岡田聡インタビュー
インタビュー構成・写真 桑原茂→
デザイン 内山望
大竹伸朗のペインティング 「網膜」
岡田 小学生の頃、「大人になったら何になりたいの?」って聞かれると、いつも絵描きさんと答えていたんですよ。
桑原 環境だったんでしょうか?
岡田 全然関係ないと思います(笑)。父は医者でしたし。物心がついた頃から絵を描くことが理由なく好きだったんです。なぜか美術や図工はずっとオール5でしたね(笑)。それともう一つ「精神科医」という言葉を当時は知らなかったけど、精神科病棟で働く人になりたかったんです。それというのも、父は公立病院の勤務医で、家族で病院の官舎に住んでいたんですが、官舎って病院の敷地の一番端っこにあって、そして端っこには官舎の他に、精神科病棟があったんです。それと解剖室もね(笑)。窓を開けると向こうに精神科病棟が見える。そこが子供ながらにパラダイスのように見えたんですね。普通の大人は朝になったら働きに出るわけですが、そこではみんな働かずに歌を歌ったりしてずっと遊んでいるように見えたんです。ここで働く人になりたいなと思ってました。
加藤泉 「いらっしゃい」
桑原 お父様のご専門は?
岡田 整形外科医でした。ぼくは血を見るのも嫌だったし、解剖室の前を通るのも怖かった。あそこで人がバラバラになるのだと思うとゾッとしてね。だから医者になるのは嫌だった。中学生になって、あそこで働いている人は精神科医という医者だと知ったんです。でも今になって精神科医として何十年も仕事をしてくると、実は精神科医は医者じゃないなあと思い直しているんです(笑)。
桑原 お好きなデヴィット・リンチじゃないけど、日常、非日常が逆さまな環境にいらっしゃったんですね。
岡田 あそこに入ってみたいという発想は、ぼくにとっては普通で自然なことだし、大きな葛藤もなく今まで来ちゃいましたね。その後も、絵描きにはなりたかったけど、精神科医の道とはなかなか両立できない。そこで、倫理的責任というのも大げさだけど、自分の代わりに挑戦している若いアーティストを応援しなければいけないなと感じるようになったんです。それがコレクションをはじめたきっかけです。こういうかたちでアートに関わって、今は結果的に良かったと思っています。自分のシンパシーを感じる作家に、サポートとして作品を購入したり自分のギャラリーでデビューしてもらったりしていたんです。
デビット・リンチの絵 「NO SANTA CLAUS」(2011 年)
桑原 デヴィッド・リンチを認知したのはいつですか?
岡田 それはやっぱり『イレイザー・ヘッド』ですかね。それからもうずっとフォローしています。この人はアートスクール出身の人です。Villa(*)の玄関の正面にある彼の絵は、巡り巡ってここに来たという感じです。
桑原 巡り巡って?
岡田 正統派の美術史からいうと、デヴィッド・リンチって映画監督としては認知されているけど、アートの本流からは離れた人だと思います。ぼくはそういう人が好き。優等生みたいな人よりも彼みたいなスタンスでやっている人にシンパシーを感じちゃいますね。一瞬にして感染するみたいな感じで。
桑原 こうした作品は誰にでも購入できるものではない?
