みんなの反戦選曲ではなく、「そこはかとない」であることの侘び寂びがわかる人と対談します。

インタビュー構成・写真 桑原茂→
ページデザイン 小野英作

常盤 若い子は、そこが真面目な人ばっかりになってしまうのもわかる気がするし、でもさっき言ったけど僕らだって、反戦イコールノーブラの印象のほうが強かったですから。

桑原 いいよね、その反戦ノーブラ感。でも俺から見ると、やっぱり常盤くんとかの世界というのは、ウッドストックに言ったらやり放題で、すげーもんがありそうだぞ、というのを実は提案しているような気がするんだよね。

田中 それは夢を見せなきゃ、というのは、彼はわかっていますよ。だって、常盤くんのヌードの写真を見たら、「これ、撮ったあとヤってるんだろうな」って全員が思っているんですから。そこに桃源郷があるんですよ。不透明な、説明できない部分があるんですよ。彼がクリエイトするなかに、自ずと表現されている、素晴らしい形だと思います。僕は、FPMは、たとえばSNSとかメディア上だけかもしれないけれど、なんとなく周りにカワイコちゃんがいて、FPMモテてんなとか、あいつ楽しそうにやっていやがるな、というイメージを与えるのも、クリエイティブだと思っていて、そうじゃないと誰もこっちの世界に来ないですよ。遊びにも来ないし、DJにもなろうと思わないですよ。選曲家って、モテるんだなとか、金をいっぱい使って旨いもん食ってるんだなとか、そういうふうに見せるのが使命みたいなところはあるよね。たとえば、反戦にしろ、反核にしろ、何かそういうすごい光のような、みなが導かれる太陽のような、存在する人ではないのかもしれない。スローガンかもしれないし、音楽かもしれない。なにか1曲かもしれない。敵の否定をするのは簡単なんですけど、もっと圧倒的な吸引力を持つものがあれば、相手を否定しなくてもいいと思うんですよね。

桑原 大賛成だね。オルタナティブにならないと。

田中 戦争に反対じゃなくて、反戦に賛成でないと。反戦という力が強ければ、皆がそれに導かれる。夢みたいな話と言われたらそれまでですけど、圧倒的な力なりカリスマ性なりが、思想なり人なり行動なりにあればいいのかなと思いますね。活動の先に諦めみたいなものを、感じているでしょう、なんとなく。それぞれみんな、総選挙のあった日の夜8時5分に同じように落胆したわけじゃないですか、選挙速報を見て。

常盤 だから、戦争って、僕らはたくさんやることがあって、好きなことがいっぱいあったりするけど、好きなものとか、娯楽が少ない人っていっぱいいて、僕らが子どもの頃はドリフでもなんでもいいけど、みんなが観たいほぼほぼの娯楽の大多数を占めるものがあったんですけど、いまはけっこう少ないですよね。ゲームもそんなにやらなかったり。だから、娯楽がいっぱいあるとあんまりそんなことは考えないけれど、戦争ってすごく娯楽性がある。オリンピックの競技であれだけ盛り上がるんだから、もっと命を賭けた勝負を国同士でやるということの娯楽パワーは、昔の娯楽が少ない時代って、戦いは娯楽ですよ。映画だってなんだって、反戦の気持ちで観ていたって、反戦の要素が強くなっちゃう。だから、それに負けない娯楽をつくらないといけないと思うんですよ。

田中 あー、そうだね。結局、世の中がつまらない、テレビがつまらない、ゲームがつまらない、大衆がつまらないと言い出すと、一番楽しいのは戦争ですよ、という悪魔の囁きだね。

常盤 いまのネトウヨとか言われている若い子とかはネットばっか見ていて、別に売れている音楽でもなく、音楽の趣味がとかというよりなんかとにかく、娯楽が少ない感じがするんです。ということは、たとえばネトウヨがあれは左だとかなんとかワーワー言っているのも、それが一番の娯楽になってしまっているから。

桑原 恋愛でもなんでも、命がけのときに最高の喜びがある。

常盤 それをもっとプリミティブにしていってしまえば、もっと動物的な争いになってしまうけれど、そこを文化で、そうじゃない娯楽をいっぱい持ってくれば

田中 そうだね。結局さ、本当に過去の報道とかを見ていても、戦争に一旦なると、すべて美談とかロマンチックとかいう言葉で片付けられて、みんなグッときちゃうじゃない。ね、すごいよね、恐ろしいよ、本当に……。

常盤 僕らの1980年代とか90年代というのは、すごく娯楽がいっぱいあったから、だから声をあげないぐらい他にやることがいっぱいあったというところもあるんだけど。もっとそういうふうに、結局、若い人ほどそういう傾向が強いわけじゃないですか。都会に住んでいる一部だけじゃなくて、地方もそう。

