みんなの反戦選曲ではなく、「そこはかとない」であることの侘び寂びがわかる人と対談します。
ページデザイン 小野英作
桑原 だって、共産主義って言葉自体、ピンとこないでしょう。
常盤 それはすごい単純に、子どもは難しそうなことを色々知ると楽しいんですよ。子ども向けのものではなく、子ども向けではないものに対して、振れるものがあったんでしょうね。でもそれはイヤになりますよ。
田中 でも確かに、そういうものに憧れるときってあるよね。
常盤 チュチェ思想でも、毛沢東でも、スターリニズムでも、全部そこまでの違いはわからんですよ。
田中 新興宗教がカッコイイと思ったりとか、右翼活動がカッコイイと思ったりとか、そういう自分らの見ている世界じゃないものに憧れる。それは、何もわからずに盲目的なんですけど、
桑原 小学生で共産圏のプロパガンダ放送を聴いているやつなんて、クラスにひとりもいないでしょう。
常盤 ソ連からすぐ本を送ってくるんですよ。中学生向けのレーニンの日記とか。ソ連大使館で集会があって、ぼくも呼ばれて見にいって。他の子どもは親に連れてこられる子しかいなかったんですよ。それで、アニメを見せられて。ウサギが青と赤の車に乗って、遊んでいるんですよ。熊が村で共同で畑を耕したりしているんですけど、ガス欠になったウサギが凍えている脇で、熊がみんなでボルシチを食ったりしているという。すごく馬鹿みたいなわかりやすいアニメとかを見せられたりして。ピオネール少年隊というのが、子どもたちにおける議会みたいなのがソ連にはあって、その本部には宇宙科学研究所とかいろいろがあって、書記長がいる。子どもがこんなことをやっている、すごい、カッコイイって思ったんです。でもやっぱり自分の中では、この中に入るんだったら書記長とかそういうほうがカッコイイし、研究者のほうがカッコイイ。だって守衛とか事務みたいなのも子どもがやっている、子どもだけで運営しているのがスゴイとなっているんだけど、でも自分は守衛は嫌だなとか思ったりして、このシステムにはムリがあると子ども心に思ったんです。それで向こうの偉い人から「君たちもピオネール少年隊日本支部だ」みたいに言われたんだけど、すっかり冷めていて……という。
田中 アニメから共産主義の限界を見て取ったという。
常盤 なんか、それはね、ということは自分で自由に考えていいとか、なりたいものになれるというのは、結局運がなければなれないかもしれないけれど、その運も才能で、足が速い人に対してズルいという人はいないけど、運がいい人に対してはズルいという人もいる。でも、結局同じ才能なんじゃないかと、ガンガンそのときは思っていました。
田中 すごい子どもだな。
常盤 そうでもないけど。それはなぜかというと、僕は音楽がすごい好きだったけど、楽器の練習を一切しなかったんですね。たいがいみんなやるじゃないですか。パープルとか弾いたりするじゃないですか。僕は小学校のときはデヴィッド・ボウイが一番好きだったんです。ボウイは別にプレイヤーじゃないから、鏡に映る自分を見ただけで、「これは違うわ」と、スタートが違うから俺が求めるロックスターにはなれないと思って。鏡にはふつうの子どもが映っていたから(笑)。うちは、金持ちの家でもないけど、すごく貧乏の家でもないし、私立に行っているわけではないけど、公立の学校で平和っちゃ平和だし、パンクやろうと言っても、俺の不満は何だ!なんも不満がないことが不満だ!というしかなかったぐらいで。
田中 本当にそれしかなかったから、だからパンクというのに対して、パンクの音楽としては好きだけど、思想というところにリアリティはなかったですよね。僕らの10代はバブルのまっただ中で日本はあんなことになっていて、バブルが終わって、たとえば渋谷系といわれていた、僕らが何かやっていたときですら、あれだけCDが売れて、そんななかで、たとえば、イギリスではやっぱり常に曇り空な音楽がパンク以降にもあって、ニューウェーブもあって、ジョイ・ディヴィジョンがいて、そのあともトリップ・ホップという曇り空な音楽があって、結局、そういうものに憧れて、やれニューウェーブだ何だと言って音楽をやってきたけれども、リアリティがないじゃんと思った時期があったんです。その反発として僕はFPMみたいなことをやって、パンクなことをいっぱい子どもの頃にやってきて、ドロドロわけのわからない音楽もやってきて、反発として、「いや、俺らの人生楽しくね?」って。それはもしかしたら、そう思いたかっただけかもしれないですけど。なんだか、突拍子もなく明るい音楽だったと思うんですよ。それだけじゃないんですけどね、アルバムを聴いたら。でも一般的には、たとえば出ていくビジュアルとしては、渋谷だオシャレだ、みたいなところでFPMというのは理解されてきたと思うし、それに対して嫌悪感を抱いてきた人がいたのもわかるんですけど、僕の中では、結局そのドロドロで曇り空、いろいろなことを自分のなかでやってきたことの反発みたいなところでそういう音楽をやったみたいなところがあったので、逆に今、FPMのあの頃の音楽を自分に求められても、なんかリアリティがないんですよね。やっぱり今は、本当に曇り空なんですよ。凄く世の中が危ぶまれていて、景気も悪くなって、僕らがもらうギャラとかもどんどん減ってとか。そういう状況のなかで、トリップ・ホップが生まれたとか、イアン・カーティスが自殺したとか、セックス・ピストルズがいてとか、曇り空みたいなロンドンのああいう音楽が、なんだか今の日本にフィットするんじゃないかと、そういう気持ちがするんですね。今年は20周年だとかって、過去のことを振り返らないといけなくて、過去の音源を聞いたりして、それはそれで振り返ること自体を拒絶するつもりはないんですけど、過去の音楽を聴いても、他人ごとなんですよね。明るく楽しい、素敵な世界みたいな。それはもしかしたら、虚構の世界だったと思うし。それは僕も、アーティスト名で「プラスティック」とつけているぐらいだから。虚構の虚像で、ということなんですけど、ああいう音楽をやってくれということは、未だにいろいろな人から、昔のFPMみたいな音楽はやらないんですかということは、やっぱり言われるわけなんですよ。でもできないよ、今そんな気分じゃないよってね。だから僕らは恵まれた時代に、恵まれた環境で音楽をやっていて、ポッと出の京都の田舎者がCDを作っても、そこそこ売れた、そこそこお金がもらえたという、素晴らしい時代だったと思うんです。いい時代だったからこそ作れた音楽。そういう時代に享楽的な音楽ができたということが、今となってはすごくありがたいことだったんだなと思うんですね。ウッドストックの映像を観ても、楽しそうじゃないですかみんな、やたらと。あの森の奥にみんなで歩いていこうぜ、あの先にはすごい楽しいことがあって、もう女は抱けるしドラッグやり放題でライブもすごいやつが来るんだぜ、みたいな。とりあえず行こうぜ、うおー、みたいな感じでしょう。何かわからない不透明なところがあったから行けた。いまは結局、SNSだ、Googleだ、全部が検索できて……
常盤 明確に意思が伝わってしまうというか、やっぱり人づてとか想像だと、それぞれの考える余地がある。右ですか左ですかというのは、けっこう余地がない選択を迫られている。
田中 人生マークシートみたいになっているね。