ヴィンセント博士の ロマンティック物理学

Writting:Vincent / Design: CLOCKWORKS.
これはいわゆるアインシュタイン以降の物理学ではない。というかそんなハイレベルな知識は必要ない。僕らはこの世界を五感によって認識あるいは観測していて、特に目に見えるものばかりを前提とした社会で、今日もウダウダ生きている。しかし、この世界や宇宙には目に見えないもののほうが圧倒的に多いのだ。重力だって、音楽だって、感情だってそうだろ?偉い学者の理論や数式はわからなくてもいい。ただ「目には見えないかそけきものたちが、確かに在る」という視点で、この現実を甘美に観測すること。-それが、「ロマンティック物理学」である。

Vol:04 TIME IS…

今回は、みんなが縛られたり、追われたりしている「時間」をテーマにお送りします。現在、あきらかに時空が歪んで原稿が遅れているヴィンセントです…。時間とはよーく考えると不思議なものだよね。無限に流れているようでいて、〆切とか恋の終わりとか、人生とか…有限でもある。全てのニンゲンにとって平等のようで、残酷に早くなったり、寂しくもゆっくり流れたりもする。「今」っていうものの時間の長さも、みんな違うでしょ?「今」は1秒だったり、ここ最近、のようにざっくりとした期間だったりもする。過去を取り出すことは出来ないし、未来を見ることも出来ないが、僕らはそれらが時間として存在していると思っている。まず先に言っておきたい。『時間なんてものは宇宙に存在していないかもしれない』と。

時間なんて存在しない?何言ってるんだこの人。現に今だって時間は流れているじゃないか!…と思ったそこの良い子ちゃん。実は時間なんてものは、人間がつくり出した幻想にすぎないかもしれないんだよ。

物理学では、時間について3つの仮説がある。

A:現在のみが実在→過去・未来は存在していない。

B:過去から現在までが実在→未来はニンゲンの仮想。

C:過去・現在・未来、全てが実在。

難しくて分かりにくい場合は、時間をダチョウ倶楽部に置き換えて、過去を竜ちゃん、現在をリーダー、未来を寺門に置き換えてみると、もっと分かりにくいかもしれない。ちょっとだけ物理学的に考えてみよう。時間には過去・現在・未来があるよね。今これを読んでくれている君のいる時間は「現在」だよね。今この瞬間に、君たちは実体として存在している。物理的に、肉体とエネルギーを持った物体として実在がある。
じゃあ、この原稿を書いている僕ヴィンセントは?…もちろんこの号を君が読んでいる時には「過去」の存在。今ごろは、銃で撃たれて死んでるかもしれないし、貴婦人のハニートラップに引っかかってる頃かもしれない。「過去」は、実在しなくなったもの。ただし、脳内の「記憶」とか、写真や動画などの「記録」の中に情報として保管することはできる。マイケルもプリンスもデビッド・ボウイも…彼らの物理的な実在は、もう無くなってしまった。

では「未来」はどうだろう?この原稿を書いている僕がイメージする、これを読んでくれている君の「現在」は今の僕からすると「未来」。当たり前だけど(笑)。そう、未来も脳内で描く「予想」とか「想像」の中にしかない。それは取り出すことも触れることも出来ない。

こうやって、時間について改めて考えてみると…この物理次元上に存在しているのは、常に「現在」だけで、過去とか未来っていうのは僕らの脳が作り出したイメージにすぎない、と思えてくるのだ。例えば、恋人だと思って恥ずかしい内容の言葉を母親のLINEに送ってしまった君の過去や、イケメンの金持ちと結婚すること描いているアナタの未来は、どこにも実体がなく、触れることはできない。存在していると証明できるのは、君という物体が、ある日異性を意識するようになって(ただの思春期)、はじめて美容室に行ってみることで起こる、「物質の位置的変化」だけ。

僕らニンゲンは、時間というものを想像し、直線的に流れているように感じているが、それは極めてニンゲン的な概念でしかないってことなんだ。太陽が出ると「朝が来た。マジかよ!」と感じ、太陽が沈めば「夜だ。クラブ行こうぜ!」となる。でもそれは時間の変化ではなく、太陽と月と地球の座標位置の変化でしかない。宇宙は時間なんて測ってはいないし、朝も夜も無い。それでも、僕らは脳内で過去・現在・未来が直線でつながった流れの中にいると思っていて、それが大いなる脳の錯覚かもしれない…なんて、ちょっと混乱してしまいそうだよね。

ちょっと、わかりやすく言い直してみよう。「時間とは、脳がつくり出す仮想感覚である」。どう?ちょっとわかる気がしないかな。これは、人によって時間の流れるスピード感が変化することからも理解しやすいかもしれない。時間のスピードが変化しているよう思えるのは、まさに脳が感じ取ることだ。たとえば、ダラダラ生きていると時間はゆっくり進む。逆に、君の意識や行動が高速になればなるほど、時間は遅れて行く…つまり、君が先に未来に行ってしまう。プチタイムトラベルをやっているようなものだね。でも、それらは脳がつくり出した仮想感覚でしかなく、この物質次元に存在しないもの…だとしたら。

じゃあ、僕らが確かに動いている・変化し続けているという状態は一体なんなんだろう?本当に時間は存在しないのだろうか…?これに対する一つの仮説として、「過去・現在・未来は同時に存在している」という理論がある。時間は流れているものではなくて、実際は何も動いていない静止画のような世界が無数にあるだけ。つまり、僕らは、1秒24コマの静止画一枚一枚の中にいて、それが再生されているだけかもしれないということ。そう、これはあくまでも物理学者たちの理論。そして今すぐ全部忘れよう(笑)。…ここまで長々と説明しておいてなんだが、あえて言おう、カスであると!!!

よもや忘れていまい。これはロマンティック物理学。そう、物理学ではない。時間など存在しないだと?そんなバカな。だから物理学はモテないのだ。大体“ブツリ”の音がダサい。(今さら)では、ロマンティック物理学の長期に渡る研究(5分くらい)で導いた、時間論を発表して終わろうと思う。

結論から言おう。時間とは、「音楽」だ。ミュージックのことだ。

この宇宙であらゆるものが変化したり、移動していることの根本は、リズムがあるということに他ならない。変化しているもの、動いてるものは全てリズムを刻んでいるということになる。耳に聴こえていないだけで、宇宙は絶えず演奏している。星が歌い、重力波が奏で、素粒子たちは踊っているから、世界は動いている。あらゆるものがリズムやメロディを持っているからこそ、「時間」という矢印は生まれたのではないか。つまり、僕らは、宇宙という壮大なスケールのオーケストラの中で生まれた、一つの音符のようなものだろう。僕にとっては、こっちのほうがリアルだ。数式や理論で無駄に「存在しない」という答えを出すことに意味は無い。時間が流れているということは、すなわち音楽があるということ。音楽こそが時間を生み出している、

と考えたほうがロマンティックだし、気持ちいいじゃないか!!そうやって考えると、過ぎ去って行く時間を悔いたり、過去に縛られたりする人生は必要ないのではないか、と思えるのだ。あなたの人生初期のアルバムはダサかったけど、後期はヤバい!と言わせればそれでいいんだよ。今を変え続けて新しい音が生まれたら、過去のダサい音楽だって帳消しになるんだ。どんなアーティストも、最初からクールだったわけじゃない。それでいいんだ。いつか、自分なりのグラミー賞を取ればいい。もっとファンキーに。もっとグルーヴィに。「時間」という音楽を、君がどうプレイするかだけなんだ。ということで、みんないい音楽を聴こうぜ!(Vin)


フリーダム・ディクショナリー
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