選曲家は、音楽家は、音楽ジャーナリストは、 今日の時代をどう見ているのか?
沖野 椎名さんのロックのセレクトって、レアグルーブの本質も知っているけど、踏み外してもいる。ぼくは比較的海外にも目を向けていたけど、京都にいて東京に対して強烈なジェラシーと憧れがあった。東京って、京都から見てちょっとキッチュ。ピチカート、スカパラとかね。東京には東京にしかないカルチャーがあって、嫉妬と憧れがあった。で、一方で、京都はブルースやジャズ、王道みたいなイメージ。でもね、椎名さんは、どちらでもなかった。外しているんです。その発想、外し具合は独得なスタンスでした。摩訶不思議なセレクト。そこに至った背景みたいなものに、すごい興味ある。
桑原 最初の椎名との出会いは?
沖野 ディクショナリーのチャート。あと、レオパレスの雑誌に椎名さんがコラム書かれていました。
椎名 秋元康じゃなかったっけ。秋元の名前を冠して……『03』という雑誌だったっけ。それでレビューしてたんだよ。そうだ、あとね、ぼくはスネークマンショーには完全に影響を受けている。それは絶対に認める。ゆるしてくださーい(笑)。一日に三回聞いてたもん。関東、東海、大阪、電波がいいと三回聞いてたもん。
椎名 すごいですね!
桑原 椎名君の選曲が始まったのは、俺的には、ポパイミュージックネットワークなんです。FM大阪の25分番組。たぶん、日本初のノンストップミックス番組。
椎名 JUN提供の深夜番組東京FM?[バリケード]よりも前だね、全然。
TokyoFMトランスミッションバリケード
桑原 ノンストップだからDJが曲の説明ができない。そういうのをクリエイティブな行為としてとらえてほしいといっても、誰も分かってくれなかった。でも、青山真治監督とかは、高校生のとき、聞いててくれて。門司の人だけど。学校からダッシュで帰ってラジカセのボタンを押してバタッと倒れるんだって。間に合ったーって。
椎名 夕暮れ迫る5時半だったね。
桑原 あとさ、福岡出身のバンドのやつで、ミュージックネットワークのおかげでバンドやってます、ってのも多いよ。あれは不思議な番組だったよね。
椎名 中西としお、ヤン富田。ゲストプロデューサーもいたしね。
沖野 そもそも二人はどういうつながりだったんですか?
桑原 プラスティックスのおっかけ。かわいらしい60’sのキュッとしたスーツを着てね。
椎名 ね、あれは道玄坂の緑屋の裏で買ったんだ。知ってる? まあそれはそれとして。(笑)でね、『屋根裏』っていうライブハウスでプラスティックスが毎月出てて、毎月通ってたの。で、ある日、ぼく、プラスティックスにインタビューしに行ったんです。スネークマン大好きですって話になったの。そしたら、スネークマン作っている人だったら知ってるよって言われて。「ぜひ紹介してください」ってなった。(笑)で、紹介してもらったんだ。
桑原 初代アシスタントだからね。
椎名 でも、あの頃はちょうどスネークマンショーもパンクの選曲に移る過渡期みたいな時だったね。パンクの反抗精神というのかね、言葉にすると薄っぺらくなっちゃうけど、そういうのを、どうやったら音にできるかとかやってたし、コントもそういうのだった。試みがとっても面白かった時期だと思う。それまでのスネークマンは、もっとちゃんとした普通のロック番組だったでしょ。ところがパンクが出てきた瞬間、ね……。
桑原 目覚めたんだよね。(笑) 77年にロンドンに行ってシングルを山のように買ってきて、それを一生懸命聞いて、これ、どうやったらラジオにできるかって考えて、元々自分が映画「アメリカングラフティ」のウルフマン・ジャックに憧れて、克也さんにお願いしたスネークマン・ショーはラジオのクラッシックDJのスタイルで音楽のイントロで曲を紹介する世界で、それが、パンクは、ノールールで、いきなりドンと歌から始まるから、しゃべれねーよ、って。そんな克也さんの声を聞いて、いい感じになってきたぞって俺は思ったんだ。(笑)
椎名 そこですごく変わったんだよね。
桑原 音楽からもらった衝動だからね、すべてそこが根源。よくさ、スネークマンのことで、「お笑いの脚本があるんですか」って聞かれたりするけど、そうじゃない。説明出来ない衝動から現実を見ているからさ。結局、ネタは音楽だったんだよね。その後、いとうせいこうと宮沢章夫が加わってコントのネタ考えるときも、曲をかけるの。で、曲を聞きながら「この感じで作るんだよ」って言っちゃうから、困るよね。
