぼーっとしたり。実はインドに行く前に彼女(有紀)とは別れていたんですが、旅の後半には彼女のことを思い出したり、そういう時間になってきて。人間的な時間でした。思い巡らせるのは、「国」というよりも「人」。それが長く旅をできた理由かもしれません。後半は違った意味での旅をしていました。

桑原 自分を見つめる旅というのは極上の旅ですよね。

克明 そうですね。カレーを食べてはメモしてという、とてもシンプルな日々だったからこそ、日本では素通りするようなちょっとしたことがズドーンと心に入ってくるような時期でした。今でも絶対に忘れられません。数えたら400食くらい食べた記憶をノートに書いていました。全部の店と食べ物の名前を、そして背景を憶えているんです。

桑原 すごい!

克明 それくらいカレーを食べることに想いがあったんです。もちろんただ楽しいだけでなく、苦しい時期もありました。ある時期、酷く体調を崩して三週間何もできなかったとき、今まで生きてきた二十何年間の人生を振り返って辛くなって…。前に進むことが億劫になって閉じこもっていたとき、インドの素直な心をもった方たちに出会って、もうちょっとインドにいようかなって。ちょっと前に出てみようかなって、その小さな一歩を踏み出せたことで、その後の旅も続けられました。やっぱり「人」ですね。

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桑原 選挙前のインタビューだからついこんなこと言ってしまいますが(笑)、今の話は実は非常に政治的だと思います。なぜかというと、政治を語るということは世界をきちっと見るということだと思うんです。iPhone で情報は何でも入るかもしれないけど、本当の世界を見るということはとても難しい。情報過多であればあるほど難しくなりますね。いい情報がたくさんあるように見えますけど、混乱もしますよね。鈴木さんが自分自身を素直にさらけ出して辛い思いもしながら一年インドに暮らしたということは、インドの人の生きている姿、生活を生で見てきている。それが政治なんだと思うんです。それが見えていないと、口だけの政治になります。いくら語っても人の心には届かない。

克明 実際に世界のいろんなところに行った方が伝える事実と、調べて何かを伝える事柄とは違う、ということですね。

桑原 違うと思います。もちろん調べる学ぶことは素晴らしいことなんだけれど、実際に生きている人をたくさん見てきた人にはかなわないと思うんです。世襲を受け継ぐ政治屋さんがいっぱいいます。それは特殊な職業を受け継いでいるだけであって、人間を見てきたというわけではない。政治屋になる方法論は小さい頃から学んでいるかも知れませんが、鈴木さんが見てきたのは底辺に生きている人たちがどうやって暮らしているのか、ということ。人間とはなんぞや?ということを見て経験して会得していくわけで、そういう人が政治をしてくれないと困るんですよ。そういう人が政治に携わっていないからこういう日本になる。アメリカの属国?人類のたった1% に満たない世界経済の支配者の奴隷?その事実に甘んじている自分に否と思わない思考になってしまっている。鈴木さんはインドでの生活を体験して、人間って結局は何を求めて生きているか?をよーくご覧になってきているわけですよね。だからそういう方が『砂の岬』という名前でカレーを作っているということは、余計なことを言わなくても、そこに来ているお客は何かを感じているはずです。だから飲食関連企業が「カレー屋は儲かるらしいぞ。砂の岬が流行っているらしいぞ。」と真似たチェーン店は作れるかもしれないけど、訪れる客の深いところに残るものはまったく別物だと思いますよ。

有紀 そういうところを感じてくださって嬉しいです。

桑原 砂の岬は、今後どういう展開を考えていらっしゃるんですか?

克明 全然先なんですけど、田舎に行きます。いつか。

桑原 どこに?

克明 今探しているんですが、山が好きなんで山の近くがいいです。ぼくの実家は静岡で、静岡と言えば海と言われますが、川と山で遊んで暮らしていました。なので山の近くに行きたくて。まだ探し当ててはいないんですが、ちょこちょこ山梨とか長野にふとしたときに車で行っています。いつかは田舎に行く気持ちでいます。

桑原 いいなあ。みんながそうなっていったらいいですね。どこにも帰属しなくても生きていけること、そういう人たちが増えていくことは、この国を良くしていくうえで大事な基盤作りだと思います。そういう人たちがどういうライフスタイルをしているか、を伝えていくことが今は大事です。お店に来る人たちに与える影響が、さっきも言いましたが、非常に政治的なものだと思っているんです。例えば、大阪の蕎麦屋さんが70 歳を過ぎて山の中で理想のお蕎麦屋さんをオープンしたという記事を見て、そうか、70 過ぎて夢が始まってもいいんだと思うと、すごく勇気をもらえるんですよね。だから、どんな素晴らしい企画書よりも生きているその姿を見せてくれる方がよっぽど強い説得力があるんじゃないでしょうか。

克明 まだお店は6 年しか経っていないんですが、ぼくは完璧主義者じゃないんですが、夢と欲があるんです。最高のシチュエーションというものを求めてしまうんです。お店というのは、料理の味、接客、外装内装、雰囲気だけではなくて、その店まで来る道のりや、お客様の緊張感や高揚感、そのすべて、人が意識するものが重なったときに生まれる感動を追求したいんです。それが今の世田谷だとちょっと足りないんです。すごく辺鄙な田舎でお店をしたいです。ぼくがインドで味わったのは、辺鄙な場所であればあるほど感動も大きかったので、そういうところでもう一回挑戦してみたいというのがあります。今の店がすごく好きなんですけど、限界があるんですね。もちろん今の店でこれからも頑張るんですが、頭のなかにそういうイメージがあります。

