FPM 田中知之 / DJという、発明の自由。
『 DJって何だ??リミックスって何だ??』
2017/01/22
@代官山ティーンズ・クリエイティブ
text:Hiroki Jinguji / photo:Eri Harada / design:Nozomi Uchiyama
田中知之(以下T) DJというものに対して、皆さんきっと色んなイメージをお持ちだと思うんです。基本的には大きい音が鳴ってるクラブやディスコと呼ばれる_場所で音楽を選んだりするのが「DJ」の仕事というものです。DJというものは、本来自由なんです。どういうスタイルで、どういう音楽をかけようが自由でいられる。もちろんそれぞれのクラブとか、ディスコとかには特性があり、色んなジャンルだったりテイストの音楽が求められていて、それに応えるように選曲するというのがDJの始まりだったんですけども、少しずつ、DJというものが新しいものを生み出すアーティストであって、クリエイターであるような、それこそミュージシャンの様になっていきました。DJたち自身から、そういう思いが芽生えて来たんです。今日はそういうDJという立場から音楽を産み出すということはどういうことなのか、そういうDJの自由というものを今日は皆さんに知って貰えればと思うんです。DJがやってる「選曲」、そして「ミックス」っていうものを今からここで色々と体験してもらおうかなって思っています。
それと、今日は一緒に音楽を作っているナカムラくんにも来てもらいました。
ナカムラヒロシ(以下N) こんにちは。今日はよろしくお願いします。
プロデューサー/作曲家/DJとして活動
最近では庵野秀明氏が代表を務める「スタジオカラー」制作の長編アニメ『龍の歯医者』のOP曲、サウンンドトラックなどを手掛ける。
クラブで生まれたDJの起源 -レコードで皆を踊らせよう!
T 「クラブ」という所は、大きい音で音楽を楽しんだり踊ったりする場所です。別にお酒飲むだけでもいいし、女の子に話かけるだけでもいいんですけど、基本良い気持ちになって皆で踊ろうっていうのがクラブの始まりですね。
DJの起源としては、60年代末ごろという話があります。それまでは音楽を楽しんだり踊ったりする場所では、生のバンドが演奏していました。「キャバレー」って呼ばれたりしてたんですが、そういう所で初めはバンドが生演奏してたんですけど、それだとバンドを雇ったりするのにお金が掛かりますよね。それでレコードで生演奏を代用しようかということになって、バンドの代わりに、レコードを選曲して音楽をかける人たち、つまり「DJ」が登場しました。
N レコードで音楽聞いたことある方、手挙げて頂けますか?結構いらっしゃいますね。
T ちらほらですかね。
N CDを聞いたことある方はどうでしょう?
T CDは多いですね。それとも、レコードもCDも触ったことないという人はいらっしゃいますか?ああ、それはさすがにいない。
ターンテーブル2台を使って、違う曲と曲を繋げる。
T ここにDJの業務用のレコードプレーヤーがありまして。DJはレコードプレーヤーとは言わず、ターンテーブルと呼んだりするんですが、業務用は何が違うかっていうと、速さを変えることができるんですよ。
それによって何が良いかっていうことなんですけども。ダンスをする人なら分かっていただけると思うんですけれど、曲が替わる時に、同じテンポのままで次の曲がスムーズに繋がったら、ダンスしてる人はスムーズに踊れますよね。例えばクラブで遊びに来てる人も同じわけです。
基本2台のターンテーブルを使います。真ん中にミキサーと呼ばれる音を混ぜたり切り替えたりするための機械があり、その左右に配置します。よくテレビや映画でクラブとかディスコのシーンで出てきたDJの人が、ヘッドホンを付けて、何かの操作をしてる姿を見たことありませんか?それは一方のターンテーブルで曲をかけている間に、次にかける曲の準備をしているんですよ。それで、今かかってる曲ともう一方のターンテーブルに準備した次にかける曲のテンポをヘッドホンの中で聴きながら、このつまみで合わせていく。
