Back to the CLASSICs vol.15 エイリアンがTOKYO に…!?

音楽、哲学、アートを探求する20 代前半を中心とするメンバーの視点から、新しい「クラシック」を紹介する連載。どんな歳月にも堪えうるどころか、年を重ねるごとにその新たな魅力を発揮し、暗い未来をいつまでも明るく照らし続けてくれる、そんな「クラシック」を共に探しませんか?

①”Our” Side「われわれ」の世界

時は2 X X X 年…

今入ってきたニュースです…

エイリアンとみられる生物が、アメリカの東海岸に確認された模様…

政府 日本のジャーナリストがエイリアンの犠牲になったことは極めて遺憾である。われわれ政府としては、エイリアンに対しては毅然とした態度でのぞみたい。アメリカとの軍事的連帯を強化する方針だ。

人間A エイリアンだって!?

人間B エイリアンなんて全員ぶっ殺せばいいんだよ。やられる前にやるんだ。知ってるか?アメリカにはエイリアンをたくさん殺して勲章を貰った軍人がいるんだ。エイリアンとの戦争だ!戦おう、われわれの正義のために。

人間C エイリアンだって、生きてるんだよ。きっと、話し合えばどうにかなるよ。共に生きていく道はあるはずだと思う。

人間D エイリアンがなにか、まず知るところからはじまるのだ。怖がらずにエイリアンを研究すべきである。

人間E エイリアンの研究なんてしてちゃ遅いよ。早くなんとかしないと犠牲者が増えてしまう!

人間F ぶっちゃけどうでもいいわ。関係ないし。エイリアンってなに?そういう政治的な話はやめない?巻き込まないで欲しい。ファッションと音楽の話だけしていたいよ。

人間G なんでそんなに無関心でいられるんだ。この国に生きてる時点で関係ないものなんてないんだよ。

人間H あぁ、なんでエイリアンなんか来るんだよ。いままで平和に暮らしていただけなのに。

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②” Alien” Side「エイリアン」の世界

賢者 「エイリアン」はもともと英語で「外国人」を意味するのじゃ。「われわれ」が「エイリアン」として見ているものは実は「外国人」のことなのかも知れぬ。
昔々「エイリアン」が「テロリスト」と呼ばれていた時代があった。昔から「テロリスト」はドローンを使って殺されていたのじゃ。ドローンの操作にはゲームのコントローラーを使われているらしいのじゃが、文字通りゲーム感覚で殺害されているのじゃ。殺された「テロリスト」はゲームのポイントのようにただ数としてカウントされておった。右に昔のデータを示しておくことにしよう。
「テロリスト」と名指されたものたちを殺すためには、同じ地域で普通の生活をしている人々も無差別に殺され、ドローンが通った後には瓦礫と肉片しか残らなかったという。歴史を繰り返してはならぬ。

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③To know the “Alien”「エイリアン」を知るために

わたしたちは未知のものを恐怖する動物だ。だからそれをなかったことにするか、あるいはそれを知ろうとするのだ。9.11 をきっかけとして、アメリカは前者を選んだ。未知のものに「テロリスト」という名を与えて、いくら殺してもよいということにした。日本はアメリカを支持した。しかし、わたしたちBack 2 the CLASSICs は知ろうとする。それだけがポジティブな未来への唯一のわずかな可能性だからだ。恐怖を煽り煽られるよりもまず、ゆっくり勇気をもって想像してみよう。

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『“テロル”との戦争 ― 9.11 以後の世界』

西谷修

以文社 改訂新装版 2006 年

「現代のテロリズムとは何か」を知るための第一の必読書。

9.11 をうけて、アメリカ政府は「テロとの戦争」を宣言した。これは重大な意味をもつ。戦争にはもともとルールがあり、国家どうしで戦われるものだ。また、いくら戦争では殺人の禁止が解かれるからといって、無差別に殺害してはいけない。しかし、アメリカはそういういったルールをなし崩しにして、「テロリスト」というヴァーチャルな「敵」を想定し、「敵」を可能な限り殲滅し、監禁や拷問も制限なくおこなう。ルールがなくなると「戦争」と「平和」の区別も溶けてしまい、常時「戦争」ということになる。そして「われわれの側か、テロリストの側か」という二者択一を国際社会に迫る。日本は無論「われわれの側」についた。わたしたちが何気なく「われわれ」として「テロリスト」を恐怖するとき、それはアメリカが作った罠にハマっているのではないだろうか。一方で「テロリストの側」では一般市民がドローンで無差別に殺される。その一般人の中からまた「テロリスト」が生まれる。本当の意味でテロの連鎖を絶つには長いながい理解と対話の努力が必要なはずだ。

face1牛田悦正
1992 生。Rapper。ヒップホップバンド「Bullsxxt」のMC。1st アルバム『BULLSXXT』を10/18 に発売予定。著書多数。


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『ハイファに戻って/ 太陽の男たち』

ガッサーン・カナファーニー
黒田寿郎/奴田原睦明 訳

河出書房新社
新装新版 2009 年

中東と呼ばれる場所を、そこで起きている出来事を、ニュースで流れるような凄惨なイメージ、或いは一部の裕福な人々や遊牧生活といった極めてステレオタイプ的なイメージだけで知っている人は多いかもしれない。

