うつくしいひと 第十五回「才能」

柘植伊佐夫 文/写真
石川勲 数学者(左)
石川潤 作曲家(右)

これまでいったい何人の方々にお会いしてきたんだろうななんて思うことがあります。会うってそもそもなんだろう。見かけるということであれば日々ものすごい人数が更新されて行っているんですけれども、会うとなるとやはり自分の意思あってのものなので、やはりそこには一種の自分らしさというか傾向みたいなものはあるのでしょうね。SNS の世界を覗き込んで見れば自分の承認世界が展開されているからその友達ワールドでの基準というものが自然と立ち上がって社会と乖離する場合もある。その乖離した状態が世界観を生み出して一種の羊水のような役割を果たすから、いいも悪いも居心地の良いガラパゴスになったりもする。え、僕らの間ではこの人当選するはずないのに!? なんていう政治家が大手を振って社会ではのし歩いたりとか。一方ではそのような閉鎖世界の基準が進化・深化して行って極度な歪さを増して特別な価値を持つこともあります。

大勢の方々にお会いしてきた中で、やはり本当に才能あるなぁって嘆息するような人物はいらっしゃいます。何人かいらっしゃいましたし今も思い当たる方々はいます。そのような才能を眼前にするときに人柄に共通するのはさほど閉鎖していない感じがすることですね。まあ、これはとってもシャイだったり偏屈だったりそのような閉鎖性を持ち合わせている才能ある方だって多々いらっしゃるとは思うんですが、おそらく「わたくしの周りにおいて」というわたくしによる閉鎖社会的条件の中ではそうなのかもしれません。ですから「才能」を語るときにどうしてもわたくしの目を通してしまっているというバイアスは取り払うことはできないことをご容赦ください。

さて、その才能はいったいどこからきているんだろうなぁ、と羨望と好奇の視線で眺めておりますと、わたくしの周りにいる才能に関して言えば、「まるっきり開いている感じ」「とてつもなく専門的」「極度な技量」「一点集中型で他はからっきし」「理由のわからない美しさを備えている」「特殊な言語感」などの特徴を見出せます。で、どうして開いてるんだろうなぁ、というのはちょっとわからないんですけど、「とにかくそれが好きなんです」みたいな一種の無邪気さが、世俗の悪を吹き飛ばしているというか、こいつに取り付いてもしょうがないなと悪に思わせるというか、そういう開き方、「心の光」というようなものなのかなぁなんて感じます。「極度な技量」も、まあそれが好きだし、三度のメシより好きだしどうしてもやっちゃうんだよね的な、サバン的な感覚というか、そのような風情すら感じますから自ずと極度化するのでしょう。「一点集中型で他はからっきし」というのは、おそらく脳みそのその専科以外の領域はスポンジ化現象を起こしてるんでしょうね、時間も空間も全て専門領域のみに機能しているように見受けられます。「理由のわからないうつくしさ~」というのは、一途に鍛えた日本刀がどのような形状であれ美しくないはずはないわけで、そのような極度さが備えさせる光なんでしょう、これも。あと興味深い、「特殊な言語感」というのは本当に才能ある人に共通した感覚だなぁと思うんですけれども、例えば京成立石のもつ焼きの聖地「宇ち多゛」へ行ったとして、そこがあまりに高度に専門化しすぎて一見さんにはなんの単語なのか全くわかりません、というような現象を思い出します。

そのようなわたくしの思う開かれたキャラクターを持ち合わせた高度な才能たちは、かと行って開かれた環境の中から生まれたのかどうかは全くわかりませんが、これも遠巻きに観察しておりますと相当に閉鎖的な世界で醸造されているように見受けられます。だから勝手にそのような部分に、「おもしろいなぁ」って好感を覚えてしまうんですね、閉鎖世界からブクブクブクって現れてきた素晴らしい才能の人格が開かれている、という共通性に対して。というかそもそも開放的なキャラクターが閉鎖的な樽の中につけ込まれていい酒に変わるのか。本当のところ全くわからないのですが、そのような開放と閉鎖という両義を兼ね備えた人々に、「才能あるなぁ」なんて思うことが多いのであります。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


フリーダム・ディクショナリー
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