短い時間で曲のテンポを合わせれるようになるっていうのは、結構な訓練がいるので、昔はすごい一生懸命練習したもんです。そのうち最初はあんまり合ってなくても、なんか途中から目盛りをちょこちょこ動かして合わせていったりとか。手でこうやってちょっとレコードの淵を触って、速くしてみたり遅くしてみたりとかで調整して、ちょっとやってみます。
N 今は曲の頭出しをしてますね。
(曲が変わって、次の曲とテンポがスムーズに繋がる)
T DJはクラブでこういうことをやってるんです。
DJをめぐるメディアの進化と音楽業界への進出
T レコード盤にも大小あって、これは12インチ盤と言われる大きさで、32cmの直径で、曲の長さにもよりますが片面に6~7曲収録できるからアーティストのアルバムをまるまる聴けるからLPとも呼ばれます。一方こっちは7インチという小さい方ですね。いわゆるシングルレコードで、これは大体片面に1曲とか2曲しか入りません。
それで、回転数というのがあるんですけど、ここの33と3分の1っていう、33rpmっていうのと、45って書いてある45rpmがあるんですけど。この数字は一分間の回転数ですね。ゆっくり回ればゆっくりの収録時間が聴けるということで、12インチLPは大体33rpmで、一方7インチシングルは45回転で、速く回るんで、音がいいんですよ。
N 音情報が濃密っていうことですね。
T そうです、情報が詰まっていて、音が良いんですね。だからクラブでプレイするDJは、この7インチを使ったり、12インチなのに1~2曲しか入ってないDJ用の12インチシングル、マキシシングルって呼ばれるレコードを使ったりします。本来12インチだと33回転の場合、片面に6~7曲収録できるのに45回転にして1曲とか2曲しか入れない。しかも7インチシングルよりも収録時間も少し長い。このマキシシングル、実はDJが生み出したDJのためのレコードなんです。色んな曲を繋いだり、ミックスをする時に、歌が始まる前のイントロが長かったら、踊りやすいんじゃないか?とか、次の曲に繋ぎやすいんじゃないか?とかっていう風にDJは思い始めるようになって、DJが他人のレコードをかけるだけじゃなくて、音楽に手を加え始めたんです。それで、70年代くらいからレコード会社からの依頼でDJ用のレコードがDJの手によって作り出され始めたわけです。曲自体やイントロ、間奏が長かったり、踊りやすいようにリズムをちょっと強めにしてあったりしている。DJが単に曲を選ぶだけではなく、クリエイトし始めたというわけです。
その後、レコードの時代っていうのが徐々に終わりを迎えると、CDという新しいものが出てきました。DJの世界でも、アナログレコードじゃないこのCDを使ってDJをやりましょうっていうことで、出来たのがこのCDJと言うものなんです。ホントに、僕らはアナログでずっとDJをやってたので、CDJが出たときに、こんなもん絶対使うかって思ってたんですけど(笑)
N そうでしたね!ホントにそうやったなあ。
日本の機材がDJを支えて来た。
T 実は今も昔もDJ用の機材はほぼ日本の電機メーカーが作ってるものが圧倒的シェアを持ってるんですね。このターンテーブルはたまたまVestaxですが、これも日本のメーカーです。DJの世界で一番有名なのはTechnicsっていうメーカーですが、大阪に本社がある松下電器(Panasonic)のオーディオ専門の会社がTechnicsというブランドを作って、そのメーカーのターンテーブルでSL1200っていうのが70年代出たんですけども、えーっとこれがホントに丈夫ですごい荒っぽい使い方をしても、もう全然、
N 人が上に乗っても壊れなかったって伝説を僕聞いたことがあるんですけども、(笑)
T あーホント、それは知らんかったけど(笑)
N なんかスクラッチのとこ乗っても壊れなかったっていう。(笑)
T いや、それは壊れる!!まぁ、その、SL-1200っていうのはもともとDJ用に作られたものではなかったんですけど、そのピッチが変えられる割合が他のものより大きかったんですね。それでDJが使いだした。そのうち、TechnicsもDJ用ってことを謳い始めて、それでもう世界的なシェアで完全なナンバーワンになりました。実はレコード時代が終焉を迎えるというのと同時に、そのTechnicsはそのSL-1200シリーズの生産を止めちゃうんですけども。それ止めちゃったのが2013年ぐらいだったんですけど。その直後にアナログがまた再びブームになって(笑)、最近また作り始めたっていう。
