うつくしいひと第二十回 「揺らぎ」

柘植伊佐夫 文/写真
石橋静河 女優
ページデザイン 小野英作

大人と子供を隔てる線がどこにあるのかわかりません。もちろん法律上は成年の基準は20歳です。そういえば民法改正案が今年6 月に成立しましたから、2022年の4 月からは18 歳以上が成年というわけです。この年齢未満が未成年。以上が成年。大人。ということはだいたい18~20 歳あたりが「大人のボーダー」なんでしょうか。

法律上の定義はともかく、ここで指す大人は紛れもなく精神の成熟度に視点を向けています。わたくしはこの法的成年の2~ 3倍の数値上の位置におりますから「随分と大人」ということになろうかと思います。実際に家族の中ではトップに位置しておりますし社会的にもそれなりの責任を負っている自覚はいささかながらあります。

大人の自覚がある。これはなんとさみしいことかなと随分と大人のわたくしは思うことがしばしばあります。もちろんそれでこそ得られるパワー、行使できる広がりなどはあるわけですが、どうしてさみしく思うのかと思いますと自分自身の「心の揺らぎ」と関連して来ます。

家庭人として社会人としてはたまた表現者として義務や責任を負って、かつ期待もそれなりに寄せられて、過去の自分史なども振り返りながら一つ一つ階段を登って来たなぁとか、あそこはつまづいてしまったなぁとか、だからこそここはさらに気を引き締めてやっていくぞなんて前向きながらも面倒臭いことを思います。

正直に言えばそのように面倒臭いことなどは思いたくもやりたくもないのです。全てをほっぽり出して自由を満喫したい! でも、「あれ? 自由ってなんだっけ?」と、籠の鳥が籠を外されてもしばらく飛び立てないような精神のフレームをいつしか作っているのが人というものでしょう。

子供の本体は、むしろその鳥籠がしっかりと出来ていないからこそ未来への不安やあらゆる外部と葛藤が起きて、それら不安定の総体と自我の間に生じる「心の揺らぎ」にあるように思われます。そしてその揺らぎは大人になるにつれてなくなるのではなく、「封じ込めていく」のではないかとも感じられるのです。

心の揺らぎは安定した人間関係や社会生活を送るためには少々邪魔なエネルギーです。なぜならその揺らぎが様々な選択肢を増やし(これは迷いともいうけれども)人生上の質を破壊する基準に変貌しかねないからです。A が素晴らしいと思うけれどもBもいい。BもいいけれどもやはりAもいい。でもA もB もどうでもいい。しかも考えているうちにどちらのことも忘れている。そんな無邪気で残酷な揺らぎが子供の本体であると同時に、もしそれが社会の基準であればこの世に無法地帯が出現することにもなりかねない。

無法地帯。この素晴らしい響き。大人は無法地帯を肯定できないのです。しかし子供の世界は無法に(近い)。そして大人は、自分たちが築き守ろうとする合法世界の中にありながら、心の中にフツフツと湧き上がる無法性と葛藤しつつ、「随分と大人」になって行く。随分と大人は鋼鉄のフタを閉めてその凶暴で残酷な欲望を封じ込めています。

けれども人はいつまでも子供である。これはどのようにここへつらつら書いたとしても認めざるを得ない事実のようにも思われます。少なくともわたくしは今まで出会って来た人たちを思い返して「心の揺らぎ」のない人に出会ったことがないし自分もまた正直揺らぎ続けているからです。それは人には正しさを求めても正しさに従えない弱さや正しさの正体を見極められない不完全さ、そして何か漠然としたものをあきらめきれない希望があり、それを埋めて行く過程に愛があると直感的に知っているからです。

不完全を不完全として揺らぎ続けられる唯一の時間、それが子供の季節であっていずれその揺らぎは年齢や経験とともに徐々に小さくなり消えて行くかもしれない。しかしやはり誰しもの中に必ず残されている、いや残すべき宝なのだろうと思いながら、ある時その揺らぎを誰かの中に垣間見た瞬間、「うつくしさ」という抗いがたい輝きをその人に覚えるのです。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


フリーダム・ディクショナリー
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