田中 本当の快感って、命を賭けないとできない。ギャンブルとかも、何億円という勝負をはるからこそ楽しい。それは死ぬのと同じリスクをお金で買っているから、ギャンブルにハマる人がああいうふうにいるのであって。

常盤 地方に行けば、まだ喧嘩上等な土地も多いし、その喧嘩も相手がでかいほど盛り上がる。

田中 そういうベーシックな人間の本能があるならば、それをつついて何かをするなんて容易いことだよね。なんて恐ろしい。

常盤 そうですよ。暴走族の人と話したことはないからわからないけれど、やっぱり特攻服を着ている人に反戦というのはあまりいないと思うんですよ、わからないけれど。どっちですかと聞かれたら、やっぱり突っ込んでやるぜ、じゃないの。だからノセやすいといえばノセやすい。京都とか東京とかのそういうところでぼんやり育った人と、漁師町とかでガンガン育った人とは、違うといえば違うよね。そういう人たちって、巧妙にやれば、そういう方面に気持ちが動いちゃうと思うんですよね。

田中 今更言うことでもないかもしれないけれど、自分のSNSを見ていたら、安倍政権に賛成している人、原発再稼働に賛成している人なんて一人もいなくて、でも結局、世の中はじゃあ選挙をしてみたら自民党が圧勝する。自分らが見ていない世界のほうが大きいんだっていう。

常盤 僕らと接続している世界というのは、非常にマイノリティであってね。

田中 SNSだけで見ていたら、数の論理がはたらいて、世の中がなんとかちゃんとなるんじゃないかという錯覚に陥りますね。これだけの人がこれだけ言っていたらって。

常盤 だからここで自分らの周りだけを見てなんとかできる気になっていたら、ダメなんですよね。

田中 そう、それが危ない。

常盤 ということは、たとえばヤンキーにそこに座れと言ってよく話して聞かせても、聞いちゃいられないわけで、その場所場所によって真っ向勝負をするのか、それとも気分、それはユーモアかもしれないし、オシャレかもしれない、やっぱりそこにもっていくべきで。実際に育ったのは川崎だったからむっちゃヤンキーの街だったけど、タケノコ族だったり暴走族だったりしたんだけど、結局、中学生で、不良になるぐらいのは、意識があったりするわけで、川崎だから、ちょっとオシャレなことをしたいとなったら髪をあげちゃうとか、そうなってしまう。でもアンテナを張っているやつだから、スネークマンショーも買ってしまう。

田中 もっとも、僕らがインパクトを受けた反戦活動だよね。今だったら、あそこまでメジャーにあんなことをやったら、殺されちゃいますよね。僕らがSNSのなかでワーワー言っていても、今のところ規制されるわけでもない。でも、たとえばサザンオールスターズが紅白であんなふうに歌っちゃったら、世の中から総攻撃を受けたりとか、えらい力がはたらくのかなと思ったりとか。

常盤 だからそこは、ユーモアの出し方とか、オシャレさというのがあって、なんか新しいものがきた、という感じ。

田中 サザンとかもずいぶんオシャレなやり方なのにな、と思うんだけど、結局謝らせられるとか、なんなんだろうと思う。

常盤 それはやっぱり大物すぎるんじゃないのかな。若い人が同じことをやれば、違うと思うんだけどな。

桑原 田中くん、日本人の選曲の感性みたいなものが、海外ではどういうふうに受け取られているの。この間もパリのオールナイト音楽祭(Fête de la musique)でプレイしてたけど。

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田中 言葉の問題もあるし、日本人の選曲のセンスが……というのは、欧米人には残念ながらまだそこまで認知されていないんだろうなと思います。一時、渋谷系みたいなものが、世界に向けて発信されたときに、「オヤ?」と思う人はいたと思うんです。たとえば小西康陽さんでも、まりんくんでも、小山田圭吾くんでも、テイ・トウワさんでも、欧米に出て行ったことで、「日本人やべーぞ」って。たとえばラウンジという言葉でまとめると誤解もあるんですけど、一瞬、日本人がアンダーグラウンドな世界ではあるけれども、欧米を含めたダンス・ミュージックの世界でイニシアチブをとった瞬間があったと思うんですよ。90年代の半ばに。いまは、残念ながらそうはなっていないと思いますね。あの瞬間は、日本人のセンスというものに、世界が注目した。たとえばアメリカだったらライノ・レコードみたいなのがあって、もちろん倒産したりとか何回もありましたけど、発掘する審美眼や選曲に対して、圧倒的な支持を集めている存在というものがあるでしょう。でも日本人の音楽オタクの人とかの知識とか、蒐集しているコレクションのほうが、すごかったりするはずなんです。でもそれを海外に発信していく機会がすくない。僕らもそういう意味では、イタリア人もまったく注目していなかったイタリア人の映画音楽のコンピレーションを……たとえばエンニオ・モリコーネぐらいは世界的に評価されていても、二番手、三番手のアルマンド・トロヴァヨーリとかピエロ・ピッチオーニとか、そういう人が注目を集めていないときにコンピレーションを作ったりしていて、それから何年か遅れて、もちろん本国のイタリア人とか、アメリカ、イギリスとかで、イタリアのサントラブームがきたりして、そういうセンスとかに関して、速かった時期が、一瞬あったんです。それが、残念ながら、自戒の念も込めてなんですけど、外発信に向けて、キープできていない……

