うつくしいひと第四回「意志」

柘植伊佐夫 文/写真
末冨真由 俳優・ダンサー

自分が忘れ去っていた自由を他人のなかに垣間見ることがあります。その隣人の自由さを眩しくうつくしく感じることがあります。それを失っていた後悔が相手をうつくしく見せるのか、そもそも自由そのものがうつくしさを際立たせるのか。他人のなかに自由を発見しそれをうつくしいと感じる時、そこには昔、無垢で愚かしく純粋であった自分へのノスタルジックでセンチメンタルな憧憬もこびりついています。その自己投影が適量であればその憧れは好奇心へ化学変化を起こして関係を光に導きます。一方で過去のうつくしさへ余りに執着すれば、不可逆な時間への失望が嫉妬に姿を変えて相手へ憎悪を覚えます。うつくしさはひとを高揚させる妙薬であると同時に、キルケゴールが語るような絶望の毒物でもあります。

歳をとる利点には社会に対抗する術を手にいれるというものがあります。その耐性は毒の海で泳ぐのに必要な免疫体であるかもしれませんが、精神の筋肉まで麻痺させて終いには身動きならずに溺れることもあります。そのような呪縛にとらわれたひとを身近で見かけることもありますし、若くしてその拘束に絡め取られているひとさえいます。もちろん自分のなかにもその痺れはそっと感じます。過酷な社会を生き抜くために自由を差し出す行いは、精神的な自傷と化して人格を冒していく。意志に反する行いが失望や諦念や無関心に姿を変えて絶望する。いつでも自由は意志によって生み出され、行いによって育まれます。その総体によって醸し出されるなにかがうつくしさといえるのです。

自由を忘れること。萎縮する記憶。忘れたことさえ覚えていない悲劇。いつしか麻痺する精神。忘れることとは意志が消えることです。それはうつくしさの放棄でもあります。けれどもその忘却は無垢に向かうことかもしれないのですから、意志が放つうつくしさとは異なるうつくしさを得られる場合もあります。しかし生きるとは意志を貫くのか放棄するのか、未来を切り拓くのか無関心でいるのかを問われることです。迎合によって自分を麻痺させ、自動的に記憶を消して追従者として生きるのか。大勢に疑問を持たずに流されることを是とするのか。自由と引き換えに安寧を得たいのか。その葛藤は自らの生み出すうつくしさと無関係ではありません。

京都へ頻繁に往復する仕事があった昨年のクリスマスの頃、家族からのメールのなかに父親の写真がありました。家内から送られたプレゼントを手にする父の姿を見たときに、わたくしの脳裏には家族の優しさへの感謝と同時に異なる思いが過ぎりました。それは父の表情のうちに彼の精神がすでに夢とうつつを往復し始めていることへの確信でした。普通のように感じられる会話も高齢のために徐々に辻褄がズレて来ていることに気づいていましたが、写真を見たときにその眼球の背後に茫漠たる空間を感じました。

その闇は強力な磁力によって意志の光を封じ込め、父から自由の発露や未来の指針も奪い取り、虚無に手招いているように思われました。もちろんわたくしにとって父の尊厳はなにも変わりません。しかしそれを見た自分はうつくしさが意志の存在と密接であり、それを下支えするのが記憶であると確信しました。

誰しも絶望を望んで生きてはいません。けれどもいつしか希望をなくし自由を捨てて、意志を削り絶望することがあります。そこにはきっかけがあるかもしれませんし、知らず識らずのうちに毒が精神を蝕んで絶望しているということもあります。絶望に気付けるのであればまだ希望の欠片があるかもしれませんが、あまりに深い絶望の渦中に埋もれていると絶望そのものにさえ気づかなくなるかもしれません。そんなときでさえひとはなんとか生きようと抵抗を試みます。生きるとはまさに抵抗そのものです。そしてその抵抗を前進させるのが意志なのです。そのような意志がわずかにでも残っていれば自由の領域を少しずつこじあけて絶望のレンガを打ち崩すことができるのでしょう。

わたくしたちがまだ自分によって選ぼうとするのならば。わたくしたちがまだ自分によって決めようとするならば。わたくしたちがまだ未来をあきらめないのであれば。わたくしたちがまだ信じているのであれば。けっして「意志すること」を忘れてはならないのです。意志があるから自由を求められる。意志があるから自由をわかることができる。自由を支える責任や義務を遂行する生き様もまた意志です。自分の人生を生きているのは自分であることを忘れずにいること。いられること。記憶の援護を受けて意志を貫いていけることが幸福であると自覚できる幸福。ひとのうつくしさは意志があってはじめて成り立つとだけははっきりと言えるのです。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


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