うつくしいひと第十二回 「図と地」

柘植伊佐夫 文/写真
江口のりこ 女優

うつくしさに型などはないのですからうつくしいひととはどういうひとのことだろうかとつらつら思い描くことは終わりのないことだなと感じます。あるひとにとってはうつくしさとはかくあるべきとうつくしさの「図」に対して絶対的なイメージを描いている場合もあるかもしれません。そういうかたは美を生み出すということに直接的な手管というか方法を積極的に行いたいと願っているひとに見受けられます。そして自分自身のうつくしさに向けられる場合が多いようにも思います。わたくしの思ううつくしさはこういうもの、なりたいうつくしさはこんな姿、理想はこれ、というような主観に支えられて邁進していきます。そしてその方法はある到達点を迎えることになります。

一方、うつくしさを「地」の観点から見ていくこともできます。うつくしさの実体・本体というものは謎に満ちて規定しにくいものですけれども、うつくしさはこのような場合に「出現」しやすい。そのような条件や状況を観察したり設定したり教育していくことによっておのずと「図」としてのうつくしさを浮かび上がらせるというやり方です。これはわたくしのように他人の姿をうつくしくしよう、他人の姿によって概念を表現しようという客観者の視座であるかのように思います。この方法は到達点がなく無限・永遠にすすんでいく方法です。しかしながら一人について、あるいは一つの事案について永遠にそれを客観視することもなかなか不可能ですから、そこに時間という区切りが現れてきます。

うつくしさの「図」としての主観、うつくしさの「 地」としての客観。これらは一枚の絵画のように等価です。たしかにうつくしさを体現するのは図としてのご本人ですから、「わたくしのうつくしさはわたくしのもの」という考えも成り立たなくはありません。しかしながら生きるというのは自分だけで成り立っていないというのはよく言われるところですし、日々自分だけが停止したままに自分のうつくしさを保存できるわけでもありません。そこにはいくつかの背景としての地が必要になります。それは時間と空間です。このようなことを書きますとなにかむずかしいことのように感じられるかもしれませんが、そんなことはありません。ひとのうつくしさを成り立たせているのは「どのような時間を過ごした・過ごすか」「どのような場所にいた・いるか」ということと無関係ではありません。

うつくしさの求道とは、この時間と場所をどのように過ごしていくか、という「意志」に深く関わっているように思います。それは過去にどのように苦しい経験をしたり環境が厳しいか、それら通過する過去に個々それぞれ無限のパターンがありながら、なぜか人が発するうつくしさについては共通した宇宙の黄金律を感じられるという事実に察することができます。無限の出来事や組み合わせのなかにあってひとが生まれ育っていく過程は、いかに精神を鍛錬し、肉体に負荷をかけていくか、重力に打ち勝っていくかということのように思います。それがうつくしさの核心ではないかと感じます。

そのような部分を踏まえながら、では日々の、日常の、一般的なうつくしさとは、やはり物言わず鍛錬を怠らない姿にしか存在し得ません。それはどのような趣味嗜好、職業、行動を問わず、自分に対して一貫した負荷をかけつづけていること。もしかすればそれは自分では気がつかないうちに「地」からかけられている場合もあるかもしれませんし、自分自身の信念や方法たる「図」によってかけていることもあります。そもそも自分自身がすべてを選んでいるわけです。自分がすべてを選んでいる。そしてうつくしさとは自我という図だけでも特異点を迎えてしまうし、地だけでも無限の時間を必要としてしまいます。その二つが等しく組み合わさっている場合にのみ奇跡のようにあらわれるものなのです。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


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