では、そこで生きている人々が日々語る言葉や苦悩は、陽射しや大河の有り様は、オレンジの馴染み深さやその大きさは、想像できるだろうか。この小説は一編一編がそれを想像せんとする者たちへイメージを注ぎ込む大河の支流である。また、一編一編がそれを想像しようとしない者たちへさえはっきりと向けられた、記憶の、フィクションの銃弾でもある。

もしあなたにも、その香りで悲喜交々の時を辿り直せるほどに馴れ親しんだ食べ物があるのなら、この小説を手に取り、パレスチナで今も起きている現実の断片を目の当たりにしてほしい。そこにいるのは誰だろうか。故郷を奪われたのは、誰だろうか。

mishima三嶋 佳祐
ゆだちというバンドで音楽活動、アルバム『夜の舟は白く折りたたまれて』を全国リリース。音楽、小説、美術など様々な制作活動で試行錯誤。書物、蒐集、散歩、アナログゲーム、野球を好む。広島カープのファン。


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『パルチザン伝説』

桐山襲

河出書房新社
2017 年

桐山襲、小説家。きりやまかさね、と読む。1949 年に生まれ83 年に『パルチザン伝説』でデビュー。その後92 年で早逝するまでにいくつか作品を残しているが、今ではほとんどの作品が絶版か品切れだ。

だが2016 年に桐山襲について書かれた一冊の評伝が出たことを皮切りに、翌年にはデビュー作である『パルチザン伝説』が単行本化された。

日本にとっては特別な意味を持つ「8月15 日」の、その前日の「2つの伝説」。

変わることへの希望と変わらないことへの焦慮が入り混じった季節に命がけで国を変えようと挑んだ男たちは、無残にも敗北する。ひとりは1945 年に、もうひとりは1974 年に。それは奇くも親子二代にわたる敗北だった…。

 「文学の想像力」と「現実の歴史」が限界まで融け合ったこの作品は読む者の空間を揺さぶる。小説が現実逃避などというのは冗談じゃない。このすぐれた物語によって肌がピリつくほどの現実を味わえることだろう。

face3小林 卓哉
1992年生まれ。大学在学中、保坂和志とロラン・バルトに感銘を受け文学に強い興味を抱く。
現在都内で販売員をする傍ら執筆中。


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『MS. マーベル:
もうフツーじゃないの』

原作:G、ウィロー・ウィルソン
作画:エイドリアン・アルフォナ
秋友克也 訳

ヴィレッジブックス
2017 年

2001年の“9.11”の時、周りと同じように衝撃を受けたムスリムの両親の元、アメリカで生まれ育ったある女の子がいた。彼女はコミックスのオタクで、特に女性のヒーロー、Ms.Marvel シリーズが大好きだった。大好きだけど、白人には勿論、ラッパーを始め、ブラックにもヒーローは至る所にいるのに、自分に似たムスリムのヒーローはいなかった。13 年後、彼女はマーベルコミックスの編集者になって、そんなムスリムの女性ヒーローを創り出した。Ms. マーヴェルの新シリーズの、パキスタン系アメリカ人、女子高生カマラ・カーンだ。イスラームにも、アメリカの文化のどちらにも属す事が出来ないでいて、自分ではない誰かになりたいと夢想している彼女に「変身」の力が与えられ、ジャージー・タウンのヒーローになるのだ。この物語はアメリカに生きる「マイノリティ」の悩みをフレッシュなユーモアで教えてくれる。原題はNo Normal、彼女は自分が今いる場所で「普通」じゃないと思ってる人の、全てのヒーローだ。

face2神宮司 博基
1989年東京生まれ、音楽の好きな青年。大学院生。 Fethi Benslama、フランスのムスリム系移民の研究。本を読み、良い音楽を掘り進め探す毎日。


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『15 時17 分、パリ行き』

監督:クリント・イーストウッド

2018 年(アメリカ)

テロリストとの戦いに「英雄」はいるのか?『15 時17 分、パリ行き』では、実在のテロ事件から乗客の命を守った3 人の「英雄」が描かれる。この映画にはテロリスト側の視点が欠けているという批判は免れないだろう。しかし注目してみたいのは、この映画がそのほとんどを突然巻き込まれる事件以前の描写に当てていることだ。彼らは(誰しもがそうであるように)正義のヒーローをはじめ様々な幻想に挫折したものである。そのことが示すのは彼らが類いまれなる勇気を持つ「英雄」ではなく、むしろ交換可能な誰であれ構わないものだったことだ。テロリズムと対峙するおのれの恐怖に負けず、偶然の積み重ねのなかで適切な判断を行った者でしかない。

何故このことにこだわるのかというと、テロリズムというイメージに付き纏う恐怖や、その恐怖を煽り煽動するプロパガンダに惑わされてはいけないからである。「英雄」のイメージを脱神話化し、映像を単なる映像の積み重なりとして見ること。イーストウッド映画はいつもそのことを教えてくれる。

p4三浦 翔
1992 年生。大学院生。監督作『人間のために』が第38 回ぴあフィルムフェスティバルに入選、現在「青山シアター」にて配信中。理論研究と作品制作を往復しながら、芸術と政治の関係を組み替える方法を探究している。


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