椎名 茂一はそういうことができたんだよね。それがすごい。ラジオでリスナーだった頃に、そういうのが伝わってきたから。聞いてて、すごく入り込んじゃう。熱狂しちゃう。向こうに自分がいるみたいな感じで。
沖野 それって、すごい、音楽のパワーだと思う。もう一回、選曲が持っている力を世の中にアピールしたいと思いますね。
桑原 沖野君はプランナー、発想力、実行力があるからね。
椎名 実現させちゃうし。
沖野 DJが集まって、っていうのは、反戦がテーマでもいいですし、そうでなくてもいい。もう一回、集まりたいなとは思っていたところなんです。というのは、DJって、出てきた頃って、お客さんも少なかった。DJがみんな束になって集まらないと、500人、1000人のお客さんは集まらなかった。それがね、今はパイがでかくなってね。
椎名 スターシステムもできてね。
沖野 そう、そうなると横のつながりがなくなる。それぞれでお客さんを集められるし、それで成立している。でもさ、もう一回、メジャーな音楽産業にかすりもしなかったあの頃を……ぼくがDJ始めたときはお客さん3人ですから。あの頃の初期衝動を再確認する意味でも、もう一回、DJが持っている影響力っていうものを表現していきたい。志がある人に来てほしいですね。人気があって集客ができるとかじゃなくて。本当に音楽信じてて、それこそ、儲かろうが、そうじゃなかろうが、やる人。あの頃、儲かるって思ってやってたわけじゃなかったもん。好きな音楽に賛同してくれる人とのコミュニケーションが、ただ楽しかった。だからね、有名な人が来て、回して、1000人集まりました、2000人集まりました、ということは、本意じゃない。DJ10人で、それぞれが10人連れてきて、結果100人集まりました、みたいなの方がステージの密度は濃くなるとぼくは思うんです。
桑原 それは俺も賛成だ。
沖野 まあ、人数多いに越したことはないですけどね。
桑原 自由度があるメディアで、まずやろうよ。そして、繰り返し、繰り返し。
そうしたらおのずと「俺も言いたいことがある」という人は出てくると思う。
沖野 選ぶ曲の自由度って、リスナーの意識を変えると思うんです。もちろん、ラブアンドピースじゃないけど、たとえばそんなふうに曲の中にメッセージをこめる人もいます。その一方で、曲紹介の自由度の高さこそがインパクトを与える、ということもある。ぼくね、プログレを掘るようになったのは椎名さんの影響。レアグルーブやジャズの人は、プログレにはいかなかった。ぼくはね、そこに金脈があるような気がした(笑)ぼくがプログレの曲をかけると、え、プログレってこんないい曲があるんですかって、リスナーは、目からうろこな感じ。この目からうろこな感じが、音楽だけじゃなくって普段の生活にも反映されると思うんです。選曲の自由度はすごく大切。もちろんなんとか特集、ハワイアン特集とか、選曲にルールがあるのもいい。でも、ルールが全くなくてとんでもない音楽がどんどん出てくる自由な感じって、何気に今の人には持っていない。ヒットチャートで騒がれているものしかチェックしないとか。誰かがディアンジェロと言い出すと全員がそれを聞く、みたいな。まあ、いいと思いますよ、そういうのも。でも、もっと他にいいのあるやろ、と言いたくなる。世の中に知られていないけどこんな曲があるぞ、と選曲家が示したり、この曲の次にこの曲をかけるってむちゃくちゃだけど自由でいいじゃん、って表現したりするのは意味深い。偏見や先入観を取り除きうる。選曲家は、サブコンシャスに影響を与えると思うんです。