更に日本のパイオニアってメーカーがCDJって言われるものをいち早く作ったんですね。それが2000年のちょうど頭ぐらい。アナログレコードではなくCDをプレイするDJ用の機材で、今現在もパイオニアがもう完全に世界のスタンダード、完全に独り勝ちっていう状況です。
その後に時代が進んで、iTunesに代表されるようなデータで音楽が聴けるっていう時代になっていく。そうなってきたらCDJも進化を遂げ、USBメモリやハードディスクに音楽のデータを入れて、レコードもない、CDもいらないで、データだけをこのままDJができるようになったし、PCをそのまま繋いでDJできるようにもなった。ハードディスクだと何万曲とかっていう曲をDJの現場に持ち込むことができるようになりました。前までは例えばレコードだったら、せいぜいレコードバッグに70枚くらいレコードが入るので「この中で勝負しなきゃいけない」っていうのがあったんですけど。
進化したDJの機材でできるようになった「魔法」
T CDJによって何が変わってきたかというと、アナログだと曲を速くすると音程も変わってしまうんですが、CDJやデータDJは、音程をそのまま変えないで、曲の速さだけを変えるっていうね、昔だったら本当に「魔法」みたいなことが出来るようになったんですよ。
アナログのターンテーブルでは、プラスマイナス8~16%位っていう幅でしか曲の速さを変えられなかったんですが、今はもう自由に変えられるんです。だからどんな速さの違う曲でも、ミックスすることができる。
そうやってDJ機材の進化と共にDJが現場でできることってのはどんどん増えていきました。
もちろんアナログの時代からスクラッチと言って、ターンテーブルの上のレコードを擦って生まれる音を楽器のように操ったりして、ミュージシャンのような面はあったのですがCDJなどデジタルの機材が進化して、選曲や次の曲をミックスをするだけではなくて、その場で楽曲にアレンジを加えていったりとか、よりミュージシャンのようなパフォーマンスが要求されるようになりました。
先ほど業務用の曲をDJがつくりはじめましたとお話ししましたよね。最初はちょっとしたイントロを伸ばしたり、リズムをちょっと強くしました、というだけのものでしたが、どんどん曲をDJが自由に、好きに作り変えちゃっていいですよ、というようになっていった。
「DJは発明だ」。音楽の発見による創造
T DJによるリミックスという作業は、 DJが単なる業務用の音源を作るだけじゃなくて、クリエーション、創造性を要求されるようになったってことで、技術の進歩によってそれが現場でもどんどんできるようになった。桑原茂一さんがいつも「DJは発明だ」っておっしゃってるんですけど、もともと選曲するだけの人が、選曲のみならず、ミュージシャンとタメをはれるというか、ミュージシャン以上のクリエイトができるようになったんです。
ミュージシャンはどうしても楽器があって、バンドのメンバーがいて、その中での関係で制約があるんですけど、 DJはそうした制約がない分、もともとは業務的なすごく消極的なクリエイトをしてたのに、一気に、まったく自由なことが出来るようになったんです。
そうやってDJがつくる音楽が面白いと言われ始めたのが1980年代終わりから1990年代頭ぐらいだと思うんですけど、イギリスとかを中心に「古いレコードがかっこいいぞ」と、レアグルーブ・ムーブメントって言うんですけど、当時まったく売れなかったレコードをDJがレコード屋さんで掘って、埃まみれになりながら探して「こんな面白いレコードや曲があったんだ!」って皆に聴かせるようになった。でもそうしたレコードって全然売れてなかったから、世の中にはあまり残ってないんですよね。だから最初のDJが発見した時は二束三文だったけど、紹介しちゃった後は、どんどん値上がりしていって、通常の中古のレコードの数倍から数10倍、すごいのだと5万円とか、10万円とかになったりもした。僕は一番高いレコードは100万円で売ってるのを見たことあります。
N 田中さんが買った中で一番高いレコードは?
