うつくしいひと第三回 「反骨」

柘植伊佐夫 文/写真
田中千恵子 アクセソワ

ロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワは日記にこのように記しています。

「墓地のなかで習作をしてくれた乞食女に7フラン」

その習作とは、大作「キオス島の虐殺」のために描かれた「墓場の少女」を指しておりルーブル美術館に収蔵されています。荒涼とした墓場を背景に何かに挑むような強い眼差しを持った少女の横顔は、胸騒ぎのように言いようのないざわめきを心の奥底に掻き立てます。さながらその墓場がこの世界をあらわして、たたずむ少女のありさまが、誰しもがどこかに抱える反骨の精神を象徴しているかのようです。

若き画家がこれを描いたのは1824年。それまでサロンの主流であった冷徹で精緻な技法が際立つ新古典主義に反するかのように、感情的で人間存在そのものを表す画法は物議を醸したといわれます。けれども彼の才能をいち早く見出してさらに後押ししたのも、その古典派に属していたグロであったのは興味深く思われます。さらにそのおよそ10年後、グロは台頭するロマン主義の前にあえなく凋落、絶望しセーヌへ身を投じます。溺死した彼の帽子のなかには一枚の紙片があり、このように書かれていたといわれます。

p4-2「人生に疲れ、残った才能からも耐えうる批判からも、裏切られた。彼はすべてを終わらせようと決意したのだ」

新古典主義とロマン主義の相克にとどまらず、歴史には絶えず保守があり革新があります。互いは共振し反発しながら次の世代へすすみます。まるでそれは脳が左右にわかれて、その役割が冷めたものと熱きものを掌握しているがゆえに、ひとはその両翼を行ったり来たり翻弄される振り子にすぎず、その運動が時代に愛される期間は幸福を謳歌できるけれども、その役割を果たした刹那に糸は切れ、命の重りがセーヌへ落ちてしまうかのようです。

パリを訪れるたびに感じる空気。ふみしめる地面から察知する呻き。それらは数多の芸術家、文化人あるいは権力者たちの、はかなく消えた命の堆積が圧力となってわたしたち今を生きる人間を抱擁してくるかのような交信の感覚です。それはわたしたちにとって讃美であり時に批難であり、いずれの姿であらわれるにせよ同じ切れ味を持ち合わせた刃物としてわたしたちの贅肉を削ぎ落とす魔物に違いありません。その魔物は歴史とともに美意識と化してひとびとを魅了し醸造するのです。

場所はひとをつくります。どこであれ選択は自由です。他者の選択の縛りによって土地を離れられないという事情もあるかもしれません。けれども命がけであればその自由を獲得できないはずはありません。その場所にいる・住むというのは積極的であれ消極的であれ本人の決断です。まるで自分に巻き起こるさまざまな運命がつまるところ自分の意志によってのみ支配されているのに似ています。偶然のように起きる事柄、神の意志で導かれたかのような事象、それらの本性も自分の意志と宇宙の叡智との連なりによってあらわれるイリュージョンのように思われます。

やすらぎを求めるのはひとの常です。脳はいつでも快楽を求めます。けれどもその快楽への姿勢が怠惰であれば、その幸福はやがて抜け出すことのできない地獄へ変わります。知らぬ間に茹でられたカエルのように自分自身の火あぶりにさえ気づかぬまま死んでしまう、そのような愚かさをひとは十分備えています。命を失うほどに環境が変わっているのにその緩さに順応して死すら享受する生存本能の矛盾。だからこそわたしたちは厳しさのなかに意図して身を置かなければならないのです。自らに鉄杭を打ち込むような態度。厳しい環境は未来への担保でもあるのです。

パリ。異邦人にとってこれほど甘美かつ苦く厳しい街はないかもしれません。そこに暮らすひとびとを眺めると、言葉であらわせることとあらわせないこと、あらわすべきこととあらわさざるべきことの境界線を往来し、過去の辞書を開きながらまるでそれすらも焼き払おうとする反骨を感じます。そのような挑戦的な志向であれそれを振り回す武器を以ってしても歴史という石造りが崩れることはありません。むしろその石のひとつに転じるのです。そのような街に生きるにはケモノのような野性と陽射しのような寛容が必要です。その両翼がうつくしさを支え、自分の意志に正直に生きる「反骨」が、それに血を通わせるのです。

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パリからこの本文を入稿した直後に同時多発テロが起きました。被害に遭われた方々に心よりお悔やみを申し上げます。人間の存在を否定する思想と行動に断固たる態度を持ちつづけたいと決意するとともに、その反骨の地であるパリに祈りを捧げたいと思います。


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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


フリーダム・ディクショナリー
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