椎名 すごく大切ですよね。知らないものを知るってこと。なんか、みんな「この曲知らないから聞かなーい。歌が入っていないから聞かなーい」って言う。でもさ、そういうのよりぼくたちがラジオ好きだったのは、知らない曲をかけてくれるところなんだよね。たとえば、ぼくはインターネットラジオよく聞くんだけど、テーマのない選曲がとっても好き。昨日もたまたまアップルのラジオで全く知らないアメリカのロックミュージシャンの選曲があったの。アップルのBeats1っていうラジオ。そのロックミュージシャンのバンドの音自体は全然タイプじゃない感じ。でも、その人の選曲はとってもよかった。知らない曲をかけてくれる。自分の微妙なバランスってあるじゃない、自分にしっくりする曲もありつつ、全然知らない曲との出会いもある。そういうのが欲しいんだけどね、ぼくなんかは。だけど、どうも世間一般の方々は、自分の好きなジャンルがあんまりないから興味ないっていうんですよね。それはそれでいいけど、興味ないところからなんかが来るのが、面白いんですよ。それが、音楽の楽しみ。Facebookなんかでも、全然違ったラインからウォールにあげてくる人がいて、それはそれですごく楽しい。だけどねえ、みんな、なんか保守的。その保守的な感じは、音楽にお金を払わなくなったのと根は同じような気がして。このあいだ、ラインミュージックが課金し始めたときのTwitterの反応みました? みんな怒っているんですよ、子どもたちが。3か月無料で登録して、3か月が経って課金が始まって、30秒しか聞けなくなったの。金とるんだったら最初からやるなよって、たぶん中高生だけど、まじで怒っている。それは面白かった。
沖野 だってね、若い子って音楽にお金払うのは馬鹿だって言いますから。おまえ買ってんの? は? みたいな。音楽にお金を払わずダウンロードしているやつはITのリテラシーが高くてクレバーだ、って。音楽体験のアンケートを見たことあるけど、ほぼYouTube。音楽に金払うのはITリテラシーの低いバカだって。衝撃ですもん。
椎名 何でだろう?
桑原 いつからそうなったんだろう?
椎名 2000年くらい?
沖野 こんなことあったんですよ。2002年。ロスに行ったときに、イベントに日本人の女の子が20人くらい友だちを連れて遊びに来てくれたんです。「ありがとう」と言ったら、「沖野さん、私のおかげですよ」って。「私、渋谷のHMVでCD買いました、Kyoto Jazz Massiveの」「ありがとう」「ロスにCD持って帰ってきて、パソコンに取り込んで、コピーして、みんなに配ってあげたんですよ~!」って。えっ、それダメじゃん。お礼言うべきか、怒るべきなんか……みたいな。でも、イベントには来てくれたんで、ありがとうと言ったんです。でも、こいつらCD焼いて配って、タダで聞いてんのかなって……。でもね、この時にやばいなって思ったんです。みんな取り込んでコピーするようになるなっていう、危機感ですね。それが2002年でしたけど。
椎名 昔は友だちにあげるにしてもカセットに録る実時間が必要だけど、今は一瞬だからね。なんでもそう。オリンピックのエンブレムのデザイナーなんかもね、ちょうどその辺の世代。何もかも簡単になっちゃってね。
沖野 早いっていうのもありますよね。時間がかからない。ぼくなんかは、音楽作るのにお金かかるんで、払ってほしいと思ってる。そう思いいつつ、もう取れないなとも思う。
椎名 取れないね、実際問題。
沖野 たとえば、クラブで2500円くらいだと100人くらいしかこない、現実問題として。渋谷駅だとたくさん来る。3000人くらい来る。でもあれ無料ですね。この二つのケースをうまく組み合わせたいと思うんです。ぼくは、フリーミアムとか言いたくないんです。いっぱいそういう考え方ありますよね、「世界はフラット化する」とかね、ああいうの、ほとんどでたらめ。うまくやったやつが言ってるだけ。それぞれ同じケースじゃないからね。結局、自分でやり方考えないと。いずれにしても、イベントも無料、配信も無料、違法ダウンロード、なんて時代になってしまってるからね……。
椎名 何で儲けるの? グッズしかない?
沖野 結局そこですか、ってなっちゃいますね。(笑)
椎名 音楽が物じゃなくなっていくね。昔はね、物と同一のものだった。
沖野 ぼくの友だちのミュージシャンが、無料ライブやったんですよ。CDの販促で。そういうふうにCD売るためにライブを無料にするって考えたり、かたやCDでお金とれないからライフでしっかり稼ぐと考えたり。はっきりお金になると言える方法がないですよね。究極、グッズになっちゃう。でもグッズも限界がある。Tシャツなんて、そんなに買ってもらえるもんじゃないし。