うつくしいひと第十一回 「溶解」
高根 萌 ボーカリスト
デジタルな世界と無縁な生き方をしている方々がいます。完全に遮断しているかどうかはわからないし、多かれ少なかれこのような社会だから無意識のうちに影響を受けているかもしれないけれども、みずから進んではネットやSNSなどの道具を使わないという人にお会いしたこともあります。そんなときにとてもうらやましいと感じたりします。それでも暮らしや仕事を成立させられる環境があり、それらの必要性を感じないか、あるいはそのような一種の文明の利器のようなものを遮断することが豊かさであることを直観しているかのように感じられるからです。
自分を振り返ってみれば、表現に必要なリサーチや方法をコンピューターに頼ることが多く、それを元に連絡や発信するのにSNSは欠かせないものです。それ以外に、手や足や口、目を直接使い、(つまり肉体を使い)、対象物にぶつかるということがありますが、それらはデジタルの発達によって減ってきたように感じられます。余談ながらたとえばその関係は特撮とVFX、あるいは特殊メイクとVFXの関係に似ています。それまで手作業で、「本物ののような実物」を生み出していた方法が、コンピューター画面上で成立させ得るという表現に変化してきた関係です。
わたくしたちの暮らしは、コンピューターやデジタルアプリケーションに代表されるような科学技術の進歩によって、「肉体の動きを最小限にとどめながら」「最大の集合知や効果を得る」という利便性を得続けています。ところがこの恩恵に授かりながら仕事をしている自分も、「そのような都合のいい代謝関係があり得るのだろうか?」という根本的な疑念に随分前からさいなまれています。「体を動かさない」ことによって膨大な表現エネルギーを発揮した場合の実質的なストレスはいかなるものなのだろう。もちろんそこには莫大な情報を短時間に操作する負荷が含まれているでしょう。わたくしが実感するのはこのアンバランスな精神と肉体の関係、それを成り立たせるイビツで不透明なメディウムを溶解させる必要があるのだろうということです。
体を鍛えることにほとんど興味を抱かない自分ですが最近時間を見つけては泳いでいます。ことの始まりは昨年末から今年三月末までとても過密な業務スケジュールにあり本当に時間なく表現活動を続けている中、わずか一泊できる隙間に温泉へ行きました。その時には「温泉=癒し」という当然な図式のみに引きずられて速攻予約したのですが、さて宿に着き内風呂に入りもちろん堪能したわけですが、その一泊が終わってしまえばそれまでで、なぜ温泉に行きたくなるのだろうという根本に考えを至らせることはありませんでした。帰京してしばらくしてからひょんなことから家内のすすめでプールへ行きました。わたくしとしましては何年ぶりかの出来事です。
筋肉も鈍っていますし何往復泳ぐのも大変なのですがこれはとても爽快でした。というよりも一種の喜びというか快楽的なものさえ感じました。これについては理由はまったくわかりませんし専門の方々に解読をお任せしたいのですが、ともかく「泳ぐこと」とりわけ「大量の水に身をまかせること」が、少なくとも自分にとって完全な、「ストレスメディウムの溶解」につながったのです。これほどの実感は正直珍しく、というかこのような刺激はこれまで皆無だったかもしれません。本当に日々刻々とデジタルに向き合っている自分にとって、プールの水にそのストレスが溶け出して無くなっていくのがひしひしとわかりました。
そんな体験のなかで、「これは水にばかり当てはまることではないかもしれないな」と直観しました。と言うのも、やはり人にもさまざまな種類がありますから、「一緒にいたい人」「いたくない人」「いざるを得ない人」「どちらでもいい人」「いたくないけれども役立つ人」「いたいけれどもいられない人」などなど千差万別あります。現実的にはこのようにわざわざカテゴライズして暮らしているわけではありませんが、薄々そのような力学に支配されており、そしてもちろんストレスの根本は人間関係が生み出しているのは論を俟ちません。そんな混沌とした社会のなかで、ごくたまにここで言うところの、「プールのような人」がいます。これは本当に素敵というか、一緒にいるだけでこちらのストレスが溶解してしまうようなまさにわたくしにとってはうつくしいひとなのです。
柘植伊佐夫
人物デザイナー / ビューティディレクター
60年生まれ。ビューティーディレクターとして滝田洋二郎監督「おくりびと」や野田秀樹演出「EGG」「MIWA」などの舞台、マシュー・バーニーの美術映像など国内外の媒体で活動。 08年より「人物デザイン」というジャンルを開拓し、大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」、映画「寄生獣」「進撃の巨人」、舞台「プルートゥ」などを担当。作品のキャラクターデザイン、衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、持ち道具などを総合的に生み出している。