T 僕はたまたま安く買ったものが、実はすごく高かったていうことがあって、とある映画音楽のサウンドトラックなんですけど、70年代に出たやつで、僕は海外で何気に安く買ったんですけど、それがたぶん今28万円ぐらいします。
N おおー。
DJによるREMIXを、実際に聴いてみる。
T 話を戻しますと、DJがクリエイトするremixというものは一体どんなものか、僭越ながら私のやった仕事でみなさんに聴いていただけたらなと思うんですが、ちょっと最近のミュージシャン系でわかりやすいところ持ってきたんですけども、サカナクションってグループはみなさんご存知でしょう?
彼らがメジャーデビューして東京に来た直後に、ひょんなことから「remixをやってくれませんか」と頼まれて、彼らのメジャーデビューアルバム収録「三日月サンセット」っていう曲があるんですが
(曲流れ始める)これが彼らのオリジナルです。
(「三日月サンセット」)
T もともと彼らはバンドですけども、すごくクラブ的な思考も持っていて、本来バンドが作った曲っていうのは、ボーカルがあって、そこにコーラスが載っかって、ドラムの音、ベースの音、ギターの音、と色々な音が何チャンネルにも分かれていて、それを最終的に右と左の2チャンネルに割り振る。トラックダウンって言うんですけど。
だからそのトラックダウンする前には、例えば48チャンネルとかに音が分かれている。昔は16チャンネルまでしかなかったんですけど、その前は8、その前は4、というふうに、時代とともにチャンネル数は増えてきたんですが、今はコンピューター上のハードディスクで録るので、無限にチャンネルを作れるんですよ。
それでボーカル、ドラム、キーボード、ベース、コーラスの音が、それぞれ別々になったものをremixするときには、貸してくれるんです、これを好きに使っていいですよ、と。それはマルチトラックと呼ばれるもので、本来は門外不出で、他の人に聴かせたり、あげたりしたら絶対にダメというルールがあるんですけど。
僕はremixやる時には大体いつもボーカルのトラックだけ使います。だからこの「三日月サンセット」の時も、山口一郎君のボーカルだけを使ってあとの後ろのドラムとかキーボードとかベース、他のメンバーには本当に申し訳ないですけど、全然違うものに作り変えて作ったのがこれです。
(「三日月サンセット」FPM everlust remix)
T オリジナルはすごく、メランコリックというか、ちょっと叙情的な感じがあるんですけれど、remixの時にはボーカル以外を全く違うトラックに差し換えているので、コードなどを、要するに音楽的なすべてを変えてしまっている感じで、こういうふうにすごくアグレッシブに、音楽の意味や印象すら変えることも出来てしまうんですよ、リミックスって行為は。
こういう叙情的な曲をアグレッシブにする時もあるし、その逆もあります。例えば松田聖子さんの「あなたに逢いたくて」っていう曲があります。これはちょっとした懐メロ的な曲なので、みなさんはもしかしたらご存知ないかもしれないですけど、松田聖子さんという日本の歌謡界を代表する歌手の、オリジナルはこんな曲です。
(「あなたに逢いたくて」)
T いわゆるバラードですね。で、このバラードの、叙情性をさらに僕はもっと強調したいなと思ったんです。それでジャマイカのレゲエといわれる音楽があるんですけれど、すごく古いレゲエ、60年代のレゲエのリズムや、音作りというものを引用して、これもやはり松田聖子さんのボーカル以外は全部切り捨てて、50年代のジャズのレコードのバックの演奏の一部分だけを持ってきて貼り付けています。まあこれは厳密な話をすると、勝手にやったら怒られます。でも問題にならないように、ちょっとだけ使って演奏を作り替えました。バレなければOKというか…。
なので、生で演奏はしてません。松田聖子さんのボーカルに載っけても大丈夫なように、レコードの一節を探してきて、そこにさらに加工したりして作ったremixがこれです。同じく「あなたに逢いたくて」っていう曲名は変わりません。ただ、FPM mix for lovers っていうremixを付けたんですけれども。
(「あなたに逢いたくて FPM mix for lovers」)