岡田 お金というよりも覚悟のようなものは必要かな。日本ってどうしても住宅事情があって、買った人の家に作品がほとんど飾られていないのが実情です。ぼくもここVilla Magical 2014 を手に入るまでは倉庫に何年も眠っていた作品が多かった。これは悲しむべきことだと思うんです。日本の美術館の問題は、日本の若い作家の作品をなかなか購入しないことです。ときどき企画展などはあるけど、常設で日本人の若い作家を見る場所はないに等しい。海外の方々は日本でしか見られないものを観たいはず。公立の美術館の学芸員は基本お役人さんだから、評価の定まらない若い作家作品を買うリスクを冒さないわけですね。西洋のお墨付きがついて、オーソライズされて価値が定まったものには、時に何億円もの予算をあてて購入するのにね。それも大切なことだとは思うけど、キュレーターなり学芸員の責任で評価して日本の若い作家の作品を応援し、所有してもらいたいなと思います。ぼくが十回シリーズで「空想美術館」という展覧会を都の美術館でやらせてもらったのは、現実には若手の日本の作家中心の美術館がないからで、一回一回の展覧会が大きな美術館の一室一室を巡回している感覚で三年に渡って十回来てもらえれば、頭の中に日本の作家が中心の空想の美術館ができるだろうというコンセプトを実現させたかったからです。
桑原 海外からこれだけたくさんのアート関係者が出入りしているのにもかかわらず日本の体質が古いままというのは不思議ですよね。
岡田 最近日本人のメンタリティって意外に頑固なんだなと思ったりして。DNA のレベルで頑固なのかなと。表面的には受け入れる作法をとるけど、京都の人のメンタリティみたいに、深いところでは許容していないんじゃないかな。 向こうは大人の社交文化のツールとしてアートが大きな位置を占めていると思います。それに比べると日本人の大人のたしなみのなかに現代美術はまだ入ってきていないですよね。若い社長さんがバスキアを買ったというニュースがありましたが、それは例外で、決して美術をたしなむ文化が浸透しているわけではない。大人の会話のなかで、「ところで今のアートどうだろうね」というのがほとんど行われていない。向こうの人たちはなんとなくそういう話をしないとバカにされるじゃないけど(笑)、そういう精神のありようをあからさまに見せないとリスペクトされないという文化なのかなと思います。
桑原 現代美術を勉強したことがないのですが、一度作家の方から、「美術を勉強しないと現代美術は分からないよ」と言われたことがありますが、そういうバリアはありますか?
岡田 そういうことで言えば、ぼくも分からないに近いですね(笑)。昔読んだ本にニューヨーク近代美術館の伝説的なキュレーターが、「自分が気に入って評価する作品は全てファーストインプレッションだ」と喝破した話しがあって随分勇気づけられたことを思い出します。もちろん素養やそれなりの勉強も必要でしょうが、まず掴みというかファーストインプレッションで「いい」と思うかどうか。こちらが無垢でいれば、向こうからやってくる。そういう点で難しい勉強とかはぼくも苦手だし、まずはじめは要らないと思う。好きな作家とか作品が見つかったら、そこから二次的に勉強すればいいと思う。良いアート作品からは一瞬にして大量の情報が伝わるんですよ。アートには接続端子がいっぱいあって、いろんな感覚に接続される。すごい情報源ですよ。それがまさに喜びなんだと思います。なんで実物の絵と印刷の絵が違うか、それは情報量の差です。印刷は拡大すればドットですよね、数が限られる。一方実物は絵の具が塗られているわけで、その情報量は無限といってもいい。圧倒されるわけです。
桑原 なるほど。
リビング:ジュリアン・シュナーベルの版画 「J+J Versailles」
岡田 80 ~ 90 年代になってシュナーベルやバスキアなんかのニュー・ペインティング(新表現主義)と言われる大きなムーブメントが起こりました。それまでのコンセプチュアル・アートやミニマル・アートから一転して、奔放なものが画面にバッと叩きつけられる感じの作風の作家が世界中で一斉に出てきたんです。それまでぼくが憧れていた世界はシュールレアリスムでした。なぜならアートと精神医学がリンクしていたから。やっぱりアートと精神医学はつながっているんだと思えた。アンドレ・ブルトンです。それが中学の終わり頃ですね。話しを戻せば20 年代のシュールレアリスムにしても、その後にはまった60 年代のポップアートにしてもみんな過去のことですよね。でもニュー・ペインティングは自分が大学生の頃のムーブメントでリアルタイムだったんです。まさに自分が青年期で精神的に高揚しているときにそういう動きが世界的に起こった!ガツッときましたね。その頃日本では大竹さんが出て来て、19 というバンドをやったりだとか・・・。
桑原 ぼくも19 のアルバム聞いたのは、77 年くらいだったと思いますけど、衝撃でしたね。
シュナーベル作品と岡田
岡田 バスキアも音楽をやっていましたが、自分たちと同時代に新しいアートのムーブメントが起こっているんだとワクワクしたものです。今でもアートの見方として、そこに物差しの基準点を置いて見ているところがあるかもしれません。
桑原 たとえばデヴィッド・リンチの絵が来たとか大竹さんの絵が自分のうちに来たとか、日常的に同じ空間で過ごしていて、何かそれまでと違うなというのはありますか?
