うつくしいひと第五回 「不屈」

柘植伊佐夫 文/写真
平野遥香 舞台演出部

時は過ぎていく。けれども日々がもどらない瞬間の蓄積だということをなかなか自覚できるものではありません。2020 年代に日本はこのままいくと人口の4 分の1 が65 歳以上になるのだそうで、自分もその予備軍であることをひしひしと感じます。老いることは自然なことですからそれに対する恐怖や忌避感のようなものはありません。赤ちゃんで生まれた人間が、幼児期を経て、青年期から成人になり、働き盛りから壮年を迎えやがて老人になり死を迎える。そのようなサイクルのなかで誕生から幼少まで、そして仕事をリタイヤするあたりから死を迎えるまでの二つの時期の人の姿は似ているように思うこの頃です。

わたくしのように映像や舞台の仕事をしていますと、さまざまな被写体に出会うわけですが、そのなかで皆が口を揃えて言うのは「子供と動物と老人にはかなわない」というものです。これは彼らのなかに邪心のようなものがほとんどなく、なんらかの自己利益に誘導しようとする作為によって人に擦り寄るような態度が見受けられないから、掛け値なしにその人の存在の本質が輝いて見えるからに違いありません。たとえば犬でさえ、うつくしい犬とみにくい犬というものがいて、それはここに書いているような無邪気であるのか邪気があるのかということに大別されるように感じます。

ところが赤ちゃんと老人の違うところは、たとえ老人がいよいよ認知力の低下の加速をつけていったからといって、果たして赤ん坊のように完全無垢な状態に立ち戻るのか、完全にイコールな無邪気な状態になるのかと言うとどうやらそのようにはわたくしには思えない部分があるわけです。それは自分のように初期の認知症の親を間近に見ていると、確かに幼子のような無邪気さや、罪のない発言や、無垢な精神というものを垣間見たりするのですが、その人の人生のなかで、どのような努力をし、あるいは努力を放棄し、目的に近づき、あるいは近づけなかったかの無念や、それゆえに、心の奥底、あるいは脳の奥深いところに残り続ける「執着」のようなものを嗅ぎ取る場面があるからです。

生まれたての赤ん坊に執着はないのですから完全無欠な邪気の無さだと思います。「人は生まれた時が完全で、歳を経るほどに劣化していく」などの発言を耳にしたり目にしたりすることもありましたが、果たして欲求というようなものが動物から抜き取られてしまったら生き抜いてはいけないわけですから、いかに無邪気な赤ちゃんとはいえ、隣にもう一人の赤ちゃんがいて、そこに一つの食物しかなければ熾烈な競争が生まれるものです。それはいかにも本能的な欲求を満たすために動物であるわたくしたちに備わった仕掛けだと思われます。ただしそのままの姿ではなんら「ケモノ」と変わりはないわけですから、その欲求をいかに自分の判断によって御していくことができるか、それが「シツケ」という形式となって親や先達から叩き込まれる。

そうこうしているうちに自我も目覚めて、「自分はどのような人間であるべきか」などという葛藤の海に投げ込まれ、その鍛錬の波に精神や肉体を「ムチ」打たれながら生き方に磨きをかけていくのでしょう。けれどもその 痛みが足りなかったり、その痛みに耐え切れずにその小舟から逃げると、そこに待っているのはただただ「ヒキョウ」な記憶でしかないのです。そのような敵前逃亡のような、何か辛いことに対して屈する精神というものは、その事実を忘れたいと自分の顕在意識からは記憶を抹殺するのかもしれませんが、潜在意識の奥底には居残り続け、たとえば人生のことあるごとに起きるであろう同様の厳しい局面に発動し、再び逃げるような人格になりかねない。

だからこそジョンブル魂のような、「この戦いは負けが決まっている。しかも死ぬかもしれない。しかしだからこそわれわれは臆することなく、決して屈することなく戦うのだ。それが魂の輝きなのだ。いやそのような状況だからこそ、それに屈しないわれわれの魂は輝くのだ」などという、いささか大仰な精神力を身につけなければいけないのだろう、それは目指すべき真の輝きなのだろうと思います。命をかけなければいけないと感じられるような何かというのは、毎日毎日の、平々凡々の暮らしのなかにはありませんよ、とたとえば思われたとして、そのように言うのはたやすいのですが、実際は一瞬一瞬に潜んでいる局面ではないでしょうか。

毎日を一生懸命に生きる。一生懸命の意は、「一瞬一瞬が一生を形作りそこに命を懸ける」というようなことでしょうから、不屈の精神は誰しもどのような時にも問われているように思います。そしてそのような過酷な鍛錬を自分に課している・課していこうという精神や運動が、自分自身をシツケつづけて、たとえ年老いて、自分自身や、親しい人をも忘れるような、ケモノのような状態に立ち戻っていったとしても、その最後の脳の、原始的な領域に残る知性の残り香として、人間世界を生きたうつくしい記憶や態度として立ち上がってくる部分なのだろうと思います。ひとのうつくしさとは、自分自身にムチ打っているかどうか、その苦役に負けない不屈の魂を持ち合わせているか、そのようなひとの笑顔は、性別・年齢・あらゆるボーダーを超える輝きなのだと思えてなりません。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


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