有紀 私たち、何度もインドに行かせていただいて、あちらですごい貴重な経験をさせていただいているのに、それを日本で反映できていないのは事実だと思います。本にも書きましたが、インド滞在中には1 ヵ月に10 都市以上廻ることもあり、その土地に根付いた郷土料理を食べ学ぶことにしています。何十円という安い食堂から、高級なレストランにも行き、安宿に泊まるときもあれば、高級ヘリテージホテルにも泊まります。インドでは宗教が違えば、食文化も違い、生活習慣も違います。そこに根強く残るカースト制度の影響もあり、それは現地に行き直接感じなければ、本当のことを知ることができませんでした。その旅のなかで、わたしたちが理想とするホテルといいますか、素晴らしいレストランがあるんです。そちらのマダムはもともと王族の奥様で、旦那様が亡くなられたあと、歴史ある建物をホテルにされていまして。……そこは、すごく行き届いているんです、すべてが。マダムがいるからこそすべてが統一されている。アンティークの飾り方も、食器の使い方も、料理の質も、サービスの仕方も、部屋の内装の小物ひとつにも、マダムのセンスが輝いています。その行き届き方はインドとか日本だとかという国を超えたスケール。ホテルはとても辺鄙なところにあり、夜行列車を乗り継ぎ時間をかけなければ辿り着けませんが、あの料理にもあのサービスにも、あの場所に行かないと味わえないですね。そういうことを経験させていただいているにもかかわらず、その良さを二人ともすごく感じているにもかかわらず、今の砂の岬ではまだ全部を表現しきれていません。この先そこを表現していきたいという欲が二人ともすごくあります。ものすごい数を買い集めたアンティークが家にありますが、今の場所では飾りきれなくて、そういうものもお客様に見ていただきたい…。お庭から待合室から全部作りたいんです。

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桑原 人間ってそれで生きているんですよね、きっと。人間はなぜ生きるのかと思うことがあります。自分を幸せにするだけだったらもう死んでもいいんじゃないかとぼくは思うんですよ、年齢的にもね。でも、自分が誰かにとって必要とされていることに気がついてそのことに一生懸命になると死に対する恐怖も少しずつ消えていくのではないかと思うんです。穿った見方かもしれませんが。例えば断食して身体の調子を整える方もいらっしゃいますが、あれはもしかすると死が怖い人たちがやっているんじゃないかと思います。誰かを幸せにしようとする人はそういうところに行かないと思います。自分だけを幸せにし続けてきた人は「健康でいたい」と考え、「自分の欲望をキープしていきたい」と思うでしょう。そうなると体が良い状態じゃないと美味しいものも食べられない、断食、という発想になる。ぼくはそういうことじゃないかと思うんです。選挙前なんで話は飛びますが、その昔の黒人の活動家、キング牧師を例にとると、自分の行動が黒人の歴史を1 ページ前に進ませるなら、暗殺されることを恐れない。つまり自分だけのためではない理想や希望は暗殺される死の恐怖を乗り越える力に変わるのではないか。そんな風に感じるようになりました。ぼくらの世代は、アメリカの文化、最高!素晴らしいものはすべて日本以外の世界にある、お金さえあればそれは自由に手に入る。とプロパガンダされた世代でした。成功してその通りになった方々もたくさんいます。それができなかったせいかもしれませんが、誰かに必要とされていることに一生懸命になる、ということの大切さを、非常に感じるようになっています。今自分が生かされているのは、このフリーペーパーや、自主ラジオ、pirateradio を一生懸命やっているからではないか、と。かつては食べることに関しても貪欲な人間でした。よくいろんなところに外食しました。そのきっかけは、その昔、『ローリングストーン』というアメリカのカウンター・カルチャー誌の日本語版に参加していた頃のことですが、もう亡くなられた加藤和彦さんに桑原君ごはんに行こうよと誘われ、当時、東京に何軒もないフレンチやイタリアンに連れていかれる。すると、一晩で二万も三万も使っちゃう。二回くらい誘われると給料が吹っ飛ぶ。どうやって暮らしていたんだろうと今になると思いますが(笑)。そのお陰で食文化について学びました。トノバン(私たちは尊敬を込めて加藤和彦さんをそう呼んでいた。)は非常に勉強家で博識で、ジントニック一杯飲むにしてもイギリス人は、時間帯やシチュエーションを考慮して飲むんだと教えてくれたり。

克明 面白いですね。

桑原 彼は元々フレンチのシェフになるつもりで修行していたそうで『帰ってきたヨッパライ』がなかったらフレンチのシェフになっていたとか。勉強家で原文を読んで学ぶような人だから、その辺のシェフよりも歴史的なレシピをよく知ってるんですね。一緒にお店に行ったときに、シェフが挨拶に来て、トノバンが質問するとシェフが凍り付いちゃうのを覚えています(笑)。食文化とはただ美味しいものを食べることではないこともトノバンから学びました。そんなわけで食にムキになった時期もありましたが、今は肉体的な衰えもあるけど、作ってる人に目が向くようになりました。長く生きていると教えられることが多いですね。

克明 価値観というのは自分でも作れるものだと思うんです。さっきおっしゃっていたジントニックのお話もそうですが、これはこういうことで…と食にまつわる話を知り語ることはとても興味深いです。人によってその楽しみ方は、音楽でも飲食でも、お金やものの価値でも、気持ちによって変わりますよね。すごく大事なことだと思います。時間をかけて、自分たちの人生と砂の岬の生き方に向き合っていきたいです。

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幸せとは意外にも些細なことで、身近にあるものかもしれない。インドはそれをいつも教えてくれる。だから僕は、インドが好きなんだ。。


s不器用なカレー食堂

鈴木克明・有紀(著) 
週4 日営業。1年に2回はインドへ。
砂の岬はどのように誕生し、営業しているのか。
なぜインドへ行くのか。


フリーダム・ディクショナリー
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