岡田 明らかに違います。寝食をともにするじゃないけど、人でもパーティで会うのと一緒に暮らすのとでは違いますよね(笑)。一緒に暮らせば、こっちに影響を与えてくれます。
桑原 本当にいい話だと思います。(笑)
リビング:ジュリアン・シュナーベルのペインティング 「RI DE POMME」
岡田 ぼくでさえ気づいているんだから。みんな分かっていることだと思いますがね。アートは自我の深い部分に影響してくるものだと思います。そのアートが持つ世界観だったり価値観に自然に洗脳されて(笑)、自分の中でどんどん濃くなっていく(笑)。
桑原 アートに対する疑問をここまで分かりやすく伝えてくれて、かつグッとくる回答、初めてです。素晴らしい。
岡田 これだけ良い情報源というかリソースは他にないと思います。アートと寝食をともにするという感覚は、アート作品がひとつの人格みたいに感じられていく感覚。絵に限らず石、仮面、すべてのものは魂を持っている……、人間と対等だと思うんですね。地球ということで言ったら人間なんていない方がいいのかもしれない(笑)。地球に居させてもらっている感覚ですよね。スピリチュアルなことをいうつもりはないけど、モノに対してだって、悲しい思いはなるべくさせたくない、ちゃんと飾って観てあげないと、と思います。
桑原 作品が来てからちょっと調子が良くないとか、この作品だけこの存在だけここにいないほうがいいんじゃないかと思うことはあるんですか?
岡田 ぼくはね、幸運なのか鈍感なのか、合わないと思った作品はほとんどないですね。渋谷のマンションに飾っているときも、いっぱい作品はあるけど、「同じ人の作品?」って遊びに来た人が言うくらい統一感を感じるって。その感覚をキーワードで表すと「マジカル」。魔術的というかね。
桑原 岡田さんそのものが、ってことですね。
岡田 そう言っていただくことがぼくにとって最大の褒め言葉です。マックス・ウェーバーが近代合理主義社会のことを脱魔術化社会と言った。魔術とか呪術とか古いものを排除してきたのが近代合理主義社会。それを理想としてきたけど、今この現実世界が良い世界か?と考えた時に、やっぱり魔術的・呪術的なものというものは必要なんじゃないか。日本でも折口信夫、柳田國男そして水木しげるの世界(笑)、ああいうものがあってやっぱり豊かさや潤いが生まれるのだと思う。ぼくも洗練された絵画よりはどっか野蛮な部分、魔術的な部分というものを探して選んでいるのかもしれません。
桑原 岡田さんは癌にはならない気がします。(笑)悪いものが自分の体を蝕んでいても、そのことばかりに目を遣るようになっていくと、その悪い部分はどんどん大きくなる―今の社会で起きていることはそういうことじゃないかという気がします。情報過多の社会では、ますます精神の「強さ」が求められているような気がします。
岡田 もっと鈍感に……というか、感度を高める方向にばかり意識するんじゃなくって、つまみを逆に動かそうとするほうが精神の病になりにくいんじゃないかな。文学にしても音楽にしても自分が好きで選んだものは、なんらかの自分の意識の投影なので、そういうもののなかで絵画はもっともダイレクトに自分の内面を見せてくれるもののように思います。アートは自分の内面を映す鏡みたいなものだと思うんです。自分の心の内側を相手に丸見えにしている感じがある。マジカルなもの、魔術性みたいなものは、自分のなかにあるものなのかもしれないし、そうしていきたいという自分の願望なのかもしれない。アートを通じて、そのように自分のことを知っていく。
びっくりするような価格の絵画から意識的に離れた果てが、これだったんです。
ガーナの1980 年代の手描きのポスター
桑原 たとえば冒険家たちが高い山を登って大変ご苦労されたあとにまたさらに高い山を登りたくなる。そのたとえは絵画にも関係あるんですかね。
岡田 まだ見ていないマジカルなものを観てみたいというかね。高い山に喩えるというよりも、もっと未踏の荒野を見たいという感覚に近いのかもしれない。水平に広がるような感覚というか。
桑原 高さを競うのではない、そしてその思いは延々と続くわけですよね。
岡田 その思いはずっとあります。だけど、昨今グローバルビジネスのなかにアートが組み込まれて、「これって、荒野でもないし未踏のものでもないじゃない」っていうのがあって、がっかりする。諦めたわけじゃないけど、そんななか、今はまっているのがあのアフリカのポスター。
桑原 ほう。
岡田 今のアートはグローバル資本主義に飲み込まれて機能不全を起こしているように思う。投資で買うという方もいるけど、ぼくにはまったく興味がない。本能的に遠ざかっちゃうんです。そんな状況のなかで、このアフリカのポスターに出会ったとき、それは80 年代のニュー・ペインティングに出会ったときと同じとまでは言わないけど、それに近いワクワクを感じまして。今、はまっています(笑)。
桑原 これはアフリカのどこでしょうか?
