うつくしいひと第十九回 「憑依」

柘植伊佐夫 文/写真
尾上 紫 日本舞踊家・女優
ページデザイン 小野英作

これまで多くの役者の方々とお仕事をさせていただいて来ました。どれも素晴らしい思い出に彩られていますし、苦々しい出来事でさえその時に埋めるべきピースを持ち合わせていなかった己の未熟さを今は理解することができます。鮮明に意識されること、朧げに去りゆくもの、そのようなコントラストの記憶の総体でさえ時間とともに薄らいでいく。だからこそ死ぬほどの苦しみさえ乗り越えて新たな自分に脱皮して生きながらえていくことができるのでしょう。その脱皮も不必要なほどにそれが遠のくとき、意志の消失とともに命も去るのかもしれません。

つねづね意志の力とはなんだろうかと考えることがあります。これをわたくしは「決意の継続」と仮にしています。決めたことを続ける。これが意志の力。自分などは意志薄弱なのでまず決められない。かつ、続けられない。お恥ずかしい限りですが「決意」するには勇気が必要です。何しろ自分がこれはと思うことの行方の是非など人智を越えていますから飛び込むには覚悟がいる。覚悟をするのに迷いが生じる。その迷いを消し去るものは宿命です。突然おおごとを言いますけれども、理由のないことに踏み出すきっかけ、またそこに至る経緯全体、それらはすべて天に仕組まれた宿命だと感じます。

決意するとは宿命を受け容れる、あるいは受け容れざるを得ないと自覚することではないでしょうか。そして経験則から申し上げますと決意に至る段階で、なんらかの憑依が起きます。憑依と言いますと何かキツネにでも取り憑かれたり何代前のご先祖様が我が唇を借りて文言を申すかのような単語力がありますし、事実その意で使用されることがほとんどです。ただしここで言う憑依は、むしろ「宿命に感応する」と言うようなことかもしれません。もちろん形而上でいて論理的ではない直観性も含まれていますから、確かにスピリチュアルあるいはオカルティックな感覚も混じっているのかもしれません。

わたくしたちが生活をしていく中で物事の行方を決める場合、カクカクシカジカの方が安全だ、儲かる、人のためになる、便利だetc. のように囲まれた時空や条件の変化を予測してその蓋然性の高そうな未来を選ぶことがほとんどのような気がします。これはわたくしも全くそのように生きていますし、そうしなければいささか冒険が過ぎてしまって命がいくつあっても足りない気がします。ただし人生では何度かとても大切な局面でそのようなマーケティング理論が通用しないことに出くわすものです。そしてそれは自分自身の命や魂を問われる瞬間です。そのような時に、少なくともわたくしの場合には、この「憑依」が発動しました。

おそらくなんの理由もなく啓示のようなものを受ける。それを受け止める憑依状態。人にはそのような原始的な力が潜んでいるのではないかなと感じます。SNSで見かけましたが種族の違う動物たちが言葉を使わずに仲良く触れ合う。イルカとネコ、シカとコグマたちがそっと近づき鼻と鼻を触れ合う。とても可愛く安らぐけれども、「どうして?」と言う疑問が残る。臆病な自分などはなぜ意思疎通がそれだけでできるのかドキドキします。きっとこのような理屈を超えた繋がりのはるか源流に、人間も密かに察知し得る憑依の対象があるような気がしてなりません。もちろんそれは愛や光に基づいた、あるいはそれすらも包括するような発信でしょう。

役者は様々な役に変わります。自分という個を捨てて異なる対象になる。すべからく表現者はみな、何か目に見えない、聞こえないものに突き動かされて、それがなんであるかもわからないままに不安の池に入水するかのような決意を以って命を捧げる。その状態こそが憑依であって決意の継続の始まり部分なのだと思われます。そして憑依はごく普通の人生にも潜んでいます。素直に感応する心、それこそが意志を持って生きていくうつくしい人生の始まりなのではないでしょうか。

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柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター

60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。


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