T こういう曲に変身させたんですけども、50年代のレコードを引用、サンプリングって言うんですけど、することでまるで松田聖子さんが50 年代に録音した曲のようになってしまうという。
更にもう一つ。このリミックスは、お題がきた瞬間に、「俺の持ってるあのレコードとこの曲を合体させたらすごいリミックスが出来るに違いない」って閃いたものがあったんですよ。
N 降ってきた。
T 降ってきた。しかも頭の中でそれ作ったときに、「これ、ヒットするんじゃないか」と思った。例えば今J-WAVEっていうFMラジオ局があるんですけど、それに日曜日にTOKIO HOT 100というチャート番組があるんですね。俺はこのremix、もしかしたらそのトップ10にチャートインするんじゃないかと思ったんですよ(笑)そしたら本当にチャートインして、最高7位まで行ったんですよ。Earth,Wind&Fireっていうグループ、このグループのリーダーの方は最近亡くなっちゃったんですけど、「September」っていう70年代終わりくらいの大ヒット曲の原曲です。
(September)
T これが「September」って曲なんですけど、このremixやってくださいって依頼が来たんですね。その時、あ、俺の持ってる南米のボリビア共和国のあのレコードとこの曲のボーカル、ぴったり合うかもと思ったんです。僕、変な国の変なレコードを買うのが好きで、たぶんこのレコードも日本で持ってるの僕だけだと思うんですけど(笑)。
N それはどこで手に入れたの?
T これは、たぶんアメリカにDJのツアーに行ったときにどこかの街の中古レコード屋さんで買った。これいわゆる大きなレコード会社から出してない、自分らで作ったレコードなんです。
で、さっきも言ったように、過去のレコードなどからサンプリングするには、本来ならばお金を支払ったり、許可を貰ってからやらなきゃいけないんですよね。でも、こういう身内で作るようなレコードだったら、権利関係も緩いだろうと。
N なるほどね。
T しかもこれボリビア民謡だから、著作権は自由だし。それで、頭の中でremixができちゃったんですよ。これがそのボリビア共和国の曲です。
(曲はじまる)
N ちょっとこういうラテンぽい、トランペットの。
T 本当は歌が入るんですけど、イントロ部分だけを使った。なぜならEarth,Wind&Fireの歌があるから。これ、自分で言うのもあれなんですけど、僕、天才やなと思って。(笑)Earth,Wind&Fireとこれが合うっていうのが頭の中で出来上がって、まさかと思ってやってみたら、これがバッチリ。
(September FPM Beautiful Latin Mix)
T ね、合ってるでしょ?こういうことを思いついたり、実際にやっちゃったりして新しい曲を生み出すということが、DJの「クリエイト」っていうことなんです。
音楽理論を知らないからこその自由
T 僕は、先ほど言ったようにバンドでベース弾いてたんですけど、ちゃんとした音楽教育というものはまったく受けたことがなくて、ピアノとかも習ってないし、いわゆる絶対音感もないし、譜面が読めるわけでもない。ましてやコードの進行とかについてもちゃんと勉強したわけではないんですけど、なぜかこういうことを思いつくのがすごく得意なんですよ。
それはもう、ナカムラくんはピアノが弾けたり、音楽理論もちゃんと知ってるし、よく彼と一緒にremixの仕事とか作曲の仕事とかやらせてもらうんですけど、僕は逆に、そういう音楽理論の勉強とかをしなくてよかったな、しなかったからこそ自由にこういうことを思いついて、色んなものが作れるんだなって思っています。僕は逆に、ピアノが弾けないとか、音楽理論を知らない、ということを売りにしていかないといけないなと。これは開き直って。(笑)
N (笑)
T その代わり、色んなこと思いつくの、俺は得意だぞって。(笑)逆に言えば音楽理論に縛られていないからこそ、自由に、色んなことを、思いつくんじゃないかと。
こういうことこそが、いわゆるミュージシャンではない、DJのクリエイトではないかと思うんですよ。
DJが「儲かる」職業になって来ている、、、!?