岡田 ガーナです。80 ~ 90 年代にガーナでビデオプロジェクターとビデオデッキを持って移動する仮設移動映画館がいっぱいできたらしいんですが、そのときに宣伝のために描いたらしいです。オカルトとSF とカンフーが混ざったようなわけのわからない珍妙な映画もいっぱい作ったみたいで、野蛮な感じ、エネルギー、パワーが溢れています。それが今、自分にとってのカンフル剤になっています。アフリカのものだから、どっか呪術的というか魔術的な感じもある。このキャンバスは全部小麦粉の袋なんですよ。袋を割いてなめしている。水平に未踏の荒野を探し求める旅で、今、私が探検しているものが、これです。びっくりするような価格の絵画から意識的に離れた果てが、これだったんです。
書斎:ガーナの1980 年代の手描きのポスター
桑原 投資の目的で買われたわけではないとはいえ、それを購入するだけの環境がなければ難しいですよね。あまりにも値段が高くてそのことでどぎまぎしてアートの話は避ける、という人多いですよね。
岡田 まさに今、ぼくもそういう感じ。やっぱりそれぞれの人の役割というものがあると思います。それは立場や状況に見合った責任に果たすという感覚。コレクション展を十回に渡っておこなったのも、頭の中に美術館ができればという発想。金銭的に余裕のない人であれば頭のなかに作っちゃえばいいとぼくは思う。それまでアート・バーとかオルタナティブ・スペースとかアート・ギャラリーをやってきて、最終的には「どくろ興業」というアート・パフォーマンスグループを作って映画を撮ったり、自分も一緒になってパフォーマンスをしたりしていたんだけど(笑)、何年か前に全部それを若い人たちに譲って、で、ここに来たわけです。そろそろ別のフェーズに入ってもいいんじゃないかなって思っています。解放されて、原点に戻って、ここでこうやっていると、桑原さんが来てくれたりとか、ここを見て刺激になってた何かをやり出す人も出てくるかもしれないとかね。ここは何が起こるか分からない。何も起こらないかもしれない。それが面白いんです。今の時点でのぼくの状況でのアートに対する責任のとり方がこうなったということかな。その年齢やその状況やその立場でしかできないこと、自分にしかできないことをやるほうが、役に立つんじゃないかという気分なんですよね。
桑原 世界のアートマーケットをよく熟知してコレクションしていらっしゃる方だと思っていたんですよ。だけど、これを見たときに、あれ、そういうのともちょっと違うんじゃないかなというのもありました。
岡田 もっと巨大な資金力でやれる人はやればいいですよね。ぼくはコレクターと言われるのが嫌で、「コレクターの憂鬱」なんて雑文を書いたこともあるんだけど、なるべくニッチなところ、デヴィット・リンチの作品もあれば、こうした若い日本の作家の作品もあるというキュレーション、それはぼくにしかできないことかなと思っています。自分にとって分相応というか、それを楽しみながら果たしていくというところでしか自分の意味はないと思っています。オークションとか全く興味ないし、そういう話にはああそうなのというふうに聞き流していますね。
桑原 なるほど。
岡田 昔からの知り合いで村上さんとか奈良さんをアメリカやヨーロッパで売るきっかけになったアメリカ人がいます。村上さんにしても奈良さんにしても、今や日本のギャラリーで個展ができないんです。彼のせいで(笑)。簡単に言えば日本で個展をやっても買える人がいないほど価格を上げてしまったから。グローバルな市場でスターになっちゃうと、本来は日本人の作家なんだから、まず日本でその作品世界の豊かさを享受すべきなのに、全部海外に持っていかれちゃう。日本で創られた作品が海外にいかないと観ることが出来ない。事情はよく分かるけど、それは嘆かわしいとしか言いようがないですよね。ギャラリーだってリスクは負えないわけで、売れなきゃどうにもならないんだから。きちんと作家を育てそれを支えていくシステムというか環境が整ってから、言ってみれば日本のアートシーンが成熟してから、海外のアートシーンと接続していたなら、こういう問題は起こらなくて済んだのかもしれない。
