桑原茂→のとある

collage: moichi kuwahara design: yuuki ikegami
その夜は、前号で登場したジェントルマン・ミュージックの第一人者、青柳拓次に誘われて原宿のVacant へ出向いた。そこは私の古くからの友人のご子息たち、エリとユウスケの兄弟がマネージメントする古着のセレクト・ショップを隣接する今や原宿の新たな文化発信のアート・ギャラリーだ。そこへtakuji が誘うからにはきっとなにか新しい発見が待っているに違いないと心を踊らせて向かった。しかもその日の夕方は、渋谷区長のハセベ・ケンジさんへのインタビューで、シャープで実現可能な未来へのビジョンをたんまり聞いてすっかりいい気分になっていたのだ。うん?そのシャープなビジョンが知りたい?いいとも。まず嬉しいのは代々木公園の「ホコ天」が帰ってくること。渋谷のラジオも復活だ。初代、渋谷FM に入れ込んだ身としては誠に嬉しい。そして、何より感動したのは、障害者の人たちともっと触れ合おうという渋谷区長の姿勢だ。障害者のつくる渋谷のお土産とか、ファッションの街ならでは取り組みとしては、障害者のためのファッションブランドの立ち上げ、街のショーウインドに片腕や義足のマネキンが堂々と新しい美をアピールすとか。OS の更新を忘れ硬くなったままの価値観にオルタナティブな提案をする。それは世界の都市、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、と繋がる渋谷というイメージだ。都市の行き来が容易になればクリエイティブはどんどん面白く豊かになる。当然、政治や社会のあり方も変わっていく、渋谷が国際基準の都市になることが、ある意味、平和への架け橋にもなるということだ。オリンピックには懐疑的だが、止められないなら、パラリンピックにこそ希望を感じる。WEB からの盗作情報だが、ここに記しておく。
・障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される‒難病を患うコメディアンが語った、“ 本当の障害”とはコメディアンでジャーナリストのStellaYoung(ステラ・ヤング)氏は、世の中に溢れる「気の毒な障害者」という視線を、健常者が自分の感動のためにでっち上げた「感動ポルノ」だと批判します。障害そのものは決して特別なものではなく、「健常者/障害者」という枠組みがなくなることこそが、あるべき社会の姿であるというヤング氏の葉に耳を傾けてみるのはいかがでしょうか?( TEDよりwww.ted.com)

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さて、「仕立て屋サーカス」だ。裁縫師またはデザイナーのススギタカユキは、その昔、渋谷の水道局の跡地にあった「ディクショナリー倶楽部」ではユニークな展覧会を数回催したことがあった。回り道をしたおかげで、ね。そうなるべき人は必ずそうなるということだね。成功してほんとよかった。で、この最終日を拝見した私の雑感はこうだ。幾つかの要素が絡まって一つの方向へ向かう演劇的なパフォーマンスのようだが、音楽ライブの洒落たアレンジともいえなくもない。お洒落な若者がお洒落な若者を認識する為の装置が至る所に張り巡らされた迷路のようなワクワク感が人気のひみつと形容井の頭線に乗って行こう。つまりこれはここ数年とみに目立つ傾向なのだが、カフェであれ、レストランであれ、本屋であれ、カセット屋であれ、わざわざ人が集まるには十分な物語と仕掛けが必要というわけだ。そう現代の若者の誰もが当たり前のようにマルチタレントを自認するように、バリスタもソムリエも農業も大工もあれもこれもなんでもできるが肝心で、しかもかゆいところへてがとどくような細密さを兼ね備えていることが必衰だ。その分、多少の薄味は和風ということで深くは問うまい。せやさかい、引越しもデザインもさかい。出し物が観客を呼ぶというよりは、出し物を取り囲むSNS友達ネットがそのまま観客でありそのフェイクそのものを面白いと言っているようにも思えなクモ膜下出血。で、その辺には流れていないエキゾチックな会場のBGMが気になってお買い求めした1000円無許可(たぶん)コンピCD-R700MBPHONO-RVerbatimの選曲もサーカスをチーム名にするに恥ないいかがわしさを漂わせていてしゃれおつだった。観客も演者も境なくみんなで楽しむこと。いい時代とつぶやいて了。

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仕立て屋のサーカス
– circo de sastre –
東京公演 | VACANT

物語音楽家 × 裁縫師 × 照明作家 による現代サーカスグループ “ 仕立て屋のサーカス”。2016 年最初の公演は、一週間公演です。


フリーダム・ディクショナリー
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