常盤 外発信はしないんですよ。今は相変わらずレコ屋にいけば、まず日本人が買う、何年か後にイギリス人が買い出す、それをアメリカ人が買おうと思ったときには、もうないという話は、相変わらず聞くんですよ。イギリスのマーク・ジャーギスみたいなやつとか、けっこうアーカイバーというのがいるんですよ。世界中でそういうことをやって。ヤフオクとかでもいっぱいあったりするのに、日本人はそれを、本気を出して海外に売ろうという気はないんですよね。

田中 音楽のショウビズの世界の話、前も話したかもしれないですけれど、EDMの大きな流れって、完全にショウビズの世界だから、白人主導のフェスではアジアのDJって完璧に虐げられていて。たとえばフェスで日本人がDJするときには、ヘッドライナーの白人DJの時より音量を30%オフにすることが契約書に書かれていたりするってウワサ。DJとして、飛車角抜きで将棋をさせられるようなもので。それでなくても、向こうが立場的に圧倒的に強いのに。すべてのフェスではないですよ。でもそういうことがある世界だって話。

桑原 それでもやらせてくれっていうのがいるんでしょう。

田中 もちろん、もちろん。いっぱいいますよ。僕はEDM自体を全否定するつもりはないですよ。正直な話、今まで洋楽を聴かなかった若者が、ブレイクで合唱するために、一生懸命英語を覚えて歌うのって、いいことじゃないですか。大会場で歌声喫茶みたいに。それは素敵だな、って思うし、肯定的に捉えられる部分もあるけれど、圧倒的に白人が有利なシーンで、アジア人が脚光を浴びることは稀。僕等がいたDJシーンというのは、アンダーグラウンドすぎて、そういうバイアスをかける必要がなかった。僕らがふつうにアメリカ、ヨーロッパにいっても、そこらへんの小さなクラブでやっている限り、大したお金も動かないし。今とは逆に、日本人だから全部オッケーという時代が、本当に一瞬あったんです。わかるよね、常磐くんも?

常盤 その頃は、たとえばLAとかにいくと、日本人というだけでいろいろ話しかけられて音楽のイベントだったりすると、「今日本ではどんなのが流行っているの?」とか。どういうものをチョイスするか見られていた。

田中 そう、オレらがクズと思っていたものを、こいつらが良いって言い出して聞いたら良いじゃんって。それこそ、選曲の妙みたいなものが、認められていた時代があったんですよね。もちろん一部では未だに日本人のセンスは一目置かれているのですがね。

常盤 世界で一番中古レコード屋が多い街だったわけですよ、渋谷は。世界中から買いに来て、世界中のレコードが手に入る街だった。

田中 本当にそうですよ。LAのレコード屋が、一生に2枚しか見ていないというレコードが、渋谷のレコ屋に5枚ぐらいストックしているみたいな、そういう時代があって、そのときの片鱗はいまでもありますけどね。

常盤 友達と渋谷でやっているSONOTAという店も、ほとんどの客が外国人で、旅行のついでに来て、買いに来る。

田中 浮世絵買い戻しみたいな感じだよね。

常盤 そう、アメリカのレコードをアメリカから買いに来てる。

田中 古着もそうですよ。いま古着のアメリカのトップバイヤーは、日本の古着屋の入荷日にアメリカの古着を買いに来て、再びアメリカに持って帰ってラルフ・ローレンとかに高く売る。おかしな話でしょう。

常盤 日本人はもう高いレコードをなかなか買わなくなったけど外国人はわざわざ来る。

桑原 目利きという意味では、日本人は優れている。そこは生かせないの?

田中 生かせるし、生かすべきなんでしょうね。

桑原 それを主体とした音楽ジャンルを、ファンドか何かでやっていけないものかしらね。いまはいないかもしれないオーディエンス、かすかにそっちの方向にいくかもしれないオーディエンスを、10年かけて育てていくというふうにはいかないですかね。


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