桑原 そういうことなんですね。
岡田 もっと時間をかけてなんらかの手を打っていればよかったんじゃないかな。日本のギャラリーがチームを作ってまさか関税をかけるわけにはいかないだろうけど(笑)、何か足並みをそろえていろいろやっていたなら、今の日本のアートの状況はもっと変わっていたのかもしれない。個々のギャラリーは、ぼくも経験があるからわかるけど、海外からのいい話にぱっと飛びついちゃう。そのときは潤うけどそれ以降は・・・となってしまう。一概には言えないけど、土壌ができたあとに開国しなかったものだから怒涛のグローバリズムに投げ出されてしまった。もっと教育がなされたり、草の根的に現代美術が浸透したうえで、徐々に作家の評価があがる、そして海外でも評価されていく、こうゆうプロセスが育っていたならなあと思わず考えてしまいます。
桑原 不平等条約ですね。
岡田 何より美大の先生の頭が古い。いまだに精神論で語る方も多いようです(笑)。学生に対して、修行の身なのにコマーシャルギャラリーでやるなんてまだ早い、俺なんてまだ一枚も売れてないんだぞ、なんて笑い話のようなことを言っているらしい(笑)。もし自分が美大に行っていたら今どうやってアートと向き合っていたのだろうと考えると戦慄しますよ。
ジュリアン・シュナーベルの連作版画「 Tod cage without birds」
情報に振り回されるのではなく、必要なのはアルコールに例えるなら休肝日です(笑)。
桑原 「自分に役割がある」と自覚してこれからの人たちが歩め
るようになるには、どういう道があると思いますか?
岡田 自分を知る時間が必要だと思います。今の若いひとたちは血となり肉となる本物の情報にではなく、表層的な情報を処理するだけに日々汲々としているように見えます。外の情報に右往左往するのではなく、自分自身の内側の情報に時間をかけて耳を傾ける。そこが第一歩じゃないですかね。何もスーパーな人にならなくていい。今の時代を呼吸しながらそれぞれの役割をまっとうする人が増えていけば、あるときパッと変わるんじゃないかな。情報に振り回されるのではなく、必要なのはアルコールに例えるなら休肝日です(笑)。
アートでもいいし音楽でもいいし自然でも政治でも、自分自身の物差しをもって自分が何をしたいのかそしてどんな役割を与えられているのかを、ゆっくり考える時間が必要なんじゃないかな。
赤羽史亮の3枚のペインティング (中央の作品はわざと逆さまに展示 )「 無題」、ヘンク・フィッシェのブロンズ彫刻「 無題」
岡田聡
Villa Magical 2014 代表/精神科医/ a.k.a Voodoo Daddy O
1958年富山県生まれ。精神科医を本業としながら、30代の頃より日本の若手作家を中心に現代美術作品のコレクションをはじめる。展覧会へのコレクションの出品のほか、自ら展覧会の企画などもおこなう。またアートバー(TRAUMARIS) やギャラリー(MAGIC ROOM?、magical,ARTROOM) の運営、Ustream でのアート番組の配信や自ら参加するアートパフォーマンス集団「どくろ興業」での活動を経て、近年は湘南Villa Magical 2014 を拠点に活動。