T 細かい話をすると、リミックスっていうのは、オリジナルのメロディを作った人、オリジナルのコード進行を「作曲」した人が権利を持っているので、僕らDJはいくら新しい「クリエイト」をして、新しい楽曲として全く違うコードをはめたり全く違うアイデアを曲に入れても、作曲者としての権利や印税は一切もらえないんですよ、もちろんね、ギャラという対価はもらえるんですけど。
でもいわゆる僕らがリミックスした曲のレコードが百万枚売れようと、ウン千万円の印税がもらえるのは原曲の作曲者で、リミックス作ったDJはそうした恩恵を受けれなかったりするんですけど。そんなDJがですね、最近なぜか巨万の富を得るようになったんですよ。まあ、僕は、大して得てないんですけど(笑)。 DJは小さいところでも100人、多くても500人とか、1000人くらいのクラブで音楽を日々選曲し、人々を踊らせているわけですが、最近はそういうクラブではなくて、いわゆる「フェス」で、何万人という人を前にプレイするDJが出てきたんです。
欧米では、本来クラブやDJがあるべきマニアックな世界観とは別の「フェス」と言う場を作って、DJにプレイをさせて、すごい音響と、すごい照明と、いろんな演出を一緒にして、巨大な「ショービジネス」として作り上げた。そうしてそのフェスではDJが本当にスーパースターとして、ロックミュージシャン以上の存在になっていたりする。そういう音楽を知ってる方もいらっしゃるかもしれませんが、EDMという呼び方をするんですけど、エレクトリック・ダンス・ミュージックの略。そう言ったらコンピュータやシンセサイザーを使って作る音楽は全部EDMじゃないかと、思うかもしれませんが、言うなれば、アメリカなどのショービズの世界が作り上げた、ポップスとしてのダンスミュージックです。
そこに「フェス」を中心としてお金を生み出すシステムを作ったものが、いわゆるEDMというものです。皆さんも、もしかしたら知ってるULTRAというすごく有名な「フェス」なんですけど、そういうULTRAに代表される、巨大なフェス、DJが作る音楽と、凄いパフォーマンスっていう、三本セットみたいなものが、今世界中を席巻していて、そのせいで、DJが出演して、一時間プレイをすると、そのギャラが3000万円。つまり時給3000万円になるっていう。(笑)そういう人がどんどん出てきているのが今のDJ業界なんです。
ただ、EDMという音楽はそのスタイルまでもをショービズベースで作り込んでいるので似たような音色を使った、匿名性の高い音楽になってるということがあり、僕は好きではありません。ただ、いわゆるダンスミュージックであったり、クラブだったり、DJというものが、前まではすごくマニアックな、好きな人だけがアプローチするものだったのが、巨大なフェスやEDMの誕生のおかげで、すごく一般的なものになったんですね。これは本当にありがたい話だと思っています。僕自身は現在のEDMにフィットしなかったんですが、EDMもどんどん時代と共に変わっていくし、もしかしたらみなさんがDJを目指したりとか、クラブに遊びに行ける時には、EDMという流行も、形が変わって、もしかしたら「FPMが作る音楽の方が今のEDMの3000万のギャラのDJより良いんじゃないか」って人が増えたら、僕は一時間で3500万くらい貰ってるかもしれない。そういう夢だけは、持ち続けてます(笑)。
ただ、みなさんに言いたいのは、DJというのは本当に面白い仕事だということ。今日僕、この中から未来のスーパースターDJが生まれてくれれば、って。
N そう、そう話してましたもんね。
T もしそうなったら、「あの時のFPMのあの一言が私を、生み出したんです」って言って下さいね。(笑)それを、本当に期待してます。まあ、見たことある人もいるかもしれないですけど、EDMの現場がいかにでかくて、どんだけ凄いか、見てみましょう。
EDMがもたらした罪ー本当のDJの自由さとは何か。
N ベルギーとアメリカあるけど、どっちが良い?
