ヴィンセント博士の ロマンティック物理学 最終回

Writting / ヴィンセント博士 @VINCENT_R_P (Twitter)
これはいわゆるアインシュタイン以降の物理学ではない。というかそんなハイレベルな知識は必要ない。僕らはこの世界を五感によって認識あるいは観測していて、特に目に見えるものばかりを前提とした社会で、今日もウダウダ生きている。しかし、この世界や宇宙には目に見えないもののほうが圧倒的に多いのだ。重力だって、音楽だって、感情だってそうだろ?偉い学者の理論や数式はわからなくてもいい。ただ「目には見えないかそけきものたちが、確かに在る」という視点で、この現実を甘美に観測すること。-それが、「ロマンティック物理学」である。

最終回! ロマンティックに生きる。

茂一船長の海賊船邸でバーベキューしたときの雑談からはじまったこのロマンティック物理学、いきなりですが、今回が最終回です。もっと取り上げたいテーマもたくさんあったのに、なかなか整理できず脱線しまくっている内に15回もたってしまった。この連載をはじめる当初、物理学のエッセンスは混ぜるけど、物理学を解説するとか教える気は無く、ただ“目には見えないものを、観ようとすること’1がテーマだったんだけど…原稿を書きながら、イメージを言語化する苦しみにぶつかっているうちに(僕の言語力の問題でもあるが…)つくづく人間が剽げや認識出来る解像度は低いなあと思いつつ、それゆえに音楽やアートがあるのだなと思えた。目が捉えられる光には制限があるから、あまりにも見えてないもののほうが多すぎるし、耳がキャッチする周波数も狭いので聞こえる音の領域はほんの一部。科学の発展でより遠くのものやミクロの世界はだいぶ観えるようになったし、そもそもインターネットという不可視な領域は生活レベルで実体化したが、それでもなお、我々はあまりに観えていないままだ。

今、あなたの目の前にコップに入った水があるとしよう。水の化学式はH20で、水素と酸素の化合物なのはみんな知ってるよね。水は水素と酸素の粒が無数に集まって、コップを満たしているように見える。しかし、実際には水素と酸素の粒よりもその間にある隙間(空間)のほうが圧倒的に多い。その隙間を、原子が超高速で動き回る(振動)して、この水の姿を形成している。原子は、原子核の周りを電子がグルグルと回って出来ていて、原子核の大きさをリンゴに置き換えると回転している電子との距離は、約10kmも離れている(=隙間がある)。もはや隣人ですらないね。ぎゅうぎゅうに満たされてるように観えるコップの水も、今これを読んでいる君も、形のある物質だけを取り出せば計算上ではほんの砂つぶよりもさらに小さいくらいの大きさにしかならないんだ。信じられないよね?

君も、君以外のあらゆるモノも、隙だらけなのに、不思議なことに無数の小さな物質の振動でその姿を留めている。隙間のほうが圧倒的に多いのに、人はみな形(物質)のほうを足りないと思ったり、変えたいと思っているね。「まつ毛がもっとあったら…」「身長がもうすこしあったら…」「髪の毛が欲しい…」といった身体的な過不足を嘆いたりする。物理的に見れば、びっくりするくらい小さい話ってことだね。外見ばかりを気にして生きているということは、砂一粒のことを気にして海を観ていないようなものだと言える。ボリュームの問題で考えると、やはりたまには隙間(非物質)のことも考えてあげてほしい。君たちのそのあまりイケてないかもしれない外見という形(物質)ばかりを観ずに、その隙間にあるものが何なのか?を考えるということ。

何かを観るということは、そのものの形をとらえるということだけでなく、その隙間も同時に観ることが大切なんだ。何も無いように思えるその空間が、僕らという存在を形にしたり、繋いだりしているからね。これは日常生活や仕事、政治、あらゆる面で重要な眼差しだと僕は思う。モノとモノの間や、言葉の裏、コンテクストといった、その隙間に隠れて観えていないものも同時に観ようとすること。決してどちらかに偏るのではなく、両方観ようとすることが、あらゆる問題を解決する手立てになるはず。それでも、観えないものは観えないから、難しいだろうね。

だが、音楽やアート、宗教やスピリチュアルの世界でしか表現できなかったことや、語られなかったような非物質的なものの存在は、いずれ解明される。原子の隙間に何かあるのか?とか、たとえば魂や愛と呼んでいる捉えようのないエネルギーのことは、いずれその存在を物理的にも証明される日が来るだろう。なぜなら、その解明に向けて人生をかけて研究している人たちがいるからだ。地球のどこかで、誰かが、僕らの代わりに時間も体力も使い、それを解き明かそうとしている。物質的に見れば、そういった研究者たちも、ハロウィンの渋谷で暴れる若者も、同じようにほんの小さな粒でしかない。僕も君も、小さな宇宙のカスである。

しかし、原子があちこちに飛び回って、星や大気や生命を構成したように、僕らという粒もまた、可能性に満ちているんだ。君という存在は物質としてはとるに足らないが、その隙間で存在している「何か」は広大で深い。観えないけど確かに在るその隙間にこそ、生命の本質が詰まっている。それを観ようとするところから、ロマンティックな旅がはじまるかもしれない。…それでは、また宇宙の何処かで!

Thanks!


フリーダム・ディクショナリー
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