奢侈の耳

52-53

選曲・題字・画像 桑原茂一 Music Selection/image Moichi Kuwahara
FREEDOM DICTIONARY NO.210

「私を探しに」 監督シルバン・ショメ
歯ブラシが突如アスパラになる。

主人公はまだおしゃぶりが離せない頃、父親から受けた威嚇!いきなり振り向きざまに大声でぐっわ~にショックを受け、声を失った。さらに最愛の母親が父親に殺害される現場を目撃したことで、父親を憎み、女性恐怖症にもなったんだ。と記憶している。しかしそれは誠か?いつまでも子供のママで暮らす主人公が、そのトラウマを乗り越えるには過去に遡る必要がある。そして、その為のタイムマシーンが、この映画では怪しげなハーブティーとなる。しかしそのハーブティーとはなにか?もちろん、具体的にLSDとかエクスタシーとか現状のドラッグではなく、そこは、ファンタジーという態で、はぐらかされているのだが・・・。で、ドラマの流れで考察してみると、マジック・マッシュルームと思しきものが登場する。それをハーブティーにして接種しているようにもみえるが・・・口に含めば、おもわずマドレーヌで味覚を弛緩させる必要があるほど苦く、その刺激が急激に意識の変容意識の拡張・高次の意識状態を起こさせるがごとく、死んだように目を見開き気絶する。

つまり、過去の記憶を再現させる装置としてのお約束ごとゲームである。私の経験では、その種のドラッグは摂取すると、思わずマドレーヌとはいかずとも、嘔吐することが多かった。説明のつかない整理整頓できない幻覚というか無差別の想像力が湧き出ることで時に多幸感もあるが自縛的イマジネーションに苦しむということが起こってしまうアンコントローラブルな世界ではないかと思っている。この映画と共通しているのはティーにして飲んでもオムレツにして食べても不味く私は必ず嘔吐してからの始まりであった。さて、この映画はアニメの世界では有名な方の初めての実写監督作品だそうです。
そこで気がついたのだが、ファンタジーが得意な監督といえば、Wes Anderson, Terry Gilliam 他にも沢山いるが共通項は音楽にとても造詣が深いこと。必ずサントラAmazonとなるのは選曲が優れている からだ。例えば未来世紀ブラジルを例にとれば、
Geoff& Maria Muldaur/ Brazil
このカバー曲が使われなければこの映画の魅力は半減しただろう。
で、Terry Gilliamはモンティ・パイソンのメンバーでもあるが、彼らの視点が生きる精神が私を勇気づけ、あのスネークマンショーにも多大なる影響を及ぼしたことはいうまでもない。このタイトル曲にピンときたらぜひ映画をご覧いただきたい。
https://t.co/n8zWOpuRPu

“Always look on the bright side of life.”
人生の明るいところだけ見て生きてゆこうよ。(モンティ・パイソン名言集より)

おっと、WES ANDERSONの全てがわかる書籍がある。
IAN NATHAN / THE ICONIC FLMMKER AND HISWORK 邦題「旅する優雅な空想化」
彼の映画すべて好きだが、ビル・マーレイの出ている作品はどれも見逃せない。
ま、ようするに、どんなに世知辛い世の中であろうが、空想家であるならば人生は幸せそのものなのだ。つまり、
“人生の明るいところだけ見て生きてゆこうよ。”
ということなのではないかと思っている。
そう私は日々私に説得している。

すべては記憶の中にある
1995年1月17日5時46分 淡路阪神大震災 freepaper dictionaryで連載を始め、神戸ワンラブと題してドキュメント番組をコミュニティーFMで開始した。その記憶がフリーペーパー・ディクショナリーとラジオ番組に収録されている。
記憶の再編集がmixcloudで公開中の Pirate Radio 通称海賊船でアップロードされた。
再公開のアップロードは2023年1月17日5時45分
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/

「広告の仕事」 広告と社会、希望について 杉山恒太
広告は産業革命以降の大量生産・大量消費の申し子だ。大量生産・大量消費のエンジンとして長年その役割を果たしてきたが、量や規模の経済が明らかに終焉を迎えようとしている今、その役目を終えようとしている。では、広告が終わったかというと僕はそうは思わない。これまで広告が培ってきたコミュニケーションの経験値や技術、そして直感力などを侮ってはいけない。これからも世の中に必要とされるコミュニケーション技術だと思う。それは何かといえば、大量生産や大量消費ではない、量や規模ではない、人の喜びや幸せにつながるものだ
杉山恒太郎 (すぎやまこうたろう) 1948年東京生まれ。主な作品に小学館「ピッカピカの一年生」、サントリーローヤル「ランボー」、AC公共広告機構「WATERMAN」など。国内外受賞多数。18年ACC第7回クリエイターズ殿堂入り、22年「全広連日本宣伝賞・山名賞」を受賞。

第2章 僕のクリエイティブ・ライフ/ A DAY IN THE LIFE (一部抜粋)
葦みたいな奴だといわれたことがある。バタンと倒れて終わったかなと思ったら、またボコッと生えてくるイメージのようだ。しかも鋼できた葦なのだと。デジタルの世界に飛ばされた”ときも、結果的にうまくいったので、葦のように思われたのかもしれない。自分ではそんなにがんばり屋だとも思わないけれど、自然体でいられ、誰に対しても態度が変わらないというのは自覚がある。これは、おそらく親の教育の賜物だろう。あと学生時代に二年間海外にいたのも大きいかもしれない。両親は「威張る奴は嫌い」とずっといっていた。また、いろんな外国の人たちの中で暮らすことで、他人に対する距離感をきちんと身につけられたのだと思う。
この件をはじめ杉山さんの至言が至る所に記されている。人生に巻き戻しはないが、読みながらこの人生をもう一度やらせて欲しいと一瞬願った。願ったが、人生に起こったことはすべて正しいと思っている。良いこともそうでないこともすべて私に必要なことだったと思っている。でなければ、今日の私は存在しない。そう、この駄文を呟くこの瞬間こそが今一番幸せな時なのだ。

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この画像はとある京都の美術館で行われたイベントでのスナップです。写っているのは、スペイン人アーティスト、COCO CAPITÁN(ココ・カピタン)。日本の中学生が着るような学生服をおしゃれに着こなしているのかと思ったが、自前のテーラードだったようだ。ポエム風なフレーズを英語で思いつくままに描き出す様を大きなスクリーンに映し出す。それに反応するようにDJ田中知之がスピンする。その選曲が素晴らしく何年振りかに足腰首肩を揺らして汗びっしょりになった。普通汗をかくとスッキリするはずだが、ワクチンで併発した関節リュウマチの身には翌日ダウンした。といえばネガティブに聞こえるが、ダンスは私の生きる力でもあるので、思いっきり踊れたことが何よりも幸福な夜だった。死んでもいい〜とはいかずとも、踊る思いがまだ自分にあること、そこそこ体が動く事。そこに生きがいを感じるのだ。I WANT DANCE! BE LIVING!

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文・画像 初代選曲家 桑原茂一 上記の画像をイメージした選曲を日々想像している。


フリーダム・ディクショナリー
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