T ベルギー、行ってみましょう。Tomorrowlandっていうんですけど。はい。(youtubeみる)
T このフェス、何万人って入るんですけど、チケットが数秒とかで売り切れるんですよ。フェスの起源は、60年代終わりころ、アメリカの有名な「ラブ・アンド・ピース」をメッセージにした「ウッドストック」っていうすごいロックフェスがあって、そこから始まって後々フジロックとかに繋がっていくんですけど、つまりはロック歌手やバンドがメインのフェスだったわけです。それが今やいわゆるDJがパフォーマンスをするフェスっていうのが、ロックフェスより人を集めて、世界的に人気を集めている状況になっている。だから、本当にそういう意味では、時代はどんどん変わって行ってるし、DJと言われる立場というものに対して、世間の人たちの考えっていうのもどんどん変わってきてるし、そういう意味では、DJっていうのはすごくやりがいがある仕事じゃないかなって。でも、こんな話があるんです。ショーとしての完成度を重視するあまり、あらかじめ選曲やミックスが決まってしまっていて、それは照明とか映像とかにガッチリ合わせるためで、その場でフレキシブルに選曲したりリミックスすることはフェスのステージでは許されないって言う・・・・。
そうなると、一時間のセットだったり、一晩の流れ、一晩のドラマ、一晩のストーリーみたいなものを考えながら選曲をしていくという本来のDJがやるべきことが出来なくなってしまっている。あまりにも「ショービズ」として完成されたものを目指さんがために、最初から曲もアレンジも何もかもが決まってしまっていて、現場でミックスしてるフリをしているだけ、っていう。シーンや立場が大きくなりすぎると、本来「自由」であるDJが、自由でなくなってしまうというのも皮肉な話ですよね。
とにかく、色んな「エモーション」を現場での選曲やミックスで伝えることが出来る人が僕はDJだと思う。何もテクニックだけ、とか、人が集められるからとか、じゃなくて、「良いDJ」っていうのは、本当はそういうものに限定されるべきではないと僕は思います。
Q&A
T なんか駆け足になっちゃいましたけど、二時間って短いですね、今僕がDJとしてやってきたこと、やってること、なんとかみなさんに伝えられたのならいいな、と言う感じで。もし、なんか、チャンスがあるならば、第2弾をやらせてもらえたらいいかな、なんて思うんですけど。もっと、さらに実践編っていうか。ほんとに、僕、全然、なんでも教えるんで。何か質問だったりありますかね?
使っちゃダメな曲とか使ったりって言ってたじゃないですか。それって・・・・なんというか、たまにほんとに訴えられたりとか、そういうことってあるんですか?
T あ、全然ありますよ。僕ですらあるし、ほんとに有名なヒップホップの人達とかって、すごくあって。例えば、ブルーノ・マーズが唄ったマーク・ロンソンの「アップタウン・ファンク」って曲は、色んな元ネタがあるということで、3、4人のアーティストから権利を主張されて。あれだけ世界的なヒットになっても、多分、マーク・ロンソンだったり、ブルーノ・マーズのところにはあんまりお金が入らないんですよ。
だから結局、本来見つからなかったらOKなことが、見つかっちゃったりして、有名な曲をサンプリングしてるならまだしも、最近は拡大解釈されちゃって、「似てたらアウト」みたいなことになってて。ちょっと難しい話なんですけど、裁判でそれを争った時に、アウトっていう判決が一度出てしまうと、それ以降の色んな楽曲が、「あの判例がああだったからこれもアウトだよ。お金払えよ。」とかって、せっかくレコーディングしたものを出せないとか。逆に回収しろとか、そういうことになってる。
だから今、ほんとに状況が良くなくて。それこそお金のあんまりかからない手法として、バンドを雇えないヒップホップのアーチストが、右と左のターンテーブルでレコードのイントロだけをずっとリピートして音楽を生み出すことを発明した本来一番安上がりだった手法が一番高価な手法になってしまった。
でも僕、いつも言ってるんですが、これって「クリエイト」だから、全く別物になってるわけじゃないですか。例えばiTunesだって同じ150円でフランク・シナトラの曲もFPMの曲も売ってるわけでしょ。なのにサンプリングの時だけ、なんですごい高い・安いがあるの?って。だからもう一律にすれば良いのになっていうふうに思うんですよね。ずっとそう言ってても、なかなかそうならない現状があるので、もし本当に、またそういう話をするチャンスがあったら、もっと深く色んな話が出来るんですけど。
なんでDJになろうと思ったんですか?
T 僕は最初はバンドでベースをやっていて本当にプロのベーシストになりたかったんですよ。16歳ぐらいの時にベースを買って、仲間と一緒にバンドを始めたんです。そうしたらある時、京都のすごいアンダーグラウンドな音楽シーンを裏で牛耳っていた女性プロデューサーがいたんですけど、その人は「マルディ・グラ」っていう夜中の12時から開くブティックをやってて、その人にすごく可愛いがってもらっていろんなライブハウスに出演できることになったんです。
ある日、宝島社っていう雑誌の出版社が当時やっていた「キャプテンレコード」っていうレコード会社の企画したオムニバスアルバムに参加することになり、「やった!」と思っていたら、そのキャプテンレーベルが倒産しちゃったんですよ。収録予定曲の録音終わった後に。
N 録音終わった後に!?
T そう(笑)それでもう夢が破れてしまったんですよ。「バンドでやって、ベース弾くのもなあ」と思った時に、音楽が聴けるバイトがないかなと思ったら、「ディスコの皿洗いのバイトがあるぞ」と、友達に誘ってもらって、京都の四条の祇園にあるマハラジャっていうディスコで週三回くらいお皿洗いのバイトを始めた。そこで「DJってかっこいいな」と思って。それでバイトの時給を貯めて、Technicsのアナログレコードプレイヤーと、小さいミキサーを買ったんですよ。それがきっかけ。
外国の人で 一番好きなラッパーはいますか?
T ラッパー!うん、ちなみに、君は誰か好きなラッパーはいますか?
Run-D.M.C.!
T Run-D.M.C.!!すごい!(笑)
Run-D.M.C.僕も大好きです。僕がヒップホップを好きになったきっかけもRun-D.M.C.なんですよ。ほんとに、僕が10代の終わり頃に、Run-D.M.C.がもう、いきなり何もなかったところから、バーンと出て来てヒップホップっていうのを全員が知ることになった印象ですね。
FPMっていうユニットで音楽をやり始めてから、Run-D.M.C.にラップしてもらおうと思って、正式にコラボレーションを申し込んだんです。そしたら、その直後にRun-D.M.C.の、ジャム・マスター・ジェイっていう人が射殺されて死んじゃったんですよね。射殺されてなくても、もしかしたらOKは出てなかったかもしれないけれども、ちゃんと、Run-D.M.C.の事務所から、「今回、ジャム・マスター・ジェイが射殺されてしまったので、申し訳ないですけど、あなたの依頼にはお答えできません。」っていう、結構まともな返事が来たんですよ。
自分はヒップホップのアーティストではないけども、彼らと出会ったことで、僕は、それこそRIP SLYMEっていう日本のヒップホップのグループがデビューする時に、プロデューサーとして彼らと一緒にトラックをつくったりとかできたんだと思う。そういうのを導いてくれたのはやっぱりRun-D.M.C.なんですよ。
今日はこんな未来ある素敵な皆さんの前でお話しできたことは、すごく光栄で。ほんとに、DJになれということではなくて、DJという存在の見識を深めてもらえたのなら、それだけでも僕とナカムラ君が来た甲斐はすごいあったと思います。またもし、第2弾をやらせていただけるんだったら、参加して下さい。その時には、さらに突っ込んだ話とか、さらに言えない話とか、すべらない話とかいっぱいあるんで。
N そんなんあるの?(笑)
T DJあるある、とか(笑)。そこらへんを存分にやりたいと思います。本当に今日はありがとうございました。
N ありがとうございました。
T 皆さんと一緒に、僕記念撮影したいな。いいですか? 20歳になったらぜひ、私がDJをしてるクラブに遊びに来て下さい。その時はもう、一杯おごります。そしてさっきも言いましたが皆さんがスーパースターDJになった時には、「あの時の田中さんの一言があったんで僕は今ここにいます」って言って下さいね。(笑)今日はどうもありがとうございました!(拍手)